第1話『少女は魔王でお姫さま』
「俺と戦え、魔王」
「…………。」
強く拳を握り、青年は真っ直ぐな瞳で訴える。
鋭い吊り目がちな双眸に、短く切り揃えた黒の短髪。実直かつ堅いその表情は彼の遊びのない性格を如実に体現していると言っていいだろう。
キシガミ=ユーシャ。十五歳。昨日付でここ勇者学園の生徒となったばかりの、ピカピカの新入生である。
対して、ユーシャが拳を向けるその相手は──、
「…………」
正面で宣うユーシャには一切目もくれず、上品に朝の食事に手をつけていた。
黄金を流したような細く長い金の髪に、夜空を思わせる紫紺の瞳。落ち着き払った立ち居振る舞いとは似合わぬ、白く細い小さな体躯。
昨日ユーシャが保護しようとし、そして窓の外へと蹴り飛ばした少女がそこに座っていた。
ちなみに、今朝のメニューはイングリッシュマフィンにベーコンとタマゴ、そしてチーズを乗せた香ばしい薫り漂う英国の代表的な料理、エッグベネディクトだ。
しかしユーシャもそんな少女の様子を気にせず、話を続ける。
「昨日は不意打ちでやられはしたが、俺に二度同じ技は通用しない。だからもう一度、俺と戦え魔王」
もう一度。ユーシャは強い意志を込めてそう告げる。
それを聞いてか、少女はナイフとフォークを置く。そして勿体振るように口元をナプキンで拭うと、口を開く。
「……誰かと思えば、昨日のヒヨッコ勇者ではないか。相手をしてやりたいのは山々だが、見ての通り今は食事中でな。話なら後にしろ」
「そんな理由で──
「 後にしろ 」
「……っ」
気圧されるようにユーシャが押し黙ると、少女は再び食事を再開する。
「マロン、茶を」
「かしこまりました、お嬢さま」
少女の指示に、傍に控えていたメイドが茶を注ぐ。芳香な香りが湯気と共に場を満たす。
「勇者さま。よろしければ、勇者さまもご一緒にお食事を」
「よせマロン。そんなヒヨッコにお前のメシを与えてやるなんぞ勿体ない。それに、勇者などと過大な名で呼んでもやるな」
「…………」
「ふぅ。今日の朝食も美味かったぞ、マロン」
「もったいないお言葉です、お嬢さま」
四半時ほど経って、ようやく少女は食事を終えた。
少女は食事の余韻に浸りながらゆったりと茶を啜り、少し向こうに座るユーシャを一瞥する。
「しかし。まさか本当におとなしく待っているとは思わなんだぞ、ヒヨッコ勇者よ」
「食事中に騒ぐのは非常識だと理解している。たとえそれが、魔王相手でも、だ」
「ほう……」
魔王と呼ばれた少女は笑みを消す。
「そして俺は、ヒヨッコ勇者でもない」
だがすぐに口の端を吊り上げ、その鋭い歯を光らせる。
「前半は素直に感心してやる。せっかくの楽しい晩餐を、勇者を名乗る愚か者共に台無しにされたことは一度や二度ではないからな。その点を鑑みれば、貴様はそこいらにいるエセ勇者共よりかは幾分常識的と見てやろう。どうだ? 将来はマナー講師なんかを目指してみる気はないか? 勇者などよりよっぽど向いているやもしれぬぞ?」
「俺は勇者だ」
あくまで茶化して煽る少女に、ユーシャは断固として答える。
「ふん。勇者……、勇者ねぇ。なるほど、それで我か」
合点がいったとばかりに今度は片方の眉を吊り上げ、小さな体で見下してくる。
「確かに、世間に勇者と認められるには『魔王』を退治するのが手っ取り早い。この世界に勇者を名乗る者はごまんといれど、真の意味で『勇者』の称号を持つ者は多くない。そしてその称号を手にする条件は等しく一つのみ。『魔王』を殺すことだ」
最後の一言を強調して、件の『魔王』はにたりと嗤う。
「なるほどなるほど。今時そんな称号に拘る人間も珍しいが、魔王を倒して名を上げたいというのであれば納得だ。その若さで感心すべき心持ちではあるが、だからこそ残念だ。じつに青い。青過ぎるぞヒヨッコ勇者よ。ただの勢いで討ち勝てるほど、『魔王』の称号も甘くはないぞ?」
金糸が揺れる。すらりと伸びたたおやかな指も、露わになった白い肩も、片膝を抱いて行儀悪く椅子に座るその姿も、それは紛れもなく幼子を思わせる少女のもの。
しかしながら、そこからこちらを覗き見る夜色の瞳だけは、決して少女のものとは思えない。目にするのも相対するのも初めてではあるが、それは紛うことなき魔王の瞳なのだと、ヒヨッコと呼ばれた青年は肌で感じる。
「何を勘違いしているのかは知らないが」
だからこそ、動じるわけにはいかない。
「俺の目的は、そんなものじゃない」
「なに?」
予想と違う答えに、さっきまでの空気が嘘のように
「俺が勇者になった目的は一つだ。
『囚われの姫を助けること』。
それが、勇者になった俺の唯一の目的だ」
そしてユーシャは再び拳を握り、魔王へ向ける。
「だから魔王、俺と勝負しろ。そして俺が勝ったら、俺と共にここを出るんだ。俺はお前を、助けに来た」
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