保存された記憶
@royalmaguro
保存された記憶17
ブラインドを開けるとそこにはいつもと変わらない摩天楼が広がっている。当たり前だ。一日で窓の外の景色が大きく変わるなんて核戦争でも起きない限りあり得ないだろう。
空を見上げると大きな電子広告がいくつも付いた飛行船が飛んでいる。落ちないか心配だ。
外ではところどころ雨が降っていて時折雨が電飾に触れる音が耳に入ってくる。
帝都の上層から落ちる影とスモッグのせいで朝と夜の判別が出来ない。しかし私が起きたということは恐らく朝だろう。そういう設定が肉体に備わっているからだ。
重い身体を起こし、朝食を取りに冷蔵庫へと向かう。
やけに頑丈そうな冷蔵庫を開けると中には栄養食品がぎちぎちに詰まっている。朝食といっても上流階級の人たちが食べているふわふわのパンやジュースではなくドロドロの栄養食品だ。
私のように帝都の下層に住む人造人間が食べ物を食べられるだけまだましだ。中にはごみや鉄くずを食べている奴らもいるからだ。だが私も栄養食品で満足しているわけではない。いつかは肉や魚を食べてみたいと思っている。
朝食が済んで、今日のスケジュールを確認する。午後に仕事が一件入っていた。
私はデスクを引き寄せて今日の依頼の作業を始める。モニターから放射される青白いライトを浴びながら依頼者の情報を打ち込む。
少し作業を進めたところで私の文字を打つ手が止まる。記憶の改竄に必要なカセットが尽きていたことを思い出した。私は立ち上がり急いで買い物へ行く支度を整える。
電飾が付いたお気に入りの帽子を浅くかぶり外へ出る。雨とスモッグの臭いで肺が悲鳴を上げそうだ。やはりマスクを買うべきだろうか。そんなことを考えながら目的地へと足早で向かう。
街は朝にもかかわらず電飾が輝いている。ときどき上層の切れ目から雨が落ちてきて、お気に入りの帽子を濡らしてゆく。
町中を満たすスモッグは道端に転がっている酔っ払いや、電子ドラック中毒者たちの存在をあやふやなものにする。
しばらく歩くと上層へ行くための昇降機が現れる。この昇降機は帝都内にいくつもあるが、そのすべてが途轍もなく高く、顔を限界まで上げてやっと最上階が見える。
昇降機を左に曲がると、ようやく目的地が見えてくる。
目的の店へ到着した。この店は個人経営で人体改造用品を製造している数少ない店だ。私の設計した記憶移植用のカセットも作ってくれている。
ゆっくりとドアを開け店内へと入る。店内は薄暗くピンクと水色の照明が商品である義体をぼんやりと照らし出す。
奥に進むとカウンターがあり、その上にブザーが置いてある。私はブザーを鳴らして客が来たことを知らせる。
少し待つと店の奥から店主が出てきた。店主の顔は機械で覆われていて、声を用いた会話ができない。言葉を聞き取ることはできるらしい。
「おはよう、例のカセットをあるだけ頂戴」
私がカセットを注文すると店主は無言で店の奥へと消えていった。
しばらくすると店主が戻ってきてカウンターにカセットを三つ置いた。それから料金の請求メッセージが届いた。私は電子マネーで支払いを済ませて店を後にした。
店を出て昇降機のある交差点に差し掛かる。
何か嫌な予感が私の脳に流れ込む。
すると突然の爆発音。私は混乱した。思考を遮るように昇降機が崩れ落ちる。
それをただ茫然と見ていた。治安維持部隊と消防が来てようやく冷静さを取り戻す。
昇降機が狙われたことから察するに反政府組織によるテロだろう。最近、反政府組織による帝都の上層と下層を結ぶ昇降機の爆破事件が多数起きている。
今回の爆破もそれと同様の事件で間違いないと思う。それにしても物騒な世の中になったものだ。私は爆破現場を横目に家へ帰った。
家について仕事の続きに取り掛かる。依頼者の情報を打ち込む作業が終わり、買ってきたカセットが不良品でないことを確認する。
あの店主の腕前は信用しているが、人間に埋め込むことを考えると品質管理を徹底しなければならない。
カセットを疑似人体に差し込み、動作確認を行う。どうやらカセットの品質は三つとも問題なさそうだ。
作業がひと段落したときにはもう正午だった。
お茶を薄めに淹れ、ネットニュースを見ながら依頼者を待つ。ニュースでさっきの爆破テロの情報が流れてくる。
どうやら今回のテロでは死者は出なかったようだ。この前は爆破テロの後に反政府組織と治安維持部隊が銃撃戦になって多数の死者が出たらしい。
そんな感じでネットニュースやSNSを見ていると玄関のほうからブザーの音が聞こえてきた。私はお茶を飲み干して玄関へと向かう。
ドアを開けるとそこには高齢の女性が立っていた。事前情報の顔写真からこの人が今回の仕事の依頼者で間違いない。
「こんにちは、中へどうぞ」
私が中へ入るよう促すと彼女は軽く挨拶をし、部屋の中に入った。
彼女をソファに座らせて本人確認を行う。私は手元にある依頼者の情報を見ながらいくつか質問をし、次に生体認証のために口内の粘膜と血液を採取した。
私は生体認証装置を操作しながら彼女に質問する。
「なんで記憶を変えたいと思ったんですか?」
すると彼女は一瞬ためらった様子を見せながらも口を開く。
「息子が……亡くなったんです。だから忘れたい」
その一言で私はすべてを察した。彼女は息子の死を受け入れられなかったのだろう。そして人生に絶望しすべての記憶を消したいと思った。多分そんなところだ。
記憶を変えようとする人の中にも彼女のように家族の死がきっかけで新たな記憶に変えるという人も少なくない。
それから無言のまま時間だけが流れてゆく。薄暗い部屋の中に生体認証装置の音だけが響き、静寂を乱す。
本人確認が終わり彼女を手術室へと案内する。病院の手術室とは違って薄暗く狭い。オレンジ色の間接照明の光が消毒積みの手術器具に反射する。
「本当にいいんですね」
私は彼女に最後の確認をする。
「はい……お願いします」
「一度記憶の改竄を行えば、完全には元の記憶に戻れません」
私の最後の警告を聞き、彼女は手術台の上でうつ伏せになった。点滴から麻酔薬を流し彼女を眠らせ、その間に新しい記憶の入ったカセットの準備をする。
依頼者に移植する新たな記憶はとくに要望がなければ生成AIによって自動生成された記憶と事前に依頼者から送ってもらった依頼者の変えたくない記憶をインプットしている。
私はメスを手に取り彼女の後頭部の下を切り開き、カセットを接続するための装置を取り付ける。
装置から伸びる長い棒状の電極が脳に刺さっていく感覚が手に伝わってくる。
装置の取り付けが終わり、次にカセットを接続し皮膚を縫い合わせる。そして手術は終了した。
手術室の扉を開けるとビルの隙間から漏れ出た夕日の光が廊下を朱色に染め上げていた。
手術が終わり長く降り続けた雨はすでに止んでいた。外では街の明かりがよりいっそう強くなる。
「ここは?私……何を」
「目が覚めましたか、あなた、道端に倒れてたんですよ」
「そうだったんですか助けていただきありがとうございます」
どうやら言語能力に異常はないようだ。次に彼女の記憶について確認する。
「自分の名前は分かりますか?」
「はい、分かります」
「今朝食べたものは覚えていますか?」
「えっと、今朝はインスタント麺と果物を食べました。それが何か?」
「いいえ、ただ気になっただけです」
今朝はインスタント麺と果物、カセットにインプットされている記憶の通りだ。手術は成功した。
彼女はもはや前の彼女ではない別の人間に生まれ変わったのだ。
それから彼女の運動能力の回復を待った後、彼女を見送る。
「お世話になりました」
彼女はそれだけ言い残して去っていった。今回の手術代はすでに支払われているし、もう会うこともないだろう。
気が抜けて私はベッドにへたり込む。ちょっと一寝入りしようと思い、掛け布団を引き寄せる。数分もしないうちに私は闇の淵に落ちてゆく。
崩れ落ちた昇降機。四方八方へ逃げてゆく市民たち。テロリストと治安維持部隊の銃撃戦。火薬の臭い。
テロリストの抵抗もむなしく、たった数分で治安維持部隊によってテロは鎮圧された。
あたり一帯は血の川となって市民やテロリストだったものを赤くする。
そこに治安維持部隊の清掃用ロボットがやってきて片づけてゆく。手際が良い。これならすぐに昇降機も復旧するだろう。
しばらく片づけの様子を見ていると、ひとりの高齢女性が一体のテロリストだったものに近づいてゆく。
女性はそれを抱え上げ泣いた。そのテロリストは女性の家族だったのだろうか。嫌な光景を見てしまった。私は血だまりを避けながらその場を去る。
長い時間眠っていたようだ。窓の外にはいつも通りの暗くて明るい摩天楼が立ち並ぶ。
私は立ち上がって背伸びをする。朝だ。冷蔵庫へ行き栄養食品を取って口に入れるとドロドロの栄養食品が口と喉を支配してくる。相変わらず不味い。
口直しにお茶を飲むためにお湯を沸かす。沸かしている間に今日のスケジュールを見る。仕事がないことを確認してティーポットにお湯を注ぐ。
少し待ち、カップにお茶を淹れて冷ましながら飲む。温かいお茶が冷めきった体に染み渡る。休日のお茶の時間は良い。何も考えずに静かに過ごせるからだ。
そんな優雅な時間を断ち切るように玄関からブザーの音が鳴る。
誰だろう。私はお茶の入ったカップを丁寧に置き玄関へ向かった。扉を開けるとそこには昨日手術した女性が立っていた。顔には涙を浮かべている。
「何か御用でしょうか」
私は彼女に尋ねる。すると彼女は泣きながら答える。
「記憶を、記憶を変えてほしいです。あなた、記憶を変える仕事をしてらっしゃるんですよね」
「そうですけど、記憶の改竄には事前予約が必要で……」
「そこをなんとか、お金ならいくらでも払います」
どうやらお金を積んででもすぐに記憶を変えたいらしい。移植された記憶に何か問題でもあったのだろうか。
「とりあえず中に入ってください」
彼女を部屋へ入れ、ソファに座ってもらう。お茶を淹れながら私は彼女に尋ねる。
「なぜ記憶を変えたいと?」
お茶を一口飲み彼女は答える。
「昨日からずっと心に穴が開いたみたいで……何か大切なことを忘れているような気がするんです」
そしてまた涙を流す。
どうやら彼女は何らかの理由で死んだ息子の断片を思い抱いているらしい。
「それで、その心の穴を埋める記憶を移植してほしいってことですね」
彼女は泣きながらうなずく。
こうなってしまったのは私の原因だ。どうにかしなければ。
だが、どうしたものか現状過去の記憶が引っ掛かっているということは中途半端な記憶を移植するよりも完全に新しい記憶を移植するほうが良いだろうか。
お茶の香りを脳へ送り込み思考する。
思考の末二つの結論が出た。一つ目は彼女の脳と記憶を改造し、彼女に息子の幻影を見せ続けるというものだ。
これによって彼女は架空の息子と人生を共にすることが出来るが周りから変人扱いを受けるだろう。
もう一つは昨日移植した記憶を抜き取るという方法だ。彼女は何らかの記憶障害を負うと思うが、前の記憶に戻り心に穴が開いた状態から解放される。しかし息子の死を受け入れなければならない。
どうしよう。私は空のカップをいじりながら結論を出せずにいる。
いっそのこと彼女自身に決めてもらおうか。私は昨日の手術の話や前の彼女の記憶について知っていることを彼女に話し、最後に二つの対処法を提示した。
彼女は私の話を信じられないというような表情で聞いていた。すべてを聞き終わり彼女は移植された記憶を抜き取り元の記憶に戻ることを選んだ。
私は彼女を昨日と同じように手術室へ案内する。手術室へ繋がる廊下は電飾の光が反射して若干明るかった。
彼女を手術台へ寝かせ手術の準備をする。緊張してきた。でも大丈夫、私と彼女の選択は間違っていない。そう言い聞かせながら深呼吸する。
麻酔で眠った彼女の頭を開き、カセットを引き抜く。
彼女は死んだ。そして蘇った。
頭部を縫合して手術が終わり後は彼女が起きるのを待つだけだ。
しばらくして彼女が目を開ける。少し混乱した様子で彼女が口を開く。
「あの、手術は」
「手術は成功しました。あなたがまだ記憶を変えたいと思っているのなら」
「意味が分かりません」
その通りだろう今の彼女は記憶を変えに来た彼女なのだから。しかし私は続けて言う。
「あなたは自分の記憶と向き合わなければならない。でないと問題を解決できない」
「どういうことですか?」
「とにかく今のあなたには記憶の改竄は必要ありません。もうお帰りください」
私は半ば強引に手術室から追い出し、玄関へと連れていく。
「手術代はお返しします。もう来ないでください」
玄関から彼女を出し鍵を閉める。
これで良いんだ。後は彼女が自分自信と向き合えばすべて解決できる。
私は結局何もすることが出来なかった。無力感が湧き上がってくる。
私は持っていた記憶移植用のカセットを床に投げつけた。カセットはそのままむなしく滑って行き、廊下の壁にあったって止まった。
保存された記憶 @royalmaguro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。保存された記憶の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます