天使を堕とす
常磐わず
天使を堕とす
狩りの最中、誤って天使を撃ち落とした。白い塊が、木々の枝を折りながら落ちていく。次いで、肉が地面にたたきつけられる音がした。鼓動がやけにうるさかった。
冬の陽は、鋭く目に刺さる。猟銃を背に携え、辺りを見回しながら落下地点へ向かった。天使は、死ぬのだろうか。どう償えばよいだろう。法は裁いてくれるだろうか。踏み潰した落葉がガシャガシャとうるさい。木々の陰に見落とさぬよう、急く気持ちを抑えて進む。
二時の方角から、鳥の羽ばたく音が聞こえた。目を向けると、枯れ葉の上に何かが横たわっている。吸い寄せられるように歩みを進めるにつれ、鉄さびの匂いが濃くなっていく。
そこに、天使がいた。羽は赤く滲んでいる。しかし、近づいて観察すれば、元は深雪のように白かったのが分かった。気品あるブロンドの髪、透き通るような肌。薄い唇から漏れる呻き声さえ、天上の調べのように優美に聞こえた。
私のせいで血を流しているというのに、その完璧な美しさを卑しい手で損なうことが恐ろしく、触れることを一瞬ためらった。これほど神聖な生き物を、これから先を含めた生涯において、私は彼の他に知らないだろう。その美しさが浮世離れしたものであることを認めれば認めるほど、罪深さを思わずにいられなかった。
「すみません、すみませんすみませんすみません……」
彼に許しを乞うているのか、神に懺悔しているのか、自分でも判然としないまま、彼の服を破いて傷口を縛った。破いたその服もまた深雪のように白く滑らかな手触りで、自分のような只人が触れていいものと思えなかったが、自分の衣服は清潔ではないために仕方がないのだと、心中で申し開きをする。
白い布に血の赤が滲んでいく。私は彼を背負うと、森を駆けた。
医者に見せるわけにはいかなかった。もし誰かに目撃されたならば、鑑賞のために幽閉されるか、研究のために解剖されるか、あるいはもっとおぞましい目的のために彼の尊厳は奪われるだろう。自宅に置こうにも誰かが訪ねてくるかもしれない。走りながら考えて、納屋に匿うことに決めた。森を抜けると、日は沈みかけていた。
常には通らない道を行き、納屋に着く。腐りかけた床板に横たえてもなお、天使は美しかった。精神も肉体も疲弊していたが、休んでいる暇はない。傷口を縛っていた布は血を吸い切れていないので清潔な包帯に替え、布を濡らして彼の口に含ませてやり、夜通し看護した。
人間とは比べるべくもない回復力で、三日後には天使が意識を取り戻した。弱った身体にせめて消化のいいものを食べてもらおうと粥やらなにやら用意できるものを勧めたが、天使は柔らかな微笑みを浮かべてそれを断った。
「私たちに、食べ物は必要ありません。ただ、時間だけが必要です。こうして匿ってくださるだけでありがたいのですから、どうかそのように畏まらないでください」
澄んだ美しい声と、加害者である自分を慮るその純粋な心に、私はますます恐縮しきりだった。
「本当に、申し訳が立ちません。どう償っても、償えるものではありません」
「こうして身の回りの世話をしてくださるのが、十二分に償いになっていますよ。だから、どうか顔をお上げになってください」
その言葉に涙があふれて、やはり私は面を上げることができなかった。
それから毎日、私は用心深く、けれどもその用心深くあるさまを隣人に悟られないように、生活の合間を縫って物置へ行き、天使を看病した。
ひと月もたたないうちに傷は塞がったが、右翼が思うように動かないと、床の上で天使は言った。
天使は、私にナイフを手渡した。
「私は、もはや天上へは戻れない。人として暮らすにも、この翼では目立っていけない。どうか、切り落としてくれないか」
彼は、微笑んでいた。
ナイフを握る手が汗ばむ。刃が、冴え冴えと光っていた。頭が回らない。心臓がけたたましく喚く。
私は泣きそうになりながら、天使の背後に跪いた。痛ましい傷跡が、眼前にあった。
そうだ、私は償わなければいけない。
彼の言葉に服従することが贖罪になると信じて、彼の白く薄い肌に、刃を突き立てる。
それからの記憶は、ひどくおぼろげだ。ナイフの切れ味が悪かったこと、早くこの時間を終わらせてほしいと祈ったこと。私の荒い呼吸と、笛の鳴るようなか細い天使の息。血の匂い。悪夢のような時間だった。
彼の身体からようやく翼が切り離されたとき、辺りはすっかり暗くなっていた。力が抜けて座り込む。床についた手が、ぬめり気のある液体で濡れた。ありがとう、と掠れた声が聞こえた。天使の血は、まだ温かかった。
二度目の療養には、半年を要した。隣人には遠方から引き取った親戚だと説明し、天使は人として、すっかり村に溶け込んだ。
彼は、教師になった。温和で優しい人柄から子どもに慕われている。
朝、私たちは共に起きて食事をし、昼はそれぞれ働きに出て、夜ごと私は懺悔する。そして、そんな私を彼は不思議そうに眺める。
今の彼にとって、私は、病に伏せていた彼を看病し、生活に必要な金を工面した叔父だった。下界に長く居たためか、帰れぬ悲しみで精神を病んだか、それとも私が狂っているのか。理由は定かではないが、彼が天使であることを覚えているのは、もはや私だけだった。
あの日、群青の空に無垢な翼が羽ばたいていた。ブロンドの髪が西日に煌めいて、青い瞳に吸い込まれるように目が合った。引き金を引いたのが、故意だったか過失だったか、自分でも分からない。
今、天使は天使であることを忘れて、私の傍らにいる。私を苛む罪悪感は苦く、けれども甘美な味がする。
天使を堕とす 常磐わず @GreenInThePast
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