前世で過労死したのを、今世で死にかけた際に思い出しました

ありさと

第1話 テレシア・アルヴィンと工藤咲子の場合

「お前の愛情って、まるでタチの悪い呪いみたいだな。」


 黒髪黒目の男は最後にテレシアに向かってそう言うと、一度も振り向かずに立ち去った。

 沈んでいく意識の中、テレシアの頭の中に突如として現れた見知らぬ男。その男とテレシアは終始、テレシアの知らない言葉で言い争っていた。


(ああ、私は同じ失敗をしていたのね。)


 テレシアは死の間際になって、前世の自分が過労死した事を思い出したのだった。




 テレシア・アルヴィン15歳。

 生後間もなく養護施設前に放置され、6歳で受けたスキル適性検査で類まれな魔力と希少な回復魔法の適正が判明。以後、養護施設を支援しているアルヴィン伯爵家からの援助で魔法を学び、その才能を開花。

 9歳の時にを利用し伯爵家の長子オーガスタと婚約。と同時に養女となる。10歳で王立学園へ入学し、僅か2年で卒業。13歳で最年少魔導師となり魔法省へ就労し、数々の研究結果を残す。特に魔力過多症に有効な画期的治療法を確立した事は有名。現在はその功績を讃えて魔法薬課の課長に最年少にて抜擢され、16歳の誕生日を待ってアルヴィン小伯爵夫人となる予定。


 つまりテレシアは半年後、オーガスタとの結婚を控えていた。

 普通の花嫁ならこの時期、結婚の準備に追われて仕事を止めるか、休職しているところだがテレシアは現在、職場である魔法薬課に泊まり込み、寝食を犠牲にしてポーション作りに追われていた。

 因みに就職してからテレシアが休んだ日はたったの2日。そのうち1日は養護施設の所長の葬式で、あとの1日はオーガスタの妹であるカトリーヌの誕生日会で、魔法を使った花火や幻影を招待客へ披露したいという要望を叶えるため、当日の朝にいきなり拉致された。

 事前申請なく休んだこの日のせいで、テレシアのその週の平均睡眠時間は2時間を切った。


 それでもあの頃は今とは違い、決まった睡眠時間が割り当てられただけマシだった。


 何故なら今、この大陸は戦時下に置かれているのだ。

 去年、何の前触れもなく隣の大陸にある強国の皇帝が、全世界に向けて宣戦布告を行った。帝国による世界侵略が始まったのだ。

 テレシアの住むこの国は帝国から遥か遠い位置にあるが、国王は大陸同盟の名の下に連合軍に送る部隊を編成し、三つある騎士団から志願兵を募った。

 城に備蓄されている回復系ポーションは全て編成隊へ放出され、追加であり得ない数のポーション制作依頼が魔法省へ発注された。


 元々、回復系の魔力を持つ魔導師は少ない。しかもその殆どが高位貴族のご令嬢で、テレシアのような貴族とは名ばかりの者は他にいなかった。

 魔法薬課に所属する六人のご令嬢達は、上司だが自分達より身分の低いテレシアの言う事など聞かず、全ての仕事をテレシアへと押し付けた。

 テレシアが社交界一の美男子であるアルヴィン伯爵令息の婚約者である事も、彼女達の癪に障った。


 しかしテレシアは文句一つ言わずに仕事をこなした。ただ、いかに優秀なテレシアであっても流石に七人分の仕事を一人で回すとなれば、普通のやり方をしていては間に合わない。


 まず睡眠時間を削った。

 それまでの生活で元々少なかった睡眠時間が更に削られた。テレシアは睡眠時間を確保するために片道30分かかる伯爵家のタウンハウスへ帰る事を諦めて職場に寝泊りする様になった。

 次に食事が蔑ろにされた。

 魔法省には食堂があるが、テレシアが食堂で座ってゆっくり食事をするのを周りはよく思わず、これまでもテレシアは食堂にお願いして特別に弁当を作ってもらっていたのだが、魔法薬課から食堂までは徒歩で往復15分。その15分さえ惜しくなり、テレシアは賞味期限が切れて破棄された軍の携帯食を貰い受け、それを水でふやかして仕事の合間に流し込んでいた。

 テレシアは仕事以外の全てを犠牲にして働いた。


 こんな生活を1年間に渡って続けた結果、当然だがテレシアの身体はボロボロになった。目の下には濃い隈が常駐し、肌も髪も荒れ放題。ここ数カ月は月のものまで止まっていたが、テレシアは寧ろ楽になったと喜ぶ始末だった。


 テレシアは必死だった。

 何故ならオーガスタとテレシアが結婚するには、テレシアの有用性をアルヴィン伯爵家に認めさせなければならなかったからだ。


 実はオーガスタに初めて会った5歳の時、テレシアは天使の様に美しいオーガスタに恋をした。一目惚れだった。

 相手は伯爵家の後継者。出生の分からない孤児の自分が彼に釣り合わない事はテレシア自身が一番よく理解していた。

 ところが運命の神はそんなテレシアにチャンスをくれた。

 スキル適正検査の結果を受けて、アルヴィン伯爵家はテレシアをオーガスタの婚約者として迎え入れたいと養護施設へ打診してきた。

 実はその申し出を親代わりだった養護施設の所長は断固反対したのだが、テレシアは所長と決裂する覚悟で押し通した。


 貴族の婚姻は、貴族籍を持つ者同士でなければならないと貴族法で定められている。

 そこでアルヴィン伯爵家は、今ではすっかり廃れた養嫁制度を用いてテレシアを伯爵家へ迎え入れる方法をテレシアに提示した。

 養嫁制度とは、幼い女児を婚家へ引き取り花嫁とすべく育て上げる制度で、最大の特徴は女児を仮の貴族籍としておける点だ。具体的に説明すると、女児が婚姻可能年齢に達した時点で婚家に相応しくないと婚家が判断すれば、女児を簡単に婚家の籍から抜く事が出来る。

 つまり、テレシアがオーガスタと結婚するためには、この国の婚姻開始年齢である16歳までに伯爵家に自らの有用性を認めさせなければならないのだ。

 これがいかに困難で、そして婚家側に有利かを熟知していた施設長は、テレシアを説得したのだが、幼いテレシアは施設長に黙って出て行った。

 

 伯爵家へ行ったテレシアは自分の有能さを必死でアピールした。

 数々の最年少記録を打ち破り、また魔法省に入ってからは新しい医療技術や魔道具の開発に携わり、特に不治の病とされてきた魔力過多症については、画期的な治療方法を発見し、その功績によって最年少で課長となったのだが、テレシアは元々孤児であった自分に様々な教育を施し、ここまで育ててもらった伯爵家に報いるのには、まだまだ足りていないと考えていた。


 というのも、テレシアは自己評価があまりにも低かった。

 

 その一番の原因は、婚約者であるオーガスタだった。

 彼にしてみれば孤児のテレシアと結婚するなど考えられない事であり、加えてテレシアの見た目が彼の好みと違っていたのも毛嫌いする一因だった。

 テレシアは伯爵一家が住む本邸ではなく別館で生活をしていた。本来なら家族全員揃ってする食事も一家とは別だった。

 月一回のオーガスタとのお茶会では、テレシアが自分の功績をオーガスタに一方的に報告するに留まり、オーガスタからは労いの言葉一つなく、反対に大きな功績がない場合は辛辣な皮肉を向けられた。それだけがオーガスタと会えるチャンスだったが、戦争が始まってからは途絶えたままだ。

 テレシアの誕生日や節目にはオーガスタから何かしらの贈り物が届いたが、そこに世間一般では当たり前である直筆のメッセージカード等はなく、その贈り物もオーガスタ本人ではなく伯爵家の侍女頭が選んだものだった。

 婚約者同伴の夜会などでは、オーガスタのエスコートは入場時のみ。ドレスも既製品であったためにテレシアは令嬢達から冷遇され友達など一人も出来なかった。 


 こうして一人孤独なテレシアは、オーガスタから受ける待遇がおかしいものである事に気付く事無く、月日が経つにつれて自分は取るに足らない存在だと己を卑下する様になっていった。

 しかしそれでもテレシアは、オーガスタに何とか気に入られようと必死に足掻いた。しかし、どれだけ必死になってもオーガスタの態度が変わる事はなかった。


 また、テレシアの直属の上司である魔導副師長もテレシアの自己評価を下げる要因となる一人だった。

 副師長はテレシアの才能をひどく妬んでいた。何故ならテレシアが頭角を現す前までは副師長が魔法省で最も優れた評価を受けていたからだ。その記録をテレシアが尽く塗り替えると、副師長はそれを逆恨みして上司の立場を利用してテレシアの功績を低く改ざんし始めた。

 

 結果、テレシア以外の魔法薬課の魔導師達が仕事を放棄している事を知りながらそれを黙認し、尋常じゃない量のポーション作成をテレシアが一人で完了させても、それを正統に評価などせず、逆に納期が遅いとテレシアを叱責した。

 

 こうしてテレシアの頑張りは空回り、どれだけ働いても自他共に正しい評価を貰えず、その結果、追い詰められたテレシアは倒れた。


 そしてこの時、生死の境に立ったテレシアは、ある不思議な体験をする。




「っていうか、お前の妹はもう結婚したんだろ?それなのに何で未だにお前が生活費を援助してるんだ?」


 凹凸の少ない顔立ちをした黒髪黒目の男。

 前世の自分が結婚を前提にして付き合っていた恋人が、ガチャンと乱暴にコーヒーカップをソーサーに置いて不機嫌顔でそう聞いた。

 最近は会えばすぐ喧嘩になる。仕事で疲れている上にそう言われてムッとした。


「だって、あの子の旦那さんは失業中だし、あの子は今妊娠してて大事な時期なんだから仕方ないじゃない!それに、たった一人の肉親である私が手助けするのは当然じゃない!」


 そう言ったのは、とても30手前には見えない酷く疲れた顔をした女だった。

 恋人の後ろにある喫茶店のガラスに映っていたのは、化粧っけのない顔に黒縁眼鏡をかけ、黒髪を耳の後ろで一つに束ねた、お世辞を言いたくても言える箇所がない冴えない女。

 それがテレシアの前世、工藤咲子だった。


「あのな、お前は自分の事は全部後回しにして、お前の両親がなくなってからずっと妹の面倒を見てきたじゃないか。…そもそも俺達の結婚が延期になったのだって、お前が妹が幸せになるのを見届けてからじゃないと考えられないって言うから。…それでやっと妹がデキ婚で片付いたっていうのに、お前はまだ妹、妹、妹!!俺はお前が妹の事を物凄く大事にしているのは理解しているつもりだけど、妹は結婚もして親にもなる大人なんだ!もう、子供じゃない!お前の庇護は必要ない!いい加減、ちゃんとお前も妹から自立しろよ!」


「なっ!ちょっと、さっきから聞いてれば妹、妹って。あの子にはちゃんと美咲っていう可愛い名前が…」


「咲子!そんな事はどうでもいい!…ったく、俺はお前と喧嘩なんかしたくないんだよ。俺はお前と…結婚したいんだよ。ずっと頑張ってきたお前を幸せにしてやりたいんだよ。なのにお前は口を開けば妹、妹、妹。……なあ、咲子。俺と妹。お前にとって一体どっちが大事なんだよ!」


 恋人のその問いに咲子は即答できなかった。

 彼は眉間に皴を寄せて顔を歪めた。その顔を咲子は今まで何度も恋人にさせている。


「もういい。お前は俺が何を言っても聞かない。……妹の事だけじゃない。今の会社だってそうだ。あそこはブラックだから辞めてくれって俺がどれだけ頼んでもお前は未だに辞めてくれないだろ?…どうしてだ?どうして自分を大切にしない?」


「違う!そもそも私がミスしたせいで会社に損失を与えたんだから、それを挽回するのは当たり前の事で、それにもし私が辞めたら同僚達に迷惑が…、」


「…咲子。どんなに気を付けていても仕事でミスするのはある程度は仕方がない事だ。それを個人的に無償で補填しろだなんて、まともな会社が言うわけないだろ?!同僚に迷惑がかかる?それだって、お前が辞めた後に労基に現状を訴え出れば、寧ろ職場環境が改善される話だ。」


「だ、駄目よ。それだけは絶対に駄目。それに私が辞めたら収入源が無くなるじゃない。…そしたら美咲が!」


「そうやってお前が妹を過剰に甘やかすから、妹だって大人になりきれないんだ。咲子に頼めば何でもしてくれる。泣けばなんとかなる。…妹を駄目にしてるのはお前なんだって気付けよ。」


「違う!違う!違う!!なんでそんな酷い事言うの?美咲を大事にする事の何が駄目なの?」


「いい加減にしろっ!!」


 恋人はそう叫んでテーブルを叩いた。その拍子にお茶請けのナッツが小皿から飛び出してテーブルの上に散らばった。その剣幕に店内の視線が二人に集まる。

 咲子は慌ててナッツを拾い上げながら、ペコペコと周りに頭を下げた。


「はぁ。もういい。…お前の愛情って、まるでタチの悪い呪いみたいだな。」


 しかし、恋人は溜息を吐きながらそう言うと、伝票を持って一人で足早に店の出口へと歩いていった。


「ちょっと待って!」


 咲子は恋人を呼び止めたが、彼は一度も振り返る事無く咲子を店に置き去りにして出て行った。


 それ以降、恋人は咲子との連絡を絶った。 

 しかし、咲子はその後も変わらぬ毎日を送り続けた。身を粉にして働いて、稼いだ給料を妹夫婦に貢ぎ、生れた子供も咲子は一生懸命に世話をした。

 それが自分の幸せだと信じて。



 

(美咲とオーガスタ様。私は同じ様にどちらにも尽くして倒れた。)


 どうやら自分は前の人生でも同じ様な目にあったらしい。

 自分の人生を楽しむ事無く、他者に搾取され使い潰されて死んだのだ。

 なんて馬鹿馬鹿しく虚しい人生だろうか。

 そう憤っても、今のテレシアはもう指の一本さえも自由に動かす事が出来なくなっていた。


(誰か助けて!)


 でも誰に?

 死ぬ間際に助けを呼ぶ相手の名前が一人も浮かばない事に、テレシアは思わず自身を嘲笑した。咲子は美咲ではなく別れた恋人の名を呼んだ。でも、テレシアには誰もいない。




 深夜に一人で作業していたテレシアが発見されたのは、次の日の昼過ぎ。発見したのはテレシアしか作る事の出来ない特殊なポーションの作成依頼を持ってきた、青の騎士団員の一人だった。


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前世で過労死したのを、今世で死にかけた際に思い出しました ありさと @pu_tyarou

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