第36話 嬉しいな

 幸せってなんだろう。僕にはまだわからない。


 復讐の意味なんてどうでもいい。良いことでも悪いことでも関係ない。彼女の選択を尊重するだけ。

 

 本当に恋は盲目だ。僕は今、完全に大切なものを見失っている。

 

 でもそれでいい。惚れた女性を大切に思えるだけで良い。


 僕は制服のまま家を出た。


「……すっかり夜だね……」

 

 誰ともなくつぶやく。それを見上げると雨雲が目に入った。屋根から外に出ると、なかなかの雨粒が僕を濡らした。


「傘……まぁいいか」


 濡れながら行こう。傘なんて差している気分じゃない。


 ずぶ濡れになりたい気分だった。風邪でも引いて高熱を出したい気分だった。たまにはこういうのも良いかと思った。


 僕は焦ることなく、ゆっくり歩いていく。


 目的地は河原。10年前の事件が起こった場所である。


 川は大雨で水かさが増していた。とはいえ氾濫するほどでもない。これくらいの雨はよくあることだ。


 体が冷えて、一つクシャミをした。やっぱり傘くらい差してくるんだったと、あまりにも早い後悔をしていた。


 そして河原を見回して、目的の人物を見つけた。


 僕はその人に近づいて、


「行動が早いね。今日見つけたばかりじゃないか」

「……」同じくずぶ濡れの雪落ゆきおちさんが振り返って、「そうですね……早いほうが良いかと」

「ふぅん……で、終わったの?」


 雪落ゆきおちさんの顔に笑顔はなかった。無表情で……なにを考えているのかまったく読み取れない。


 唯一わかるのは……雨に濡れる彼女が美しいということだけだった。


「気づいてたんですか?」

「なんとなくね。キミが探しているのは初恋の人じゃない……その可能性は考えていたよ」なんとなく探偵気分になって、「キミは10年前の事件の復讐をするために、この学校に来た。そして犯人をあぶり出すために、ウソの初恋話をでっちあげた」


 10年前、河原という単語を出せば反応する人間がいると思ったわけだ。


「そして……案の定、反応をした人間がいたんだよね。それが木五倍子きぶし生徒会長だった」

「はい」あっさりと肯定するものだ。「会長の様子がおかしかったのは、副会長を見ていればわかります。10年前、河原という単語に反応して、焦ったんでしょうね」


 ごまかそうとして、墓穴をほったわけだ。


 彼女は続ける。


木五倍子きぶし会長を呼び出してあります。そろそろ、この場所に来てくれるはずですけど……」

「本当に現れる? 逃げるんじゃない?」

「逃げたら10年前の事件のことを言いふらす、って脅してあります。来ますよ」


 なかなかエグいことをする。


 それから雪落ゆきおちさんは僕に向けて微笑む。


「それで……なんのご用ですか? 私のこと、止めに来たんですか?」

「違うよ。そんなことしない」むしろ手伝いたいくらいだ。「どうしても伝えたいことがあってね」

「……伝えたいこと?」


 本当にそれを伝えに来ただけだ。


 僕は深呼吸をしてから、


「僕はキミのことが好きだよ。恋人になってくれると、嬉しいな」

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