33 決死の和合

 結界を展開させて、笑花をすぐに発見できたのは不幸中の幸いだっただろう。


 一昨日の深夜、この学校に乗り込んだ時点で境界は酷く歪んでいた。加えて巣くっていたのはA級以上と思われる巨体な悪鬼――。


 予断を許さない状態なのは間違いないが、あの悪鬼は。こちらから境界を越えない限り<現世>に影響を及ぼすようになるまでには、まだいくらか猶予がある。

 補助要員の傍ら「どうせ自分達に依頼が流れるだろう」と踏んでリサーチもしていた架美来は、そう結論づけて今晩まで結界の準備を念入りに行う方向性で進めていた。


 だがその考えが、甘かった。


 まさかあれが、たった一日で境界を激しく歪ませ、<現世>に干渉する力を持っていたなど思いもしなかった。

 そしてそれが、自分の為に動いてくれたクラスメイトに及んでしまうとは――。


 しかし、過去を悔やんでいても仕方がない。


 幸か不幸か、被害に遭ったのは笑花一人だけだ。


 不完全ではあるが、昨日フウカが張った五種結界と人払いの結界はいつでも展開できる状態だった。後は悪鬼が未成熟な内に笑花を救出し、後から自分で討伐すればいい。万が一遭遇したとしても、逃げ切って鬼丸の力を借りれば滅する事自体は難しくないはずだ。


 そう判断して日没を迎える前に急ぎ単身で境界の狭間に乗り込み、遠くに聞こえる悪鬼の咆哮の方へ進んでいた矢先、笑花の姿を発見した。

 負傷もしていない。五体満足だ。だが(なぜ一緒にいるのか分からないが)クラボッコの妖怪に身体を揺すられている笑花は、明らかに様子がおかしい。ぐったりと床にへたり込んで苦しそうに顔を歪ませている。


 急いで笑花に駆け寄り、クラボッコを押し除けて笑花の身体を抱き寄せる。

 やはり目立った外傷はない。


 だが、笑花の魂が現世と常世の狭間でズレが生まれている。

 つまりは、次元の歪みのせいで肉体と精神の乖離が起き始めている。


「おい、そこのお前。宮本はいつ倒れた?」


 側のクラボッコに尋ねると「ついさっき、化物から逃げてん時急にぶっけってぇ……」とオドオドと答えた。


 さっき、という事は乖離が始まってまだそこまで時間が経っていない。

 心の内で密かによかった、と安堵する。


 だが、幼少期から鍛錬を積んでいる架美来や、クラボッコのような妖怪など歪みに耐性がない人間がこのまま境界に止まれば、肉体に魂がない廃人と化してしまう。もしそうでなくても、もうすぐ近くまで迫っている悪鬼に追いつかれれば命どころの話ではない。


「俺が出口まで誘導する。そこの妖怪、お前もついて来い」


「わ、わがったぁ……」


 ベストのポケットから人型の白紙を取り出し、架美来がフッとそれに息を吹きかけると、その紙はたちまち姿を変え、小さな黒の小鳥になった。小鳥はその場で羽ばたいていたが、架美来が笑花を片腕に担いだのを見て、パタパタと前へ飛び始めた。


 出口まで誘導しているかのように飛ぶ小鳥の後を、架美来達も急ぐ。


 あらゆる景色が捻じ曲がった外廊下へ向かい、体育館。

 歪な道を小鳥の道標を頼りに進んでいく。


 職員室、六年の教室、そして用務員室――。


 壁の目立たない位置に張られた龍神の護符を見て、架美来は密かに胸を撫で下ろす。


 この場所に辿り着けたという事は、さっきよりは<現世>に近いポイントまで来ている。

 悪鬼を撒くように逃げていたつもりだが、これなら振り切れるかもしれない。


 用務員室のロッカーを開けて飛び込むと、架美来達は広い校舎の裏庭に出た。

 ここから校庭にさえ辿り着ければ、笑花を<現世>まで送り届けられる。


 安堵しかけた、その時だった。


 グオオォオオオオォォォォォ――――ッ!!


 耳を劈くような咆哮と凄まじい轟音。


「なッ?!」


 音の方を振り返り、クラボッコと架美来は同時に息を呑んだ。

 初対面でもすでに巨体だった悪鬼――それがなんと、一回り巨大化した状態で出てきたのだ。


 もはや悲鳴すら上げられずあんぐりと口を開けるクラボッコに対し、架美来は堂々と悪鬼を鋭く睨んだ。


「だよなぁ。そんな簡単に、逃しちゃくれねぇよなぁ」


 校舎を乱暴に壊しながら近づいてくる悪鬼に、架美来はニヒルな笑いを向けた。


 余裕ぶってはみたものの、状況は全く笑えない。

 笑花を救出する最中に見つかってしまった上、この悪鬼は思った以上に成熟してしまっている。この様子では逃げる事はおろか、日が沈み切り強力になった悪鬼の呪力に運悪く当てられてしまっては命も危うい。


 考えうる限り最悪のパターンだ。


「ウトウ、コイツらを最優先に護れ。万が一があったら、鬼丸に伝えてくれ」


 笑花をそっと地面に下ろしながら架美来が言うと、小鳥――ウトウは、それに従うように、泣き顔のクラボッコに寄り添われている笑花の肩に止まった。


「なぎらさん……いっちゃ、だめ……」


 か細く震える息遣いの笑花に架美来は微笑を向け、背負っていたケースから黒槍を抜き出し、そして悪鬼の前に構える。


「来いよ暴食野郎。その太っ腹、お望み通り綺麗に捌いてやるよ」


 暴れ回る悪鬼を見据え、架美来は地面を強く蹴った。





 一方、境界の迷路をひたすら突き進んでいたホムラ達も、凄まじい轟音と共に起こった校舎の崩壊を目撃していた。


 先導する白狐も、その後ろをついていたホムラと小鬼も足を止めて、暴れ回りながら校舎を破壊する暗鬼の姿に声を呑んだ。


「マジかよ……」


 魔が物は、人の肉体と魂を好んで喰らう。

 ならば、その悪鬼の近くに迷い込んだ人間笑花がいるかもしれない。


 そう言う白狐に従って、魔が物の匂いを辿りながら(ホムラには匂いが分からないが)この酷い歪みの空間を巡ってきた。


 上からプールを覗いた時に見える水中の歪みのような世界。

 あり得ないワープをする扉。

 同じ学校とは思えない異空間でも、ここまで迷わずに来れたのは白狐と、そして小鬼のお陰だろう。


 道中の小鬼の話では、彼らの暮らす下界も悪鬼の咆哮から異変が起きたと言う。


「せづねぇアレの声さ聞こえて、したっけ急にクラボッコが消えちまった。あいつだけじゃねぇ。他のヤツもいなくなって……」


 未だ激しく動揺している小鬼の話を聞いている矢先、ホムラ達も体育館裏まで辿り着き、そして巨大な悪鬼と校舎の崩壊を目の当たりにしたのだった。


「ホムラ様……」


 校舎を破壊しながら一目散に何かに向かっている様子の悪鬼に、白狐が厳かな眼差しをホムラに向ける。


 あそこに、笑花がいる。


「行こう」


 そうして確信に導かれるままホムラ達も裏庭に辿り着いた時、すでに架美来と悪鬼の戦いは熾烈を極めていた。


 すでに身体のあちこちを負傷しながらも、一体どうやっているのか跳躍を繰り返しながら黒槍で巨体な悪鬼を突き続ける架美来。


 そんな激しい戦いに巻き込まれないよう、裏庭の隅で丸く縮こまっている小さな妖怪クラボッコと、ぐったりとうつ伏せになっている少女――笑花の姿が視界に入った途端、ホムラは一目散に駆け寄った。


「笑花っ!!」


 笑花の身体を強く抱き寄せる。

 意識を失いかけているのだろう。薄目のまま風前の灯のような儚い息を漏らし、しかしホムラの服を掴んで訴えかける。


「ホムラ……なぎら、さんが……」


 笑花の言葉にホムラも、後からやって来た白狐と小鬼も、そして笑花の側につくクラボッコでさえも、不安げに顔を曇らせる。


 言いたい事は、分かっている。

 傷一つ付いていない悪鬼に、全身に負傷を負っている架美来。


 どちらが優勢なのかは一目瞭然だった。


 しかし、ここにいる誰もが悪鬼を倒せるだけの力も、架美来以上に戦える力もない。

 何もできず、ただこの戦闘が終わるのを黙して待つ他ない。


 やるせ無い雰囲気が流れる中、とうとう悪鬼の猛進をかわせず架美来の身体が宙に舞った。辛うじて槍で直撃を防いだものの、そのまま地面を二転、三転し、ホムラ達のすぐ前で架美来の身体が倒れ伏した。


「凪良ッ!」


 頭から血を流し、肩で息を弾ませて立ち上がった架美来は、呆れ返った顔で、しかし安堵した表情でホムラ達の方を見つめた。


「……すぐに宮本を連れて行ってくれ。精神が完全に乖離する前に……。そこの神獣なら現世までの道ぐらい分かるだろ」


「貴女はまた、一人で戦うおつもりですか」


「凪良の防人が、二度も尻尾巻いて逃げると思うか?」


 白狐の問いに笑って、再び悪鬼に向き直る。


「よく聞け。ここはまだ並の人間じゃいられない<現世>から離れた位置の境界だ。いくらアイコさんでもこの地点までは潜れない。あとは馬鹿でも分かるよな」


「凪良は、どうすんだよ」


「コイツをブッ潰すまで戦う。それだけだよ」


 息を吸って、吐いて。

 槍をおもむろに構え、架美来は一言、言い残した。


「宮本を、頼むよ」


 槍を力強く握りしめ、疾風の如く悪鬼の元へ向かう架美来の背を、ホムラは黙って見届けるしかなかった。


 ここから逃げれば、笑花も自分達もきっと助かるだろう。戻って熊野に事情を説明すれば、陽満に助けを求められるかもしれない。


 だがそれは、架美来をここで見捨てると言う事だ。

 何もできず、ただ逃げた夜と同じように。


 だが、あの時と違う事が、一つだけある。


「白狐」


 真剣な眼差しで白狐の目を見つめる。しかし、白狐は顔を歪ませて首を横に大きく振った。


「あれは最後の奥の手と申し上げたはず。私は、貴方に傷ついて欲しくないのです」


「オレは、もう逃げたくない」


 手を前に差し出して、もう一度白狐の目を見つめて、必死に訴える。


「お願いだ、白狐」


 白狐の真紅の瞳が強い迷盲に揺れる。

 しかし、この訴えがただの安直な決断ではないと伝わったのか。

 意を決したようにホムラの手を取って、しっかりと握る。


「よろしいの、ですね」


 最後の問いに、目を見て頷く。

 その瞬間、ホムラの身体が


――先程肉体それ自体が境界であると申したな。再誕の儀は、まず御主が自身の境界を破る事から始まる


――しかし御主はすでに一度、己の境界を破っているのではないか?


 烏の話を聞いて、思い出した。


 あの白い夢の最後。

 握った手から広がった焔で、自分自身が燃え盛っていた事を。


 だから、これしかないんだと。

 そう思って覚悟を決めたはずだ。


 でも、熱い。


 喉は焼け、目が沸騰し、全身が経験もした事のない程の痛みに犯される。


 熱くて、熱くて、熱くて。


 業火に焼かれるとは正にこの事だ。

 悲鳴を上げる口すらもただれ、どんな言葉も発する事ができない。


 それが数秒の事か、あるいはもっと長い間の事だったのか。


 辛うじて保っていた意識が失われかけた時、目の奥に眩い光が差した。


 強烈な光を発するもの。

 手を必死に伸ばし、掴んだ瞬間――。


 自分の魂がそれと強い糸で結ばれた感覚がした。




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次回、【白光の焔 第34話】の更新日は【12/28(土)】です。

どうぞお楽しみに!


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千代五星異聞奇譚 白光の焔 トヨタ理 @toyo_osm12

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