蕎麦屋の看板娘に惚れて通ったら仲良くなりました

マノイ

本編

「腹減った……」


 時刻は昼の二時。

 野田のだ 正輝まさきは盛大に音を鳴らすお腹を押さえ街に向かって歩いていた。


「チクショウ。育ち盛りの高校生にこの仕打ちはねーだろ。虐待だー!」


 本気で思っているわけではない。

 日が昇るまで遊び続けて昼過ぎまで寝ていたから昼食が用意されていなかっただけの事。


「ダメだ、もう一歩も動けない」


 後五十メートルも歩けばコンビニがあるのだけれど、そこに辿り着くまでが億劫でならない。


「近くに食う所でも……あれ、こんなところに蕎麦屋があったっけ」


 立ち止まったすぐ横に個人店らしき蕎麦屋があった。

 店構えは古く老舗感が漂っている。

 正輝は興味のあること以外は目に入らないタイプであり、良く通る道なのにこの蕎麦屋があることを知らなかった。


「蕎麦は高いよな……いや、そうでもないか」


 正輝にとって外食で蕎麦を食べる時はいつも天ぷら入りの豪華なものを頼んでいたので高いイメージがあった。

 高校生の正輝が自腹で入るには躊躇してしまう金額だ。


 しかし蕎麦は決して高い商品だけでない事を思い出す。

 むしろラーメンよりも安く済むジャンルの食べ物なのだと。


「うううう、しゃーない。ここにすっか」


 蕎麦をイメージしたら体が早く食わせろと催促してきて空腹感が更に増して来た。

 我慢出来なくなりその蕎麦屋に入ることに決めた。


「いらっしゃいませー」


 聞こえてきたのは若い女の人の声。

 反射的にその声の方を見ると知っている人だった。


「神田さん?」

「野田くん?」


 クラスメイトの神田かんだ 瑞希みずき

 いつも朗らかでポニーテールが似合う彼女は、誰に対しても分け隔てなく気さくに接することもあり男子達からの人気が高い。


「ここでバイトしているの?」

「ううん、家のお手伝いなの」

「そうだったんだ」


 席に案内されながら彼女の事情を確認したところ、瑞希が蕎麦屋の娘だと分かった。

 厨房の方をチラりと除くと両親らしき人が働いている。


「家の手伝いするなんて偉いね」

「あはは、偉くなんて無いよ。好きでやってることだから」

「へぇ、素敵だね」

「ほんと!? ありがとう」

「エプロンも似合ってるしね」

「そっちのお褒めの言葉は微妙だよ野田君。普通の地味なエプロンだもん」

「ダメだったかー」

「あはは、でもありがと」


 正輝は茶化して誤魔化したが、似合っていると思ったのは本当だ。

 シンプルなエプロンだからこそ家庭的な雰囲気が強く、男心を鷲掴みにしていた。


 男なんて単純なもの。

 学校ではほとんど話をしたことがないけれど、こうやって家庭的な姿で人懐っこく話をしてくれたらすぐに好きになってしまう。


 その胸の高鳴りは豪快な腹の音で打ち消されてしまったけれど。


「あはは、それで何を頼むの?」

「かけそばで」

「え、それだけで良いの?大盛にする?」

「ううん、普通ので良い」

「ふ~ん、案外小食なんだね」


 んなこたぁない。

 正輝はお小遣いを使い切ってしまうタイプなので、資金があまり無いだけのことだった。


「かけそば一丁!」


 瑞希の声が誰も居ない店内に響き渡る。

 この時間、お客は正輝だけだった。


「空いてるんだね」

「お昼時が終わったからね。この時間はいつもこんな感じだよ」

「お昼は混んでるの?」

「それなりに、かな」


 だとすると昼食時に来たらこうしてゆっくりと話をする時間は取れなかったかもしれない。

 絶妙なタイミングで来店して瑞希と話が出来た幸運に感謝した。


「瑞希、出来たわよ」

「は~い!」


 かけそばなので完成するのも早い。


「それじゃあごゆっくり」


 瑞希はかけそばを配膳すると店の奥の方に引っ込もうとした。

 食べているところを見ないようにとの配慮だろう。


「せっかくだからもっとお話ししようよ」


 一世一代の勝負だった。


 今の瑞希は単なるクラスメイトである正輝に対していつも通りの人当たりの良さで対応してくれているだけだろう。

 笑顔で話しかけてくれるから好意を寄せてくれているなんて勘違いしてはならない。

 だからここでもっと話をして仲の良いクラスメイトへとグレードアップしたかった。


「いいの?」

「うん、一人は寂しいしさ」

「それじゃあお言葉に甘えて」

「(やった!)」


 お客が他にいないからやることも無いのだろう。

 瑞希は反対側の席に座ってくれた。


「でもまずは温かいうちにお蕎麦食べてよ」

「うん」


 正直なところもう空腹で限界であり、貪るように食べたかった。

 瑞希がいなかったら見た目など気にせずにがっついていただろう。


「いただきます」


 空腹は最高のスパイスとは良く言ったものだ。

 最初は丁寧に食べようとしていたけれど、気付いたら夢中になって蕎麦を啜っていた。


「(かけそばってこんなに美味かったのか)」


 お店では冷たいお蕎麦しか食べたことが無かったため、かけそばを外で食べるのはこれが初めてだ。

 家でも大みそかに食べる程度で、それほど美味しい物とは思ったことがなかった。


「(出汁が効いててめっちゃ美味い)」


 あまりの美味しさでスープまで飲み干してから、瑞希の存在を思い出した。


「あ……」

「あはは、どうだったかな。って聞くまでもないみたいだね」


 誰がどう見ても正輝は美味しそうに食べていた。

 それが瑞希にとってとても嬉しかったのだろう。

 学校でも見たことが無い程の笑顔を浮かべていた。


「可愛い……」

「え?」

「あ、ううん、美味しかったよ」

「そ、そう。ありがとう」


 とっさに出た言葉を誤魔化したけれど、強引すぎて流石に無茶があったようだ。

 瑞希は顔をほんのり赤くしてお礼を言ったが、それは果たして何に対する返答だったのか。


 慌てた正輝も少し顔を赤くして必死に誤魔化し続けようとする。


「それに量も多かったし大満足だよ!」

「あはは、おそまつさまです」


 その慌てっぷりがおかしかったからか、瑞希はもう最初の頃の雰囲気に戻り朗らかに笑っていた。

 ほっとして落ち着いた正輝は先程の自分の発言に違和感を覚えた。


「(そう言えば本当に多かったな。いくらなんでも多すぎるような……まさか)」


 もしかしたら正輝があまりにもお腹が減っている様子だから、瑞希がサービスして大盛にしてくれたのではないか。

 そのことに思い至り、正輝はますます瑞希の事が好きになった。


 その後、二人は少しの間雑談して仲を深めた。 

 そしてお会計の時。


「あれ、百円多いよ」

「ううん、多くないよ」


 大盛でもワンコイン以内に収まり手持ちでなんとかなるため、正輝はその分も支払おうとしたのだ。

 サービスしてもらったことが申し訳なかったのである。


「もう、こういうのは黙って受け取るのが良いんだよ」

「そうなの?」

「そ・う・な・の。どうしても気になるならまた食べに来てよ」

「分かった!」


 また来ても良いとのお墨付きを貰い正輝は有頂天な気分だった。

 もし再度来店したら瑞希狙いだなんて思われて気持ち悪がられないかと不安だったからだ。


「でも一つだけお願いがあるの」

「何でも言ってよ」

「その、うちが蕎麦屋だってこと、みんなには内緒にしてほしいんだ」

「どうして?」

「う~ん……なんとなく恥ずかしいから」

「そんなに可愛いのに」

「ふぇっ!?」

「あ……絶対に誰にも言わないから!」


 またしても口を滑らした正輝は逃げるように蕎麦屋から出た。

 そのため後ろで顔を真っ赤にしているレアな瑞希の表情を堪能することが出来なかった。


――――――――


「よし、バイトしよう!」


 正輝の家庭では休日にお昼ご飯を外で食べたいと事前に申告すればお金を渡してくれる。

 しかし正輝はどうせなら自分で稼いだお金で蕎麦屋に行きたかった。

 瑞希は家の手伝いとはいえ働いているのに、自分は親のお金を使って瑞希に会いに行くというのは恥ずかしかったからだ。

 彼女に見合った人物になって堂々と自信をもって会いに行きたかったのだ。


 幸いにも高校はバイト禁止ではないから、学校終わりや休日にバイトをすることにした。




「野田君、凄い黒くなったね」

「バイトで外で働いてるからかな」


 インドア派で白かった肌が、アウトドア系の浅黒い肌へと変貌していた。


「ちゃんと肌のケアしないとダメだよ」

「そうなの?」

「そうだよ、男の子だからって放置しちゃダメ。染みになっちゃうよ」


 瑞希とはこのようにスキンケアの方法について教えてもらえる程度には仲良くなっていた。

 だが彼女とのコミュニケーションは全て蕎麦屋の中だけだった。

 何故ならば学校で正輝が自分から話しかけることはまずなかったからだ。

 その理由はポロっと蕎麦屋の事を口にしてしまうかもしれないため。

 最初の約束を律儀に守っていたのだった。


「そんなになるまでバイトするなんて凄いね。何か欲しい物でもあるの?」

「無いよ。ここでお蕎麦を食べるために働いてるんだ」

「え?そうなの?」

「うん、神田さんに会いたいから」

「も、もう、変なこと言って!」


 正輝は必ずお昼時から時間をずらして来店し、瑞希とたっぷりと話をした。

 だからだろうか、それとも時折ぽろっと可愛いだの会いたいだのと本音を漏らしていたからだろうか、二人は確実に仲が良くなっていった。


 正輝は知らない。

 瑞希もまだ気付いていない。


 土曜のお昼を過ぎると、瑞希がソワソワしていることを。


「お待たせしました」

「え、これは?」

「サ、サービスだよ。嫌なら食べなくて良いから」


 そしてついには注文したものに加えて一品追加で出てくるようになった。

 追加料理の内容は毎回違うけれど、クッキーなどの絶対に蕎麦屋では出てこないものだった。


「どう……かな」

「うん、美味しい」

「良かった!」


 それが瑞希の手料理であることに正輝は気が付いていて、心の中で涙を流す程喜んで堪能していた。




 瑞希との仲が順調であれば、バイトの方も順調だった。


「よう、兄ちゃん頑張るなぁ」

「はい!」


 工事現場で真面目に働く正輝に対し、大人達は好意的に接してくれていた。


「無理して体壊すなよ。ちょっと休憩だ」

「分かりました!」

「ほらよ」

「わっわっ、ありがとうございます!」


 ガタイの良い大人達に囲まれて、貰ったコーヒー缶の蓋を開ける。


「兄ちゃんが来てくれて助かったよ」

「だな。今どきの若いもんはこんな力仕事やってくれねーからな」

「そうそう、コンビニとかは若いねーちゃんに任せて男はこっちこいよっつーの」

「それはてめーが若い娘にレジやってもらいたいだけだろうが」

「ちげぇねえ」

「あっはっはっはっ」


 体育会系ではあるけれど決してブラックではなく話しやすい人達であり、正輝は当たりを引いたと思っている。


「しかしまぁ俺が言うのもなんだが、良くこんなバイト選んだよな」

「バカ、お前!」


 怒られた男性は失言をしてしまったと思い苦い顔をした。

 もしかしたら家庭の事情で必死で働かざるを得ないと思われているのかと正輝は思ったので、正直に理由を告白することにした。


「女に会いに行くために働いてる!?」

「あっはっはっはっ!そりゃあいい」

「漢じゃねーか。気に入った!」


 邪な考えだと怒られるかもしれないと思っていたが全くそんなことは無かった。

 むしろあまりにも気に入られ過ぎて肩を思いっきり叩かれてとても痛い。


「なぁにを騒いでる」

「親方、聞いて下さいよ」


 現場親方も休憩に来たようで、彼らの話に食いついて来た。


「ほう、女のためにねぇ。やるじゃねーか」

「だろ。しかも神田のとこの嬢さん目当てだってさ」

「やつのとこか。ふぅむ、面白い」


 なんと彼らはあの蕎麦屋の事も瑞希の事も知っていた。

 どうやらあの蕎麦屋はこの辺りで働いていている人が常連になっているとのこと。

 そして瑞希は看板娘として認知されていた。


「良いだろう。正輝と言ったか。困ったことがあればワシらに言いなさい」

「え?」

「神田のとこは世話になっとるからな。お主のような奴が相手ならワシらも安心じゃ」

「いや、まだそんな関係じゃないんですけど」

「はっはっはっ、お主ならば大丈夫じゃ。漢らしくぶち当たれ!」

「ええぇ」


 真面目に一生懸命働いている正輝は大人達からの信頼を得られていたということなのだろう。

 これが何処の馬の骨とも分からない男だったらボコボコにされて瑞希に近づけなかったかもしれない。


 瑞希との仲もバイトも順調で正輝は青春を謳歌していた。

 そんなある日、ちょっとした事件が起こった。


――――――――


「今日は何が食べられるかな~」


 今日もまた美味しいお蕎麦と瑞希の手料理が食べられると思うと正輝の足取りは軽かった。

 いつも通りに瑞希と話をするため時間をずらして蕎麦屋に向かったが、いつもと違い妙に騒がしかった。


「誰かが怒ってるみたいだけど何だろう」


 店の中から怒鳴り声が聞こえて来るけれど、聞いたことのない人の声だった。

 何かトラブルがあったのかもしれない。

 瑞希のことが心配で正輝は慌てて扉を開けた。


「野田君、ごめんね。今日はちょっと取り込んでて」


 すぐに瑞希が飛んで来て、正輝を中に入れてはくれなかった。

 中では自分と同年代の若い男と、その母親らしき人物が瑞希の父親と言い合っていた。


「中で待ってても良い?」

「え?でも……」


 正輝は中に入れて欲しいと願った。

 瑞希があまりにも悲し気な顔をしており、放って置けなかったからだ。


「神田さんが心配なんだ」

「ふぇっ!?」


 尤も、表情は一瞬にして真っ赤に変わってしまったが。


 ひとまず正輝はこっそり中に入りトラブルの発生源から離れた隅の席に座った。

 瑞希も後を追って正面の席に座り、状況を説明してくれた。


「無銭飲食?」

「そうなの」


 どうやら若い男がこの店で無銭飲食をし、瑞希の父親がそれを問い詰めたらそいつは母親を呼んで一緒になって言い争いになっているとのこと。


 二人は母子に聞こえないようにヒソヒソと会話を続ける。


「言い争いも何も、悪いのはあいつじゃないの?」

「そうなんだけど相手はこの程度見逃せって言うのよ」

「はぁ?何それ」


 モンスターペアレントという奴だろうか。

 いや、この場合はモンスターカスタマーか。


 無銭飲食をしておいて見逃せとは、なんという図太い神経の持ち主なのだろうか。


「本当にごめんね。だから今日は料理を出せないの」

「それは分かったけど……」


 瑞希はまた落ち込んだ顔になっていた。

 なんとかしたいと思うけれど、果たして自分に何が出来るだろうか。


「(いや、出来ることあるじゃん)」


 あることを思い出し、スマホを操作した。


 その時、正輝の耳に不愉快な言葉が飛び込んでくる。


「警察を呼ぶなんてとんでもない!たった千円くらいのことなのに子供の将来を潰す気ですか!」


 たった千円だと。

 その千円を稼ぐのがどれだけ大変な事なのか、大人の癖に知らないのか。


 いや、それだけではない。

 この店のお蕎麦は『たった』千円程度の価値の物なんかでは決してない。

 『貴重な』千円を支払うに値する料理なんだ。


 瑞希の家の味を貶されたことが、正輝にはどうしても許しがたかった。

 その怒りにより、思わず口を出してしまった。


「子供の将来を潰しているのはどっちだよ」

「野田君!?」


 瑞希が慌てて止めようとしたが遅かった。

 正輝の言葉はすでにモンスターカスタマー達の耳に入ってしまっていたのだから。


「なんですって!」

「ご飯を食べたらお金を支払う。そんな当たり前の事すら出来ない子供の将来なんて誰がどう考えても潰れてるだろ。それが親のやることかよ」


 母親らしき人物は顔を真っ赤にして、言葉が出せなくなる程に怒り狂っている。

 今にも正輝に危害を加えそうな雰囲気だ。


 結果的にではあるが、その暴走を止めたのは若い男の方だった。


「はっ、金を払う価値が無いから払わないだけのことさ」


 これまた正輝の逆鱗に触れる台詞だった。

 気に入っているここのお蕎麦に価値が無いと言い放ったのだ。

 人それぞれ好みがあるのは分かっているが、若さゆえか正輝はどうしてもスルー出来なかった。


「金の価値もこの店の料理の価値も分からねぇクソガキが何言ってるんだか」

「あぁ?てめぇこそ親の金で飯食ってんだから価値なんて分かってねーだろうが」

「俺は汗水垂らしてバイトしてるんだよ。一緒にするな」

「バイトだぁ?そんなままごとみたいなもんで働いた気になっている方が馬鹿じゃねーか」

「ほう、ならそのままごとやってみるか。工事現場は人手不足だから歓迎されるぜ。どうせてめぇみたいなヒョロガリじゃあお荷物にしかならねーだろうがな」

「なんで俺様がそんな底辺の仕事しなきゃならねーんだよ」

「てめぇ……!」


 慕っているバイト先の人々までもコケにされ、正輝は怒り心頭で立ち上がる。


「野田くん!」


 ケンカは止めてと瑞希が声をかけると正輝は一瞬だけ彼女の方を向いて『大丈夫』と口パクで伝え、軽くウィンクした。

 怒ってはいるけれど冷静さは失っていなかったのだ。


 だからこそあることに気が付いていた。


「あの人達は社会になくてはならない大切な仕事をやってるんだ。侮辱するな!」

「はん、底辺を底辺と言って何が悪い。まともな職業に付けなかったクズどもの集まりだろ」

「そこまで言うのか……これでもこいつの将来が潰れていないだなんて本気で思ってるのか?」

「この子は何も間違ったことは言ってないじゃない。これだから底辺は」


 母親は息子の『底辺』という侮辱が相手に効いていると思い気分が良くなり冷静になっていた。


 だが二人は気付いていない。


 とっくに詰んでいるという事を。


「お前らが俺達のことを『底辺』と呼ぶのなら、『底辺』らしくやってやるよ!」


 やってやる。


 この言葉が暴力だと勘違いした二人は一瞬体を震わせた。

 同時に瑞希も正輝を止めるべく手を伸ばそうとしたが、先程の『大丈夫』を信じて待った。


「みなさんどうぞお入りください!」


 正輝の合図で入口から屈強な男達が入って来た。


「良く言った坊主」

「めっちゃ感動したわ。ありがとうな」

「くぅ~おじさん嬉しくて泣いちゃったぜ」


 それは正輝のバイト先の人達だった。


「ひいいい!」

「なんだお前らは!」


 モンスターカスタマー母子は彼らに囲まれてガクブルしている。

 これまでのように自分勝手に罵りたいが、彼らのガタイの良さが醸し出す暴力的な雰囲気にあてられて怯えていた。


「良く呼んでくれたな」


 最後に入って来たのは親方だ。


『困ったことがあればワシらに言いなさい』


 お言葉に甘えて、スマホで彼らに連絡しておいたのだ。

 入り口に彼らの影が見えたため、正輝は常に冷静に振舞えた。


「よう旦那、災難だったな」

「そうでもないさ。良い物を見せて貰ったからな」

「はは、ちげぇねぇ」


 正輝が横入りしてからずっと黙って事の成り行きを見守っていた瑞希の父親が、親方と親し気に挨拶していた。

 店員と客以上の関係のように感じられる。


「あ、ああ、あんたたち、暴力に訴えるなんてこれだから底辺は!」

「警察を呼べ!」


 モンスターカスタマー母子は怯えながらも強気を崩さなかった。

 しかし息子があまりにも酷い失言をしてしまった。


「そうかそうか、それなら警察を呼ぼうではないか」

「え、ちょっ」


 母親が文句を言おうとしているがそんなことは知らずに彼らの一人が何処かに電話をかけた。

 警察を呼ばれたら困るのは自分達なのに恐怖で自爆してしまった形になる。


「ああ……」

「こんなことしてただで済むと思うなよ!」


 その失敗に気付いた母親は心が折れてしまったようだが、息子はまだ元気だった。

 本気で警察が来ても大丈夫だと思っているのだろう。


「威勢だけは一人前だな」

「親方どうします?」

「ワシがレイジに話をする。このままじゃこのガキは間違いなく早死にするからな」

「いつものやるんすね」


 モンスターカスタマー母子は彼らが何を話しているのか分からない。

 ただ、自分達にとって良いことでは無い事だけは察したようだ。


「な、なにをするつもりだ!」

「なぁに。お前をありがたい労働に就かせてお金の大切さを教えてやるのさ」

「へ?」

「もちろん違法なことじゃないぞ。ちゃんと偉い人達と相談して決めるし、働く内容もそこの正輝君がやっていたのと同じものだから不当にきついものでもない」


 モンスターカスタマー息子は『正輝と同じ』という言葉で彼らが『底辺』の連中であることを察した。


「そんなこと出来るはずが無い!」

「ワシらが『底辺』だからか? くっくっくっ、『底辺』が偉い人と仲が良くてダメってことは無いだろう。まぁ安心しな。死にはしないさ。クソガキを躾けるのも大人の役目だ」

「嫌だああああ!」


 逃げ出そうとするが、当然そうはさせない。

 まずはこれから警察に連れてかれて母子ともども説教が待っているのだから。


「息子を離して!」

「逃げないなら離すさ。それにあんたも覚悟するんだな。たっぷり絞ってもらうからな」

「ひいっ!」


 しばらくして警察がやってきて、二人を連れて去っていった。


「親方、来てくれてありがとうございます」

「なぁに気にするな。むしろお礼を言うのはこっちの方だ。ここのピンチに駆け付けられたんだからな」

「お知り合いですか」

「まぁな。でもそれは後で良いだろ」


 親方があごで示した先には何がどうなっているのか分からず困惑している瑞希の姿。


「瑞希、今日はもう良いから外で彼と一緒に何か食べて来なさい」

「あ……うん」


 瑞希の父親がお金を手渡した。

 瑞希も最近は正輝と一緒に昼食を食べるために時間をズラしていたため、二人ともまだ何も食べていなかったのだ。


 もう夕方になっており、正輝も瑞希もお腹が減っていた。


――――――――


「結局何が何だったの?」

「俺も実は良く分かってないんだよね。バイト先の人に助けを求めただけなんだけど」

「野田君のバイト先って美馬みまさんのところだったんだ」

「知ってるの?」

「うん、さっきの人達みんな常連だよ」

「そうだったんだ」


 二人はかなりお腹が減っていたのでひとまずコンビニで肉まんを購入し、近くの公園で食べて小腹を満たすことにした。

 そして夕暮れの園内を歩きながら事件について話をする。


 助けに来てくれたバイト先の人の話。

 モンスターカスタマー達への不満。


 そして正輝のこと。


「まったく、突然怒り出すんだからびっくりしたよ」

「ごめん。だって神田さん家のお蕎麦が侮辱されたのが悔しくて」

「そんなに気に入ってくれてたの?」

「もちろんだよ」

「そっか……そっか……そっか……」


 瑞希の三つの呟き。


 最初は大好きな家の味を気に入ってくれたことが嬉しかったことによるもの。

 次はその味への侮辱に怒ってくれたことが嬉しかったことによるもの。

 しかし最後の呟きには嬉しさとは違うニュアンスが篭められていた。


「ねぇ、野田君」

「なに?」


 瑞希は少しの間迷った風だったけれど、意を決して続きを口にした。


「毎週うちに来てくれるのは、お蕎麦が気に入ったから?」

「うん、そうだよ」


 即答してくれたことがとても嬉しかった。

 でも瑞希が聞きたいのはそれでは無かった。


「それだけ?」

「…………」


 それ以上の理由があるのではないか。


 瑞希は鈍感ではない。

 正輝が時々口を滑らせるのが本心であることも、本当は何が目的で蕎麦屋に来てくれているかも分かっていた。

 そしてそれが嫌でなかったからこそ、自分の手料理を食べて貰っていたのだ。


 正輝もまた空気が読めない男ではない。

 ここでどんな答えが求められているのかを察し、勇気を出せる男だった。


「神田さんに会いに来てた」

「どうして私に会いたかったの?」


 エプロン姿が可愛いから。

 一緒にお話ししたいから。

 楽しいから。


 あらゆる感情をこめて、正輝は瑞希の目をしっかりと見て応えた。




「神田さんのことが好きだから」




 二人の顔は夕陽に照らされ真っ赤に染まっていた。

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