第4話『魔法使いくん、勇者に出逢う』


 とある噂が流れていた。



 噂と言っても、ほぼ公然の事実となっている一つの出来事についてだ。


 曰く、『魔王の塔』に登り、魔王に挑んだ新入生がいると。

 そしてその新入生は魔王と対峙し、あろうことか生還を果たしたのだと。



 そんなことがあるのかと、聞いたときは耳を疑った。


 『魔王』と言えば、今の時代が始まったきっかけであり、現在も続く戦いの要因。

 地下世界『魔界』を統べる『悪魔』の『王』にして、人類の敵の代名詞。


 その上この学園に封印されているのは、魔王の中でも『始まりの魔王』と呼称される、現在まで続く魔族との戦いその引き金となった十人の魔王のうちの、その一人だ。


 その強さは言うに及ばず、かの伝説の勇者が倒すまで何人もの勇者が犠牲になったと聞く。


 強さは折り紙付き。そんな極悪非道なる魔王に挑みに行ったという事実だけでも驚愕に値するというのに、あろうことかその魔王と相対し、力及ばないのは当然としても、生きて帰還しているというのだ。驚嘆と言う他ない。



 そんな人がボクと同じ年齢の同じ学年にいるだなんて、とてもじゃないけど信じられない。ボクなんて魔獣一匹倒すのがやっとだというのに。世界の狭さというものを痛感せずにはいられない。


 もし噂が真実だというのなら、一度でいいから見てみたい。


 おそらく、そう遠くない未来に勇者になるだろうその人を。ボクと同じ年齢で、もっとも勇者に近いだろうその人を。


 一度でいいから見てみたい。




 そう思っていた時期が、ボクにもありました。




 チラリと、隣の席を見る。


 ギロリ。

 帰ってきた睨めつけるような一瞥に、ボクは高速で目を逸らす。


 そこにあったのは初めて見る顔。昨日の入学式にはいなかったはずのその人は、朝だというのに妙に制服が汚れていて。何かと争った後なのかと妙に勘繰ってしまうほどで。そしてなにより──、



 ひそひそとひそひそと、囁く声が聞こえてくる。


 誰かは言った。「アイツだアイツだ」と。

 男の声は言った。「本当かよ」と。

 女の声は言った。「魔王なんかよりよっぽど怖い」と。



 教室中に噂話の声が響く。

 ああそうだ。確かに怖い。魔王の恐ろしさなんて想像もできないが、やはり目の前にある恐ろしさの方がよっぽど現実的で怖い。だからその感想は間違っていないだろう。


 だが待ってほしい。遠巻きに噂している野次馬で怖いと言うのなら、真隣にボクの方がよっぽど恐怖を感じているというものだ。



 ガタガタガタガタ

 あ、ダメだ。震えが止まらない。冷や汗も滝のように流れている。

 こんな状態じゃ授業どころじゃない。どうすれば……、うぇっぷ……吐きそう。



「おい」


「ひっ……ッッッッ!?」



 ギリリと、錆びついた首を声の方へと傾ける。

 そこにはさきほどの冷酷な視線がボクを見下ろしていた。

 殺すぞと、言わんばかりに。



「お前、だいじょ────


「し、失礼しましたーーーー!!!!」



 思わずボク席を立って教室を飛び出す。



 その瞬間、ボクは理解しました。この人には関わってはいけないのだと。ボクがこの学校で平穏無事に過ごすためには、この人を避ける他ないことをボクは察してしまった。


 好奇心猫をも殺すとはよく言ったもの。

 魔王を相手取るような人を少しでも見てみたいなんて、そんなことを考える以前の問題でした。


 この人には近づかない。教室は仕方ないとしても、他はなんとでもなるはず。

 そうだ。この人にさえ気を付けていれば、ボクの安心安全な学園生活は保障されたもの。


 家内安全安全第一、君子危うきに近寄らず。それがボクのモットー。

 なんとしてでも、ボクは安心安全に過ごしてみせます。




 あ、そういえば。皆さん、二度あることは三度あるという諺をどう思いますか?

 皆さんも経験のあるありふれた諺だと思いますが、端的に言って、ボクは嫌いです。


 なぜならボクは────、






 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






 運の悪いそういうことには、滅法縁があるから。



「ギャハハハハハハハハ!!」



 頭に響く声を鳴らして、男らが笑う。

 ボクは少しでもその場から離れたいのに、なぜかボクはその集団の中心に立っていた。


 ……。どうしてこうなったんだろう。ただボクは、一人誰もいない校舎裏でひっそりとお昼を食べていただけだというのに。サンドイッチ片手に図書館で見つけた本を読んでいたら、いつの間にかこの人たちに囲まれていた。



 ……チラ。


 制服を見るにボクと同じ一年生みたいだ。


 だけど違う。この四人は、ボクや他の新入生とは決定的に違う。四人のうち三人は人間よりも身体能力に優れた獣人。それもさるいぬとり十二使じゅうにしに数えられる種族。


 そしてなにより問題なのは、リーダー格のこの人。ぱっと見は細身のだたの人間だけど、その左前頭部に生えた一本の片角が人間との大きすぎる違いを如実に表している。


 鬼種。人類の中でも最強と呼ばれる種族だ。片角を見るにハーフなのだろうが、それでも鬼の血を引いていることに変わりはない。


 三人の獣人を率いた鬼のハーフ。それに何より、この人を見下したような鬼特有の瞳。



 間違いない。この人が、魔王に戦いを挑んだっていう新入生だ。


 そんな人たちに囲まれたボクはつまり……、あ、死んだなこれ。



「おいそこのお前。僕は腹が減った。何か買ってこい」


「ウッキッキッキ! そうだぞそうだ。俺たちは腹が減ってるんだぞ」



 半鬼の男がボクにそう命じると、便乗してお供の申獣人もまくし立てる。



「……で、でもボクお金なんて持ってない──


「は?」


「ひっ、ごめんなさ──


「僕はそんなことを聞いていない。僕は、何か買ってこいと言ったんだ」


「金なんててめぇでなんとかしろゥキィイイ!!」


「ひ、ひえええ?!!! す、すみません……、すぐに行ってきま──



 弱肉強食。太古の昔より存在し、魔王侵攻以降より一層強まったその思想に、ボクのような弱者は為す術などないのだった。


 南無三。ボクの食費。


 その時だ。


 ッド────……、ッガァァアアアアアアアアン…………



「な、何だ?!」



 ボクが涙目になりながら走り出そうとしたところ、背後の壁に何かが激突する。不良たちも思いがけず驚きの声を上げる。



「ん……、痛ててて……」



 土煙立ち昇る中現れたのは、人の形をした影。黒い髪に極悪な目付きをした一人の青年だった。そしてその目付きに、僕は見覚えがあった。



「……どこだここは?」



 爆撃でも受けたかのような衝撃だったはずだが、現れた青年は少し頭をぶつけた程度のリアクションしかしておらず、こっちがどう反応すればいいのか困ってしまうほどに軽いものだった。


 不良たちの方も突然現れた彼に少々怯え気味のようだ。無理もない。



「……? お前ら誰だ」



 青年はようやくボクらに気付き尋ねてくる。



「そ、それはこっちのセリフだ! 貴様こそ誰だァ!」


「俺か? 俺はキシガミ。キシガミ=ユーシャだ」


「キシガミ??」



 その名前を聞いて半鬼の男は首を捻るが、申の男は思い出したように指を刺す。



「わ、若! 思い出したっスよ! コイツあれだ。例の魔王と戦ったって噂の」


「……例の、命知らずか」



 合点がいったのか、半鬼の男の目付きが変わる。


 ボクら一年生の間で持ちきりの噂。例の魔王を戦ったとされている新入生。どうやらそれは、今朝ボクの隣の席に座っていた目付きが極悪な彼、だったらしい。……キシガミという名前は今知ったけど。



「はっ、それが何だと言うんだ。聞けば逃げ帰ったという話じゃないか」



 若と呼ばれた半鬼の男がそう言うと、腰に提げた刀に手を伸ばす。



「どんな理由であれ、僕に歯向かうというのなら容赦はしない」


「いや、俺は別に──


「いい度胸じゃねえか! 若はあの鬼族大家の跡取りなんだぜぇ??」



 猿が言う間にも半鬼の男は刀を抜き放ち、その刀身が露わになる。その刀身は背筋が凍るほどの、蒼。


 鬼族が持つ蒼色の刀……。マズイ……っ!



「っ! き、君っ、今すぐ逃げ──


「え」


「あ」



 つい、青年と声がハモってしまう。それほどまでに思わぬうちの出来事だった。


 喋り終わるのを待たずして放たれた拳は見事半鬼の男の横っ面にクリンヒットし、男は高く宙を舞うと弧を描いて遠くの草むらへと放り込まれた。



「「「わ、若ーーーーーーーーっっ!!!!」」」



 取り巻きの獣人三人は揃って声を上げる。



「悪い。つい、手が出てしまった」



 あれだけ綺麗にキメておいて悪いもへったくれもない気がするのだが。



「わ、若!」


「ダメだ、気絶してる……っ」



 男はどうも気絶しているらしく動かない。取り巻きの三人はそんな半鬼の男をわちゃわちゃと担ぎ上げると、



「「「お、覚えてろよーーーー!!!」」」



 と、テンプレートな一言を言い放って走り去ってしまう。



「あー……」



 まるで嵐の如く去ってしまった四人の後には、恐ろしく強い彼とボクだけが残ってしまった。



「…………」



 気まずい……。



「あ、あの……、助けてくれてありが――」


「それで、お前は誰だ?」


「え……」



 ぐぅう〜〜〜〜



「そういえば、腹が減ったな」



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