第3話『学長室にて』
「っぐ!」
雑に地面へと放り捨てられて、ユーシャは堪らず息を漏らす。
「捕らえて参りました、学長」
対して放り捨てた男は悪びれた様子も気にした様子すらもなく、腕を後ろに組み部屋の奥に目を向けている。
背の高い、筋肉隆々の体つきをした男だ。その鍛え抜かれた体といいジャージのような服装といい、どこか体育教師を思わせる。とりあえず、コイツのことは体育教師と仮称しよう。
「ふぉっふぉっふぉ。そう手荒にしなさんな先生」
聞こえてきたのは、聞いただけで老齢とわかる嗄れた声。部屋の奥に立つ、老人の声だ。
「しかしですねぇ、学長」
「厳しさも必要ですが、優しさというのもまた必要なものですぞ」
ふぉっふぉっふぉ、とその長い白髭を弄びながら笑う老人に、体育教師は開き欠けた口を閉じ、ユーシャの後ろ手に縛った縄を引っ張り、強引に体を起こさせる。
「此奴の名はキシガミ=ユーシャ。昨日、我が校に入学したばかりの新入生です。そして、神聖なる入学の儀にも出席せず、今日と同じく、あろうことかかの塔に侵入していた不届き者です」
「ふぉっふぉっふぉ。聞いておるよ。例の、ちとやんちゃな
「やんちゃなどと!」
おちゃめにこちらをチラ見する老人に、体育教師は青筋を立てて怒鳴る。
「紛うことなき問題児ですぞ! 塔への侵入は立派な校則違反だ。それも入学当日から、二日連続で! 面接時の精神鑑定をなぜ通過できたのか、甚だ疑問でなりませんな。きっと、何か偽装工作をしたに違いありません」
ありもしないことを体育教師はぺらぺらと宣う。どうやらユーシャは相当嫌われてしまったらしい。
「ふぉっふぉっふぉ。試験での工作が不可能なことは、先生もよくご存知でしょうに。面接に問題がなかったということは、この子にはちゃんとした勇者精神があるということですな」
「しかしですねぇ!」
なおも食い下がる体育教師に、老人は片手でそれを制す。
「まぁまぁ、そう熱くなりなさんな。生徒がはめを外すことはままあることですじゃ。入学の時分ともなれば尚のこと。それに、聞けばこの子は魔王に挑みに行ったそうではありませんか。今時珍しい、勇者精神溢れる少年じゃ。そんな子を入学早々退学にしてしまうのは学園の損失、ひいては世界の損失に繋がりますぞ。違いますかな?」
ぱっちりとウインクをして老人はユーシャに目配せする。どうやら老人の方──学長は、ユーシャの味方をしてくれているようだ。
「ですが、規律は必要です。規律がなければ増長する他の生徒も現れましょう。何の処分もなしというのは、筋が通りません」
体育教師のまともな正論に、学長は「うむぅ」と呻る。そこはもう少し威厳を示してもらいたかった。
「おやおやこれは。なかなか、面白そうな少年がいるではありませんか」
老人が言い負かされそうになっていると、どこからともなく火山の唸りのような低い声が部屋の空気を震わす。
見ればいつの間にか、部屋の中央に置かれた来客用のソファにはどっかりと優雅に腰を下ろす黒い服の男が我が物顔で座っていた。
「おお、帰ったか」
何の前触れもない男の登場に、学長は特に驚きもせず声をかける。
「ええ、つい今しがた」
「思ったよりも早かったようじゃが?」
「わたしには十分過ぎるほど長かったですよ。実りのない年寄り共の話を聞かされ続けるのは、悠久の時を生かされ続けるよりも退屈だ」
「ふぉっふぉっふぉ。お主が言うと、言葉の重みが違うのぉ」
皮肉にも聞こえる男の言葉を聞いて、なぜか学長は楽しげに髭を撫でつける手を弾ませる。
「で、彼が例の?」
と、唐突に男の灰色の瞳がユーシャを見つける。
「ふぉっふぉっふぉ。耳が早いようじゃの」
「ええ。帰って報告をとこちらに立ち寄って見れば、何やら面白い噂話を聞いたものでね。なんでも、あの幼き魔王に挑みに行ったとか」
「ふぉっふぉっふぉ。どうやら、そのようですじゃ。今時珍しい、勇者精神溢れる──
「やあ少年」
気に入ったのか同じ言い回しを繰り返そうとする学長を無視して、男は腰を屈めてユーシャに視線を合わせる。
「取り込み中のようだが、君の名を聴かせてもらえるかな?」
「……ユーシャ。キシガミ=ユーシャだ」
「……ほう」
何が気になったのか、ユーシャの名を聞いた男は目を細める。
ユーシャが男の意図を図りかねていると、ロープがさらにキツくユーシャの身体を締め上げる。
「貴様! 誰に向かって口を利いているか!」
「まあまあ先生。……それで、君は何故魔王に挑もうと?」
男は青筋を立てて怒る体育教師を笑顔で宥めると、さらに質問を繰り返す。
「単純に自身の力を確かめたかったのか、それともただ名誉のためか、それとも──」
「簡単な話だ」
その問いに、ユーシャは真っ直ぐと男の目を見つめ、答える。
「俺はあの魔王を塔から救い出したかった。ただ、それだけだ」
「ほう」
「なっ……」
「ふぉっふぉっふぉ」
三者三様の反応を見て、まず吠えたのは当然のごとく体育教師だった。
「貴様、言うに事欠いて何をっ!」
「誰であろうと、女の子をあんな塔の中に幽閉するなんてことは間違っている。俺は囚われの姫を助けるために勇者となった。それがたとえ、魔王だとしてもだ」
「貴様っ!」
「はっはっはっはっは!!」
激昂する体育教師の言葉を塞いで、男は高らかに笑い声を上げる。
「しゅ、守護者殿?」
「いや。いやいやいや。面白い少年だとは思いましたが、これほどにおかしな思想を持った少年は久しく見ていない」
相当ウケたのか、男は屈強な肩を未だクツクツと震わせ、強面の顔に涙を浮かべている。
そうして一通り笑い終えると、
「学長殿。ここは私の顔に免じて、この少年への罰はなかったことに」
そんなことを言い始めた。
「なっ!」
「うむうむ。そう改まって言わんでも、もともとそのつもりじゃて」
「なっ!?」
意外過ぎる助け舟と髭を撫でる学長の反応に、体育教師は一人面食らう。
「学長! それでは示しが付きませんぞ!」
「む、むぅ……。しかしのぉ、先生」
「他の先生方に聞いても同じことを仰るはずです! 今一度、厳正なる──
バンッ!!!!
「申し訳ありませんでした、学長!」
再び体育教師の口を閉ざしたのは、勢いよく開かれた両扉の音と、明朗快活な女性の声。
切れ長の眼と一つ結びの長い黒髪が特徴の女性が、男ら四人で埋まる学長室へと押し入ってきたのだ。
「おやおやこれは、キアラ先生」
キアラと呼ばれた女性教師は迷いのない足取りで室内へ入ると、体育教師もかくやという張りのある声で言う。
「昨日に引き続き、うちのクラスの生徒がまた問題を起こしたとのことで」
「その通りですぞ先生! 入学したてとはいえ、貴女の指導不足が元々の原因で──
「ふんッ──」
「ブ────!?」
それは、見事なまでの腹パンだった。
体育教師がつらつらと説教を垂れる中、ノーモーションからの華麗な左フック。あまりにも事前動作がなさ過ぎて受けた者は受け身すらまともに取れず、瞬時に意識を奪われる。
すなわち、受けたユーシャの目の前が真っ暗になった。
「それでは、失礼いたします。指導の方は、私からきっちりと言い聞かせておきますので、どうかご容赦を」
そうして、まるで竜巻のように女教師は学長室を去っていく。
ユーシャ一人を、ファイヤーマンズキャリーで担いで。
「ふぉっふぉっふぉっふぉっふぉ!」
「笑っている場合ではありませんぞ、学長! よろしいのですか!」
「よいも何も、彼の担任は彼女なのですから。彼女に任せるのが筋というものですぞ」
思わぬ意趣返しを食らい、体育教師はそれ以上何も言えなくなる。
「なんともまぁ、縁というのは不思議な星の下に生まれるものですなあ」
「そうかもしれませんなぁ」
そして男も意味ありげに笑う。ニヤニヤと、何かを期待するかのように。
「して学長殿。本題なのですがね」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「……お久しぶりです」
女教師──キアラに担がれながら、ユーシャは意識を取り戻す。
その浮かない表情は、決して意識を失っていたからではなく。
「……ああ」
そしてキアラの重い声も、決してユーシャの体が重いからではないのだろう。
「……教師に、なっていたんですね」
「まぁな」
かつかつと歩く足音だけが、清廉な白の廊下を満たす。
窓の外から降り注ぐ陽光は明るく、閉ざされた空間であってもなお春の陽気を感じ取ることができる。
だがそこにある空気だけは、色めく春の空気とは裏腹に、どこか重く暗く、静かに澱んで見える。
「師匠、俺は──
「先生だ。ここではそう呼べ。それにあたしはもう、お前の師匠じゃない」
「……先生」
指摘された呼称を改め、ユーシャは語る。
「俺はまだ、諦めてなんていませんから」
「…………」
重い空気はやはり変わらず、一つの足音は長い廊下を進んでいく。
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