第7話『ゲームオーバー』


「よくもまぁ、こう毎日飽きもせずに来るものだ」



 それはこちらのセリフだと、そう言ってやりたい気持ちも、今の魔王を見れば失せてしまう。


 肩紐のズレたキャミソールにヨレヨレのタップパンツ。寝起きだろう髪はがしがしで、あの星空のようだったブロンドの髪は見る影もない。



「…………はぁ」



 ユーシャは思わずため息を吐いて、自らが倒すべき宿敵と見定め、同時に救うべき姫だと決めた少女とのこれまでの日々に思いを馳せる。




 あれから一週間が経った。


 ユーシャが最初に魔王に挑んでから──つまり、ここ勇者学園に入学してから一週間が経ったのだ。


 授業は本格的に始動を始め、一年生もそれなり学園生活に順応し始めたこの頃。在校生なり新入生なりそれぞれ心境や環境の変化が起こる中、依然入学式当日のままの生徒が一人いた。


 すなわち、キシガミ=ユーシャである。


 ユーシャは一週間前と何も変わることなく、すでに日課と化していた魔王討伐へと勤しんでいた。そんなもの、日課になるようなものではないと思いたいのだが。


 ただ、相も変わらぬ魔王討伐と言っても、その内容は大きく様変わりしていた。


 それが今のこの現状である。




 朝ユーシャが塔を訪れてから、魔王とユーシャは拳一つも交えてはいない。


 魔王挑戦三日目以降から常となった朝の食事を共にし、食べ終わったと見るや二人はテレビの前へと座り、ピコピコと何かを操作し始めているのだ。


 まぁテレビの前でピコピコと言えば、大抵の方は理解できるのではなかろうか。


 そう、テレビゲームである。最も、プレイしているのは魔王であり、ユーシャはただ隣に座し魔王のプレイを眺めているだけなのだが。至極不満そうな顔をして。


 退屈、というよりはなぜ俺がこんなことを、と言いたげな視線のユーシャに対し、魔王は舌を出しゲーム操作に合わせて身体を大きく前後左右に動かしプレイしている。その表情は真剣そのものだ。




 一週間経って、魔王についてわかったことがいくつかある。


 その一つが、この魔王はゲームが下手であるということ。それもすこぶる、だ。


 今もそうだ。魔王が操る赤い帽子に青のつなぎを着た配管工キャラは、おそらくボスであろう巨大なカメのような敵に挑んでいるが、まるで勝てていない。


 どうも周りに配置された爆弾にボスをぶつければいいらしいのだが、ボスの後ろに回り込んで爆弾にぶつけるという動作が全くできていない。よく意味のない行動をしては炎に焼かれてやられている。そしてその度に「クソゲー!」だの「チートだチート!」などと叫んでいる。意味はよくわからないが、とりあえず怒っているのだろう。


 そしてそれらを何度か繰り返していると、



「ん」



 ユーシャに、コントローラーを渡してくる。視線も向けず、ご立腹とばかりに頬を膨らませながら。



「はぁ……」



 これもすでに毎度のこととなっているのだが、その度に憂鬱の気分になる。


 そもそも、ユーシャにゲームの経験などない。学園ここへ来る以前はゲーム機があるような環境にはなかったし、そもそもゲームというものに興味がなかった。


 それなのに何故魔王のためにゲームなんぞをやらねばならないのか。


 それにだ。



「ほっ」



 ある程度慣れ、ボスに一撃を加えることができた。なるほど。こういう風にわかりやすい成果が出るとゲームも面白いものだ。


 だがそれを見た魔王はというと、



「寄越せ!」



 と言ってコントローラを取り上げてくる。



「ふむふむ、なるほどなるほど。攻略法さえ理解してしまえば、此奴など一捻りの血祭りだ。……行くぞ!」



 だがしかし、なぜか魔王の操るキャラは明後日の方向へと走り場外へと落ちていく。ゲームオーバーである。



「だぁーーーーっっっっ、なぜ上手くいかんのだクソ!!」



 とそんなことを言ってコントローラを放り投げ、ソファへ顔を突っ伏してしまう。


 これも既に幾度か見た光景だ。


 よい子は是非とも真似しないでほしいが、とにかくこれが最近の魔王の塔での日常である。



「はぁ……、またか。……なぁ魔王、そろそろ俺と戦──


「やはり最新機種っ、最新機種ではないから上手くプレイできんのだ!」



 じたばたじたばたと、クッションへ顔を押しつけてはバタ足を繰り返す。



「最新機種ねぇ……」



 ゲームの終了を見計らっていたか、やってきたメイドから淹れ立ての紅茶を受け取り、ユーシャは仕方なしにと魔王の話に相づちを打ってみる。



「ゲーム云々の話はよくわからないが、確かにこのゲームは古い気がするな。見たことがない」



 見た目のことしかわからないが、ゲームの背景やキャラクターがカクカクしている。ユーシャが見たことのあるゲームとはもう少し綺麗というか、物によっては現実と区別できないくらいのものまであった気がする。


 だが魔王は、



「見たことがない……だと……?」



 ユーシャの発言に、夜色の眼を赤く光らせてのそりと起き上がる。



「貴様……よもやロク〇ンを見たことがないとでも言うつもりか?」


「ろ、ろく……?」



 魔王から今までにない威圧感を感じ、ユーシャは思わず身じろいでしまう。



「いや、俺はゲームに詳しくはな──


「ロ〇ヨンはっ、神ハードだろうが!!」



 ユーシャの言い訳を塞いで、魔王の声が部屋中を轟く。


 か、神ハー……?



「確かに、〇クヨンはあの世代の代表的なゲーム機の中で最も売り上げが低かった。その事実は否定できない。発売の遅さ、ローンチタイトルの少なさ、ソフト開発の難解さ。そしてライバルメーカーの多様過ぎるラインナップ。様々な要因によりこのロクヨ〇というゲーム機は前世代王者の座から一転負けハードという不名誉極まりない烙印を押されてしまう。だがしかし! だがしかしだ。我は否定する。このゲーム機は決して負けハードなどではないと! 確かに、他と比べてゲーム機自体の売り上げこそ低かったものの、このゲーム機には未だ語られ続ける名作を数多く輩出している。マ〇オ64、マリカー、スマブラ、時オカ、ムジュラ、バンカズ、どう森……。上げればキリがない。それほどまでに我らを魅了して止まないこのゲームを、どうして負けハードなどと言えようか! いいや、言えはしない!! そうであろう、ヒヨッコ勇者よ!」


「あ、ああ……。そうかもn──


「だからこそ、我は言いたいのだ。ゲーム高性能高画質化した今だからこそ、昔の──今よりは技術は劣るかもしれぬが、今と変わらぬ作り手の熱量と努力、そしてゲーム本来の良さを兼ね備えた作品を、我はその身でプレイしてほしいのだと……」


「おー」



 演説を終えどこか感傷に浸る魔王に、なぜかメイドさんが拍手をしている。



 ……。

 なるほど。わからん。出てきた専門用語? が何一つとわからない。これでも魔王・悪魔については幾分か勉強したはずなのだが、如何せんさっぱりとわからない。人間と悪魔、勇者と魔王。まさかこれほどまでに文化に違いが存在しようとは……。


 だがしかし、わかったことはある。



「なるほどな。言っていることはさっぱりと理解できなかったが、魔王。お前がその古いゲームをしている理由は理解できた。つまりお前は、好きだからこそあえてそのゲームをしているというわけだ」


「…………………………………………………………………………………………いや」



 納得した答えに、魔王はまさかの否定。



「……。違うのか」


「無論ロク〇ンは好きだ。……好きだが、我が本当にやりたかったのはスイ〇チの方だ」


「ス〇ッチ?」



 ボタン……のことか?



「昨年、我はどうしてもどう森がやりたくてな。最新作が出るという話を小耳に挟んだゆえな。それでわれ学長ジジイに掛け合ってみたのだ。するとどうだ。ジジイは二つ返事でオーケーを出してきた。これには我も思わずにっこり。マロンと共に祝勝会を開いたほどだ」


「そんなに」


「そして次の日、ジジイ手ずから持ってきたそれを見て、我の思いは天国から地獄へとたたき落とされたのだ。……魔王だけに」



 魔王ジョーク。



「意気揚々と箱を開けた我を出迎えたのは、何十年も昔に見た黒のゲーム機。つまりこの〇クヨンだ! 蘇る思い出に湧き上がる怒り……。スイッ〇が売り切れで手に入らぬというのならまだわかる。だからといって、どこをどう探せば新品のロクヨンが今時手に入るというのだ!」



 バンッ! と、綺麗に保管された〇クヨンの箱を床へと叩きつける。



「あのジジイが物を間違うのはこれで何度目だ! W◯iの時はファミコンを、Wii ◯の時はスーファミだぞ! これでは次はキューブになってしまうではないか……。既に生産終了しているのだぞ……。いや、まだニンテン◯ーで固まっているから良い方か。もしもまかり間違ってエフエ◯クスやらピ◯ンやらを買ってきた日には……っ」



 何かに苛まれるように、魔王は頭を抱え悶絶する。


 やはり少女一人の軟禁生活というものは、かくも精神を崩壊させるものなのか。


 見かねたメイドが紅茶を手渡すと、それをゆっくりと飲み干して魔王は顔を上げる。



「ふぅ……。少し熱く語りすぎてしまったようだ。だが、これで我がゲームもロクに買えぬ哀しき乙女だということが理解できたであろう」



 さっきまでの乱れ様は何処吹く風と、魔王はボサボサの髪をふぁっさと掻き上げる。



「もし、貴様がまだここへ来ることがあるのならば、次は手ぶらではなくゲームソフトの一つでも土産に持ってくることだな」


「了解した。努力しよう」


「まじめかッ! まぁよい。ではもう今日は帰れ。メシも食ったし、茶も飲んだのであろう?」



 シッシっと、まるで猫でも追い払うように手を振る魔王に、ユーシャはなぜか神妙な面持ちで顎に指を当て、



「一つ、聞きたいことがある」



 と、そう切り出す。



「うむ、何だ? ゲームも知らぬヒヨッコ勇者よ。生憎だが、今日はもうお前の相手をする気はないぞ。それとも、我のようにゲームが上手くなる秘訣でも知りたいのか?」



「……何故──それじゃあ何で、お前はここから出ようとしない」



「…………」


「ここに通うようになってから一週間。俺は魔王──お前を見てきた。それで多少なり、お前を知ることができたと思っている」



 スン──と、魔王の瞳から色が消える。


 だがユーシャは構わず続ける。



「魔王とは名ばかりの少女で、威厳も尊厳もなく、我が侭で自由奔放でゲーム好き。甘い物が好きでよく間食をする。とても、とても魔王には見えない。力こそあれど、俺にはお前がただの可愛らしい女の子にしか見えない。だからこそ俺は疑問に思う。何故お前は、ここから出ようとしないんだ。たとえ出られなくとも、生きる目的があるのなら出たいと思うのが普通のはずだ。ゲームも、甘い物も、紅茶も、全部好きなんだろ?」



 語り終えたユーシャを魔王は睥睨する。背はユーシャより遙かに低くとも、魔王のその瞳はまるで目の前の人間を見下ろしているような、見下しているような、そんな、そんな冷たい色をしているように見えた。



「ふ……」



 一拍して、魔王が息を吐く。さきほどまでの冷たい瞳は閉じ、メイドの紅茶に手を付ける。



「やはり、少し熱く語り過ぎていたようだ。我の熱に当てられて、いつもは淡泊なはずの雛鳥がいやに饒舌だ。これからは少し自重した方がよいのやもしれぬな、マロンよ」



 そう言うと魔王は、メイドの返答を聞かずに立ち上がり、背を向ける。



「待て魔王。まだ話は──


「待たんよ小僧。少し気安くしてやれば調子に乗りおって。貴様にそのようなことを言われる筋合いはないし、俗世に興味もない」


「嘘だ」


「嘘ではないさ。確かに、今は少々魔が差してゲームなどという享楽に耽っているが、我が求むるは常に一つのみ。人間共の怨嗟の声だ」



 バッと、魔王は羽を広げる。悪魔の象徴たる黒い翼を。



「我は魔王ぞ。貴様には幼子の姿に映っているのかもしれぬが、貴様ら人間よりも遙かな時を生き、そして多くを屠ってきた正真正銘の悪魔の王だ。少しばかり時を共に過ごしたからといって理解したなどと……、思い上がるなよ人間」



 魔王の言う通り。そこにあるのはただの幼き少女の姿。だが違う。そこに在るのは、決して人間の少女ではない。人間の少女では決してありえぬ何かが、目の前の少女の形をした悪魔には存在している。ただ視線を向けられているというだけで肌がピリピリと震える。全身の毛穴が開き、冷たい汗が噴き出す。魔力。人間ではあり得ぬ圧倒的な魔力の放射が、ただの視線に乗せ向けられているのだ。


 魔王。これが、魔王……。


 勇者が殺さんとする、暴力的なまでの存在。



「……確かに、俺はお前のことを何も知らない。魔王だったお前がどうだったかなんてこれっぽっちも知りはしない。だが俺は今のお前を──


「くどい」



 魔力の放射が、一層強まる。



「くどいぞ人間。どのような大義名分があろうと、力なき者の言葉など無に等しいと知れ。生身の我にすら勝てぬ身の程で、思い上がりも大概にするのだな」


「…………」



 ユーシャは、身構える。魔王が臨戦態勢に入ったことを悟ったからだ。魔力の放射がなければただ立っているだけにしか見えない少女の姿。


 しかしユーシャにはわかる。ここ数日、一方的に殴られていただけではあるが、それでも魔王と戦ってきたユーシャには、今の魔王が戦闘状態に移行したことが理解できていた。


 それと共に、最初の一撃がどこへ飛んでくるかも。常に同じだ。魔王は常に、初手から急所である頭部への蹴りを狙ってくる。


 それさえわかっていれば、あとは魔王の初動を見逃さなければいい。この一分一秒、瞬きの間さえも魔王を見逃さず、攻撃の隙を突──、






 そこで、ユーシャの意識は途絶えた。






 次に目を覚ましたのは、一週間ぶりに感じる、原っぱの地へ放り捨てられる感覚を覚えて。



「キシガミ様」



 真上から声が振ってくる。


 主命によってユーシャを放り捨てた、魔王のメイドの声。



「キシガミ様には感謝しております。ただ過ぎるばかりの退屈な日々をお過ごしだった魔王様に、キシガミ様は日々を生きる楽しさを思い出させてくださいました。ですが、ここへはもう来ないでください」



 抑揚のない声はそこで一旦区切り、再び口を開く。



「キシガミ様との日々は、魔王様に外界への渇望を生むこととなります」


「……それの」



 肺が痛むのを感じながら、ユーシャは声を絞り出す。



「それの何がいけない。外への希望を持つことの、何がいけない……。アイツが望みさえすれば、俺がこんな塔から──


「この塔からは、決して出られません」



 ユーシャの否定を遮って、メイドは断じる。



「この塔には封印の術式が施されております。多少の封印程度でしたら魔王様自身で破壊できますが、この封印を施したのはかの『勇者姫』。おそらく、この世で最も強い人間でございます」



 勇者姫。その単語に、ユーシャの身体は僅かに反応する。



「最も強い彼女の封印を解くことはできない。もしも解くことができるとするならば、それは勇者姫自身でありましょう。そしてそれは既に適わない。かの勇者姫が行方知れずの今、もはやこの塔の封印を破ることは誰にも適わないのです」



 感情の乗らないメイドの声が、どこか哀しそうに感じる。



「ですからどうか、魔王様に無用な希望を与えるのだけはおやめください。これは、アナタ様のためでもあります。キシガミ様はいずれ、立派な勇者になられることでしょう。しかしその道は険しいもの。決して楽なものではないはずです。救うことのできない悪魔を気に掛け、挫折など味わうべきではないのです」


「…………」


「どうか双方のためにも、今後はこの塔に近寄らぬよう願います。それではキシガミ様、よき勇者ライフを」



 そうして塔の門は、閉められた。



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