第8話 大団円

 大谷は、ネットに嵌るのが遅かった。パソコンも、昨年までは、仕事で使うくらいで、それ以外のSNSもゲームもしていなかった。

 ゲームに関しては今でもしていないが、SNSに関しては、ツイッターをやるようになった。

 そのきっかけは、スマホデビューをしたからであって、昨年までは、

「いつ、どこから掛かってくるか分からない」

 というだけで、持っていた、ガラケーが主だったのだ。

 電話もメールも使わないので、ただ、基本料金が引き落とされるだけ、ただ、それでいいと思っていた。

「スマホに変えても。別に何かをするというわけでもないしな」

 というのが、その理由だった。

 だが、実際に変えて、ツイッターに、近所の神社仏閣や、きれいな植物などが眼に着けば、シャッターを切って、それを上げていただけだった。それでも、フォロワーというのは着くもので、ただ、写真だけを撮っているだけなのに、あれよあれよと、フォロワーが増えていった。

「友達がいっぱいできた」

 ということで、自分の中で、有頂天になっていたのだった。

 ただ、リアルな友達が増えただけではないので、この有頂天が、幻の類ではないかと思ったのだが、

「リアルな友達ができたとして、そこに何があるというのか?」

 とも思うので、結果、何が楽しいということもなかったのだ。

 そんな中で、最近、性風俗をしている女の子とツイッターの中で仲良くなった。

「一度、近いうちに遊びに行ってもいいな」

 という軽い気持ちがあった。

 性風俗の店に行くことに関しては、別に違和感などなかった。自分から行きたいという気持ちはないが、

「隠れて行かないと人にバレたくない」

 というような思いもなかった。

 ツイッターで話をしている分には、別に普通の女の子だし、変にこだわりを持たないから、彼女も自分の相手をしてくれていると思っていた。

 どちらかというと、遠慮気味ではあったが、会話にそんなものはなかった。

「分からないことは何でも聞いて」

 といってくれることで、普通に質問できるようになった。

 そもそも、ツイートは、公開の場である。自分がツイートしたことを、全国の、いや、全世界の人が見ようと思えば見れるのだ。ただ、不特定多数の人ばかりが見えていても、肝心の見たい人のものが見れないとしょうがないので、基本、

「フォローしている」

 あるいは、

「フォローしてくれている人」

 しか見ることができないのだ。

 だから、気が楽なのかも知れないし、

「フォロワーさんだけで繋がれる」 

 という、

「半公開」

 ということになるのだろう。

 これくらいなら、別に気兼ねすることはない。

 だが、考え方が少し変な気がする。なぜなら、

「フォローしていない人は、自分と関係ないはずだから、恥ずかしいも恥ずかしくないも関係ないはずだ。それなのに、気にするというのは、どういうことなのだ?」

 ということであった。

 ただ、逆に、

「皆、仲間のようなものだ」

 と思うと、一番意見を聞きたい人がまわりにいると思うだけで気が楽になる、

 不特定多数が気になってしまうというのは、

「今は関係ない人かも知れないが、いつ関わってくるかも知れない」

 という意識からなのか、

「誰が見ているか分からない」

 ということで、見ている人というのが、

「自分の知り合いなのかも知れない」

 ということだと考えるから、不特定多数の公開の場では、気になってしまうのだ。

 そもそも、

「公衆」

 や、

「公開」

 という言葉はイメージが悪い。

「公衆として、後ろに便所がついたり、公開といえば、後ろに処刑という文字がつく」

 というネガティブな考えに陥ってしまうと、

「不特定多数は、溜まったものではない」

 と感じるのだった。

 以前、

「SNSの誹謗中傷で自殺した」

 という、

「半芸能人」

 というような人が社会問題となり、数年経って、やっと、SNSの開示請求がスムーズになった。

 SNSというのは、匿名だから好きなことが言えるわけで、その人を特定しようとするのは、個人情報保護やプライバシー保護の観点から、なかなか難しかった。

 しかし、一定の条件が揃っていれば、開示しなければならないと、プロバイダーに開示義務ができたことで、最近では、開示が多くなった。

 フォロワーの風俗嬢の中には、開示請求した人もいる。

「開示してみると、実は同業の女の子だった」

 という、嫉妬や妬みなどというものが多いことが分かっていたりしている。

 さらに、開示にも、デメリットも結構ある。むしろ、デメリットの方が大変だったりするのだが、

「訴えても、わりに合わないということも多い」

 ということ。

 これは、侮辱罪や名誉棄損で訴える場合にも昔からいわれていたことで、

「告訴もできますが、勝てたとしても、ほとんどお金が返ってきませんよ」

 ということであった。

 そして、今回の開示要求の緩和ができたとしても、最大のデメリットは、

「相手に、こちらの情報も開示されてしまう」

 ということだ。

 要するに、最大のリスクを払ってまで、相手を訴えることができるかということで、開示請求をした女性は、

「引っ越しを余儀なくされてしまった」

 ということが、実際にあったりするのだった。

 その中で、今思い出したのだが、一人、風俗嬢で、趣味として、小説を書いている女の子がいた。彼女は、

「この小説私が書いたのよ」

 といって、自分以外のたくさんの人に宣伝していた。

 そこで、大谷は、何か不可思議な違和感を感じていた。

「何か変なんだよな」

 と思っていたのである。

 それが、今になると分かった気がした。

 それを分からせてくれたのが、このサウナの中にいた、

「老人」

 だった。

 この老人が、かつてのミステリー小説の、

「悪魔爺さんに似ている」

 と感じた時、この違和感を思い出したのだ。

 そして、あの爺さんを見ていて、分かったことがあった。

「そうだよ。彼女は、自分で、いずれは小説家になりたいから、書いた作品を皆に見てもらいたい」

 といっていたのだ。

 しかし、冷静に考えると、まだ応募もしていない作品をネットに公開したり、人に読ませたりしてもいいのだろうか? 

「応募作品は非公開のもの」

 という決め事が普通はあるのではないか?

 ということが思い浮かんだのである。

 だとすると、

「あの作品は、彼女が書いたものなのだろうか?」

 ということになる。

 ひょっとすると、裏にゴーストライターのような人がいて、今は作家デビューや、文学賞の入賞までは考えていないが、自分の作品をただ、見てもらいたいという気持ちになっているだけだということであれば、この方法もありだろう。

 しかし、実際に書いた人からすれば、

「彼女のネームバリューで読んでもらっているだけ」

 ということで、果たして満足できるだろうか。

 作家としては、この消極的な考えは、

「情けないといってもいいくらいだ」

 ということにならないだろうか?

 そう思うと、二人の間の関係は、バランスが取れている時はいいが、ちょっとでも、どちらかがが傾くと、どうなるか分からないという危険性を孕んでいるともいえるだろう。

 特にゴーストライターの方は、溜まったものではない。

 その彼が書いた小説が、今回の事件に酷似していた。

「工事現場で、死体が見つかる。それが、工事関係者の死体だった」

 ということである。

 しかも、発見された場所と実際の犯行現場は違い、死後二日経っている。これも、同じ内容ではないだろうか?

 あの小説のトリックは、

「開示請求を受けた男が、実は、同業の風俗嬢を妬む女で、その女に惚れ切っている男が、入れ知恵し、誹謗中傷をしたのだが、開示請求によって、すべてがバレてしまう。結局、二人は、追い詰められる結果となり、二人は心中したのだが、この開示請求をした女が、最後にはすべての計画を練った人物だと分かった。しかし、すべてが終わった後では、何事も後の祭りであり、悪さを企んだ女の一人勝ちだった」

 という内容だった。

 これも、悪魔という名前がタイトルについていて、最後の犯人が、この小説における悪魔だった。

 つまり、この作者も、

「自分と同じ探偵小説作家のファンではないか?」

 と思ったが、それに間違いはない。

 悪魔というものに対しての認識では、まったく相違ないからだった。

「俺の想像が許されるとするならば」

 ということで考えたのだが、

「風俗嬢と、ゴーストライターがもめていたのだが、お互いに人に知られないようにと、例の工事中のビルで話をしたのだが、たまたま、そこで聞いていたビル関係者に見つかり、その男は、二人を同時に脅迫に掛かった。

 二人とも、喧嘩状態であったし、脅迫されていることをお互いに一番バレたくない相手が、喧嘩の相手だということになると、脅迫もしやすかった。

 だが、二人は、きっと何かのきっかけで、お互いに脅迫されているのが分かったのだろう。だから、二人で協力して、相手を殺しにかかった。

「しょせんは、二人同時に脅迫などという悪魔のような男」

 ということで、二人には、この男を殺すことに、後ろめたさも何もなかったのだろう。

 ただ、もう一つの問題は、風俗嬢の客に出版社の男がいて、彼にも、

「出版したいんだけど」

 という甘い言葉をかけていた。

 出版社の男は軽い気持ちで請け負ったのだが、ゴーストライターには、それが許せなかった。

 もちろん、出版社の男も許せないが、彼女も許せない。それで、まずは、出版社を亡き者にした後で、彼女を殺そうかと思ったところへ、脅迫を受けることになったことによって、彼女に出版社の人間を殺したことを話せなくなった。

 それで、建設会社の男が、出版社の男を殺したかのように、偽装工作をしようと考えたが、そもそも無理があった。

 二人の殺された人間に、接点がなかったからだ。

 だから、別々の殺人ということにしておいて、捜査が進むにつれて、二人が知り合いだったかのように誘導できればいいと思ったのだ。

 そこで、彼女は、警察に事情を聴かれるだろうから、その時に、脅迫を受けていたと白状し、脅迫というキーワードで、二人の男の関係を警察に悟らせようとした。どれだけ自然に二人が関係していたかということを考えさせるには、この方法が一番いいと考えたのだった。

 ただ、一つ気になったのは、

「二人だけで、こんな大それたことができるのだろうか?」

 と思いながら、例の、

「悪魔爺さん」

 を見ていると、

「ひょっとすると、この事件にも、本当の悪魔と言えるような人物が、見え隠れしているのではないか?」

 と感じたのだ。

 あくまでも、まったくの妄想であるが、

「俺が第一発見者になったというのも、できすぎているよな」

 と考えると、だんだん、事件が広がりを見せながら、ピースが嵌っていくような気がしてきたのだ。

「どこかに落としどころがあるんだろうが」

 と考えたが、

「実は、最後のピースが嵌ってしまうと、それまで解けかけていた謎が、瓦解してしまうような気がする」

 と思えたのだ。

「死体を発見したことによって、どこまで自分の発想が小説として生かされてくるのだろうか?」

 と、大谷は考えたが、

「そのうちに、桜井刑事と浅倉刑事が、俺を重要参考人として連行することがあるのではないか?」

 と思えて仕方がなかったのだ。


                 (  完  )

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タイトルの「悪魔」 森本 晃次 @kakku

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