第6話『ルームメイト』


「……キシガミくん?」



 重い瞼を擦り、ボクは部屋の中央にいる人物に声をかける。



「悪い。起こしたか」



 ボクの声に即座に反応し気遣ってくれるルームメイトに、ボクはこの数日間で幾度目かとなる彼の優しさを感じさせれる。


 だからこそ、ボクは首を横に振って答える。



「いえ……。おはようございます。またこんな朝早くから、ですか」


「ああ」



 簡潔過ぎるこの答えもいつも通り。



 三日。あれから三日が経った。ボクがキシガミくんのルームメイトになってから三日。


 そしてその三日とも、キシガミくんは朝早くから出掛けて、そして授業間際にボロボロになって教室へ現れる。


 目的は、わかりきっている。


 入学翌日から学年を飛び越して学校中の噂となっている、あの話題。

 塔へ赴き、魔王と戦っているというあの噂。

 そしてその噂は噂ではなく、事実で。


 ルームメイトとなった次の日の朝、彼の口から直接聞いてしまった。



『き、キシガミくんは毎朝どこに行ってるの?』


『ああ。魔王のとこだ』



 やはりとても簡潔で、そして当たり前のように話す彼に、ボクはなんとなく近づいたと思っていた彼との距離を再度思い知らされてしまった感じがしていた。


「どうして」


 だからこそ、そんなことを聞いてしまったのかもしれない。


「どうして、キシガミくんはそこまでできるんですか?」


 寝惚けていたのかもしれない。事実寝惚けていたのだろう。

 だけど聞いた疑問は事実、ボクが以前から抱いていたもの。



 魔王。人類にとって、勇者を目指す者にとって、それは大きすぎる一つの存在だ。人類にとっては絶望的な敵の親玉。勇者にとっては絶大な一つの目標。

 たとえ自分がどんな立場だったとしても、その大きさに変わりはしないのだろう。



 だがキシガミくんは、その大き過ぎる存在へと──それこそ毎日のように会い、戦いを挑んでいるのだという。戦いの結果は知らない。毎日通っているというのなら、当然勝利はしていないのだろう。だが、それはつまり毎日のように敗北しているということだ。あの魔王に、毎日敗北を帰している。それは、心が折られるに十分すぎる理由ではなかろうか。



 魔王を、ボクは知らない。恐ろしい姿なのか、それともボクたちとなんら変わりない容姿なのか。そうであってもなかったとしても、人類を凌駕する圧倒的な力を前に敗れ去るというのは、死なずとも辛いものがあると思う。ルールのある試合とも修行とも違う、真剣での勝負での敗北というものは。それは時に、死するよりも。



 そんな相手に何度も、それこそ何度も何度も挑む彼に、ボクは純粋に疑問を抱いてしまった。

 いくら勇者を目指すといっても、ボクらはまだ十五そこらの学生──子供なのだから。



「どうして……か」



 ボクのその質問に、キシガミくんは僅かに視線を落として口を開く。



「俺は勇者だ。勇者なら、当然のことだ」



 当然……。



「し……、死ぬかも、しれないのに……ですか?」


「ああ」



 それだけを答えて、キシガミくんは部屋を出て行った。




 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




 モヤモヤが残っていた。


 何故あんなことを聞いてしまったのか。そればかりを考えて今日の授業は全く身が入らなかった。元から成績がいい方ではないけど、それでもこのままでは落第しかねないほどに。


 最近の昼食はキシガミくんと取るようにしているけど、今日のキシガミくんは朝から帰っていなく(それがよりモヤモヤを肥大させているのだが)、ちょうどよいとボクは頭を冷やすことを兼ねて一人外で昼食を摂ることにした。


 それが失敗だった。



「今日はあの男はいないみたいだな」



 先日と同じ人気のない中庭。人気がないからこそ選んだこの中庭で、ボクは先日と同じ目に遭遇してしまう。


 先日と同じ半鬼の青年たちと。


 ていうか学習しろよボク……っ。



「あ、あの……、何の用で……」


「俺らはお前に用があるわけじゃないじゃん!」


「ひ、ひぃ」



 ウッキッキ、と猿の獣人が威嚇してくる。



「お前に用はない。用があるのはあの男だ」



 聞くまでもない。キシガミくんだ。



「アイツの所為で、若の身体は全身打撲でボロボロだったじゃん」



 た、確かに、あの崩れ落ち具合は相当なものだった。墜落する飛行機ももう少しマシな着陸をするだろう。



「そ、そんなこと言われましても……」


「お前に恨みはない。ないが、お前にはあの男を呼び出すための囮になってもらおう」


「お、囮……」



 つまりボクは人質というわけか。



「ほら、わかったらこっちに来るじゃんよー」

「あっ、ちょ、ちょっとやめ……」

「へっへっへ。お前なかなか可愛い顔してるじゃん」



 何故かオサルは文字通り鼻の下を伸ばしてこちらを見てくる。こ、怖い……。



「え、お前そっちの趣味が」

「べ、別にそんなことはないッスよ……っ」



 そんな慌てて否定されると余計に疑い深くなるから止めてほしい。


 い、いや。それどころじゃない。このままじゃボクのせいでキシガミくんが非道い目に遭わされてしまうのだ。なんとかして逃げなくては。



「い、いやまぁ、最近はそーいう多様性も認めていく時代ではあるのかもしれないが」

「だ、だから違いますってば若~~。俺っちは別に」

「あ、ちょっと離れてくれないか」

「え、普通にショックなんですけ────



 ッッッッドーーーーン……



「…………」

「「「「…………」」」」


「痛っっっってぇ……」



 毎度。毎度どうしてこの人はこんな登場の仕方しかできないのだろう。



「は……、ははは。吹っ飛ばされるのがよっぽど好きと見える。死に急ぎの勇者志望者……キシガミと言ったか?」


「……誰だお前ら?」


「もうそのネタは聞き飽きた! ほら、コイツを見ろ!」


「ハイネ。こんなところで何してる」


「キシガミくん、この人たちは──



 ボクが叫ぼうとした矢先、キシガミくんの視線はボクを縛る獣人たちから半鬼の男へと移り。



「……あまり、穏やかな雰囲気ってわけじゃなさそうだな」



 ピリリと、空気が変わる。


 一瞬にして変わったキシガミくんの雰囲気を感じ取ったのか、ボクを縛る猿獣人が息を呑む。

 だが反して、半鬼の男は毅然と口を開く。



「少し予定とは違ったが、手間が省けてちょうどいい。コイツを非道い目に遭わせたくなかったら、僕との一騎打ちに応じてもらおうか」


「一騎打ち?」


「ああ。何も僕はその辺のチンピラとは違うさ。強さの証明は、常に一騎打ちで行われるべきだと思っている」


「なるほど。わかりやすくはある」


「受ける気になったか?」


「ああ。だが、それにハイネは関係ないはずだ」


「ああ、そうだな。コイツはただお前をおびき出すための囮だ。お前が素直に応じれば、何もしないさ」


「……」



 納得したのか、キシガミくんは無言のまま仁王立ちの姿勢を取る。それがキシガミくんの臨戦態勢なのだろうか。



「ふむ。では……」



 半鬼がそう言うと、腰に下げた刀を抜き放つ。不気味なまでに青白い刀身をした刀だ。

 そして同時に、ぽっぽっ、と青い炎がいくつも灯り出す。


(鬼火……、いや──)



「【恩恵ギフト】!?」



 その事実に、思わず驚愕する。


 【恩恵ギフト】は神より与えられた奇跡の力であり、人類が魔族に対抗しうる数少ない力の一つ。悪魔すら殺しうる力なのだ。


 つまり、それほどまでに相手は本気だということだ。



「き、キシガミくん!」


「さぁ、僕の準備は出来たぞ。次は君の番だ。君の【恩恵】を見せてみろ!」



 刀を抜き、【恩恵】を発動した男は高らかに叫ぶ。誇りゆえか、自身の優位を確信してか、それともその両方からか。


 しかし、キシガミくんに動きはない。



「どうした。怖じ気づいたか。僕は【恩恵】を見せろと言ったんだ。よもや、そのままで戦うとは言わ──


「──ない」


「……なに?」


「そんなものはない」


「? 何を言っている。何がないと──


「俺に、【恩恵】なんてものはない」



 男の問いに、キシガミくんはそう静かに答えを返す。


 絶句する。男やその取り巻きたちもそうだが、ボクさえも。その事実に、言葉が出ない。



「冗談を……。【恩恵】がない? そんな馬鹿なことが……」



 男の言うとおりだ。そんなわけがない。


 『魔王侵攻』以降、生まれてくる子供の八割以上が【恩恵】を所持しており、それ以前の勇者に関してもその全てが漏れなく【恩恵】所持者だ。


 【恩恵】なくして勇者になれない。それはこの世界の常識だ。


 この学園においても、【恩恵】の有無は必須事項。【恩恵】がなければ書類審査の時点で落とされる。


 だからこそ、そんなわけがないのだ。

 【恩恵】がないなどと、そんなわけが。


 絶句するボクらを前にしても、キシガミくんは未だ【恩恵】を発動しようとはしない。



「……なるほど。【恩恵】は隠し手……見せたくないわけだ。つまり、一騎打ちをしようという僕の計らいを……無下にしようというわけだ……」



 男の周囲を旋回する鬼火の勢いが強まる。



「貴様を少々買い被り過ぎていたようだ。……もういい。【恩恵】を使う気がないというのなら、貴様は僕にただ殺されろ」



 言って旋回していた鬼火が動きを止める。

 来るッ!



「き、キシガミく──


「【恩恵】所持者の弱点はいくつかあるが──」



 その声が聞こえてきたときには、さっきまでキシガミくんが立っていた場所に姿はなく。代わりに──、



「戦闘素人の弱点は、実にわかりやすい」



 男の真正面から、声が聞こえる。



「慢心。高ランクの【恩恵】という全能感からくる心の隙は、どのような目隠しブラインド魔法よりも目を曇らせる」


「くっ──」



 思わず男は後ろに後退あとずさる。その鼻先を、キシガミくんの拳が掠める。

 同時に、展開していた鬼火が全て霧散する。



「なっ!?」

「そしてもう一つ。鬼の弱点──」



 事態に驚く男だが、この学園の入学を許されたのだ。実力は折り紙付き。その証拠に、不意を付かれ驚きを見せたものの、その手は既に攻撃の始動を完成させている。つまり、迫り来る敵へ刀を振るっている。


 鬼族の剣技。目にするのは初めてだが、その剣技は古の時代より伝わる世界でも有数の絶技だと聞く。その特徴は、風すらも斬る疾き剣。例え体勢に多少の難があったとしても、然程の相手ならば問題はない。


 然程の相手ならば、だが。



(殺っ──)



 た。

 経験から。男はそう確信する。


 だが手に手応えを感じる前に、初めての衝撃が男を襲う。


 頭部に感じる、重い感触。

 人生で初めて角を折られる、感触を。



「それはつまり、剥き出しになった角だ」



 角。角を持つほとんどの生物の弱点は角である。それは角が魔力を貯める貯蔵庫であり、同時に神経を集中させた部位であるからだ。


 鬼の角が弱点。それは周知の事実だが、鬼にとっても絶対に守るべき身体の一部である。だからこそ、その破壊は容易ではないのだが。



(あんなにも簡単にやってのけちゃうんだからなぁ)



 気を失ったように倒れる半鬼の男に、驚き尻餅をつく人質ボクことなど忘れて叫び駆け寄るお供たち。


 言った通り、



(言った通り、【恩恵】は使わなかったな)



 【恩恵】がない。それが本当なのか嘘なのかはわからないが、キシガミくんは【恩恵】を使わずに鬼を屈服させてしまった。人類最強種の鬼を。


 前回と同じように、半鬼の男を担ぎ上げたお供たちはテンプレートな捨て台詞を吐き捨てて去って行き、


 ボクとキシガミくんだけが残された。



「今朝から考えてた」


「え」


「何故俺が魔王に挑むのか、その理由だ」


「あ……、うん」



 そういえば、そんな質問をしていたことを思い出す。



「俺の……俺が勇者になった目的は、姫を助けるためだ」


「お姫さま、を……?」


「姫を助けるのが勇者。子供の頃、そう教えられた俺はそのために修行し、そのために勇者を目指した。そしてこの学園に来た俺は、ようやく助けるための姫を見つけた。そしてその姫はたまたま、魔王だった」



 お姫さまって、たまたま魔王になるものだったっけ?



「だから俺は魔王を倒すと同時に、姫である魔王も助けたい。それが俺の目指した勇者で、勇者としての俺だから」


「……もし、もしそれが、不可能なことだったとしたら? キシガミくんでは叶わない目標だったとしたら?」



 意地悪な質問だったかもしれない。それでも、その答えを聞いてみたかった。何よりも彼に、この勇者に──聞いてみたかった。


 しかしキシガミくんは、首を振る。



「関係ない。たとえ俺が死ぬことになったとしても、俺はそれを辞めようとは思わない。それ以外に、俺の目指す勇者は……ないのだから」



 彼は少し上を見上げる。その視線の先にあるのは、高く聳え立つ魔王の塔。彼が何度も挑み、そして敗れ続ける魔王が君臨する巨塔。


 その視線に、キシガミくんの強さを感じた。鬼をも一撃で倒す力とは違う、強さを。



 もしかしたら。ボクも見つけられるだろうか。彼に着いていけば、未だボクにはない勇者としての目標というものを。見つけられるだろうか。もしもそんなものがあるというのなら、ボクも見つけてみたいものだ。彼のように輝ける、そんなものを。



「ほら」



 キシガミくんが手を伸ばす。

 そういえば、驚いて地面にへたり込んでいたのを忘れていた。



「うん」



 そしてボクはキシガミくんの手を取り、立ち上がる。


 少なくとも、今ここにいる彼は勇者に違いはない。


 ボクにとっての勇者。少し恥ずかしいけど、もうボクには彼がそうとしか映らない。


 いつかボクも彼みたいになれたなら……。



「そういえば腹減ったな」


「もうお昼過ぎてますからね。はい、どうぞ」



 なんとなく。なんとなく念のため用意していた二人分のサンドイッチのうち、一つをキシガミくんに手渡す。



「悪い」


「いえ。……ふふ」


「? なんだ?」



 疑問符を浮かべるキシガミくんに、ボクは首を振る。



「いえ、なんでも」



 本当は、何事もなかったかのように食べ始めるキシガミくんが妙に可笑しく感じたからなのだが、それは言わないでおきましょう。



「やっぱり、シャワー浴びた方がいいですよ」


「むぅ……、面倒だが仕方ないか」


「はい」



 勇者としての目標。ボクには未だないけれど、なんとなく見つかるような気がしてきます。



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