第9話『始まりの朝』


 鐘が、鳴る。


 朝一番の授業の、その始まりを告げる九時の鐘。

 日は昇り、人々は動き出し、悪魔は眠る。


 そんな朝直中の時間帯に。



「今日は、いつもより遅いのだな」



 少年は、塔の最上階へとやってきた。


 朝日へと届かんばかりにその身を伸ばす、魔王の塔の、その最上階『魔王の間』へと。


 朝の弱い魔王にとって、この時間にちゃんとした状態で目醒めていることは珍しい。いつもなら、ベッドの中で勇者が起こすのを布団を被りながら駄々をこねているのだが、今日はいつもと違い、ひっそりとソファにその身を座らせ、メイドの淹れた紅茶を静かに嗜んでいた。


 まるで──、そうまるで、自分がどうなるのか、既に知っているみたいに。



「そんなところで突っ立ってどうした? 朝食はもう終えたが、今日は特別だ。マロンに何か有り合わせのものでも出させよう。サンドイッチは、貴様も嫌いではなかろう?」


「…………」



 ユーシャは答えない。顔を伏せたまま、整わぬ息を肩で続けている。


 見れば、ぶら下げた腕からは血が滴り落ち、制服は薄汚れていてボロボロだ。


 まるで、入学初日のように。



「……手酷くやられたようだな。どうも、昨日から塔のダンジョンのレベルをかなり引き上げたらしい。学生ではまずクリア出来ぬほどにな」



 だが現にユーシャはここへと辿り着いているのだが、そのことには触れず、魔王は茶を口へと運ぶ。



「魔王」


「…………なんだ?」



 ようやく口を開いたボロボロの少年に、魔王はゆっくりと問う。



「ここから出るぞ」


「またそれか。何度も言ったはずだぞ、小僧。私はここから出る気はないと。戯言を宣うのなら今日はもう帰れ。そもそも、もう授業とやらは始まって──


「殺されるんだぞ」


「…………知っていたのか」


「ああ」


「誰が漏らしたのかは知らんが、余計なことをしてくれたものだな。最期の日くらいは、静かに過ごしたいものなのだが」


「なんで、そんなに落ち着いている。もうすぐお前は死ぬかもしれなんだぞ。それなのに──


「死ぬかもではない。死ぬのだ。我は、ようやっとな」


「っ…………」



 思わず、言葉が詰まる。


 理解できなかった。なぜ、そんなに落ち着いていられるのか。

 理解できなかった。なぜ、そんなに受け入れられるのか。

 理解できなかった。なぜそんなに、自分を諦めているのか。



「今ならまだ間に合う。俺とここを出ろ、魔王。そうすれば、まだお前は助か──


「助からんさ。どうやっても、な。万が一ここから出たところで、その後はどうするつもりだ。貴様は一生我を庇い生きていくつもりか? 魔王である我を庇い、人間たちと戦うつもりか? そんなこと、できるわけがなかろう」


「確かに俺は人間で、勇者で、人間と戦いたくなんかない。だけど魔王、お前をこのまま死なせたくもないッ」


「それは……貴様が我を囚われの姫だと勘違いしたからだ。以前にも言ったが、我は姫ではない。囚われてはいるが、我は悪魔で、魔王だ。人間の貴様に助けられる言われは、ない」



 その通りだ。彼女は魔王で、自分は勇者。悪魔と人間。どう足掻いても存在する種族の隔たり。ただ違う種族というだけではない。今まさに、悪魔と人間は争っている最中──戦争中なのだ。そんな情勢の中、敵の親玉の一人を連れ出し逃げる。そんなこと、叶うはずがない。叶っては、いけないのだ。


 だと、しても。



「それでも、俺はお前を救いたい。このまま見捨てることなんて、できない」


「それは情か?」


「情だ。情で、俺の生きる理由だ。お前を救えないのなら、勇者としての俺は……死んでしまう」


「くだらん理由だな」


「それでも──


「もうよい。話を聞いた我が愚かだった。貴様には失望した。余った茶葉を分けてやるのも惜しいほどにな。さっさとここから出ていくといい。せっかくの茶が不味くなる」



 だが勇者は動かない。



「……ここから出ないというのなら、俺が無理矢理にでも連れ出すだけだ」


「そんなことが本当にできると思っているのか? 魔力を封じられた我よりも弱い貴様が」


「出来るかどうかじゃない。やるんだ」


「ふ。戯言だな」



 呆れたように魔王は吐き捨てるが、ユーシャの眼は真剣そのものだ。



「そもそも、我はこの塔から出ることが出来ぬのだ。貴様がどれほど力をつけようと、その事実は変わらな──



「いいや、出られる」



 否定するよりも早く、ユーシャが断言する。



「また世迷言を」


「事実だ」


「何を根拠にそんなことを……」


「俺の、



 俺の母の名はキシガミ=ツルギ。『勇者姫』キシガミ=ツルギだ」



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