第9話 もらってあげなよ

「本当にありがとう……この感謝は絶対に忘れないわ」


 飼い主さんはそう言い残して、その場を去っていった。愛おしそうに猫を撫でる姿を見ていると、なんだか勇気を出した甲斐があったと思えてきた。


「ありがとうございました」隣にいる雪落ゆきおちさんが僕に頭を下げて、「私1人だと解決できない問題でした」


 ……


 こうして近くで顔を見ると、本当にキレイだな……思わず見とれてしまいそうだ。


「お礼なんていらないよ。僕はたまたま通りかかっただけだから」本当に、ただの偶然。「でも、雪落ゆきおちさんに会えたのはラッキーだったよ。探してたんだ」

「私を、ですか……?」

「うん。雪落ゆきおちさん……登校中に小学生くらいの男の子と出会ったでしょ? 筆箱を探してる少年」

「はい……どうしてそれを?」


 やはり雪落ゆきおちさん本人だったようだ。別人だったらどうしようかと思っていた。


「僕も下校中に出会ったんだよ。髪の毛がフワフワのお姉さんにお礼を言いたがってたよ」

「なるほど……」雪落ゆきおちさんは自分の髪の毛を触って、「やっぱりこの髪の毛、目立ちますよね」

「あ……ごめん。失言だったかな?」

「いえ……私、子供の頃からこんな髪質だったんです。だから、あの人にも思い出してもらいやすいかなって」


 初恋の人、か。


 たしかに……小学生くらいの子がこんな髪型していたら目立つだろう。僕なら一生忘れないかもしれない。雪落ゆきおちさんの外見的特徴を挙げたとき、髪の毛が入らないことはないだろう。それくらいのトレードマーク。


 ……


 僕が覚えてないってことは、やっぱり初恋の人は僕じゃないんだろうな。


「それにしても、困りましたね……お礼なんて、そんなつもりで協力したわけじゃないのに……」

「もらってあげなよ。助けてもらった側は……お礼を言いたいものだよ」


 お礼を言えずに別れるとモヤモヤするのだ。


「なるほど……じゃあ、ありがたく気持ちをいただきます」物も渡されそうな雰囲気だったが。「その少年、どこにいるかわかりますか?」

「今から行くつもり?」僕は空を見上げて、「もう夜だよ?」


 猫を探しているうちに、すっかりあたりは暗くなっていた。もしも雪落ゆきおちさんがいなかったら……この暗闇の中で黒猫を探すことになっていた。それでは発見は不可能だっただろうな。


「あ……もうこんな時間ですか……」

「一応、少年とは連絡先を交換したから。明日、時間ある?」

「明日は……一緒に帰る約束が……」そういえばクラスメイトと約束していたな。「明後日、でお願いします」

「了解。時間は……放課後くらい?」

「お願いします」


 というわけで、少年にチャットを送る。目当ての女性を見つけたから、明後日の放課後に公園で待っておいてほしいと。時間は、今日僕と少年が出会ったくらい。


「よし」チャットを送信して、僕はスマホをポケットにしまう。「連絡はしたよ。明後日の放課後」

「ありがとうございます」


 深々としたお辞儀だった。毛量がすごいので、もう髪の毛しか見えない。


 そして……


「……」

「……」


 話題がない。猫探しを終えてしまったら、僕たちの間に共通の話題なんてない。


 そもそも……向こうからすれば僕は謎の人物だ。今日学校で見ただけの男の顔なんて覚えているわけがない。

 僕からすれば雪落ゆきおちさんは目立つ転校生だけれど、雪落ゆきおちさんからすれば僕はそのへんのモブでしかない。


 しょうがない……適当に別れて帰ろう。雪落ゆきおちさんも僕と一緒に帰るのは嫌だろうし。


 というわけで別れを切り出そうとすると、


「キミたち!」突然、誰かに声をかけられた。「こんな時間に何をしている?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る