ニベア

遠藤

第1話

その差は歴然だった。

どんなに攻撃を仕掛けてもダメージを与えることはできなかった。

圧倒的な力の前に絶望し、地面に蹲りひたすら敵の攻撃を受けるだけだった。

攻撃を受ける度に、自分の体から立ち昇って天に消えて行く魂の欠片はまるで、終わりへのカウントダウンのようだった。



なんでこんなことになったのだろう?


たまたま生まれた家が勇者の家系だった。

父はそんな家系の中でも特別な存在だった。

祖父も曽祖父も、その上の代でも手を焼いていた強敵を倒したのだ。

父は世界中から称賛され、褒め称えられ、そして愛された。

父が絶頂だったそんな時期に自分が生まれたのだ。

幼い頃から神の血を受け継ぎし者、神の子として育てられた。

困ったことに遺伝のおかげなのか、それなりには剣術を使えるようになってしまった。

ただ、あくまでもそれなりなのだ。

決して特別な存在ではなかった。


父が隠居すると、自分の周りに人が集まってくるようになった。

若気の至りともいうのだろうか、周りからチヤホヤされ、持ち上げられ続けている間に、自分は特別な存在だ、勇者なんだと勘違いしていった。

そんな時、王から討伐のお願いをされた。


勘違いした愚か者は仲間を引き連れ、討伐に向かってしまった。

余裕だと思った。

なんせ勇者なのだから。

選ばれし者なのだから。

そう植え付けられ育ったのだから、それ以外のことなど知る由もなかった。


甘かった。

強敵には、全く歯が立たなかった。

次々と自分を庇う様に仲間が倒れていくなか、怖くなって一人逃げようと思った。

でも、できなかった。


倒れていく仲間から「助けて、勇者様、勇者様」と皆自分に縋ってきた。


勇者は逃げてはいけない。

勇者は例え勝てないとわかっていても、最後まで、その命が尽きようとも仲間の前に立ちはだからなくてはいけない。

それが勇者だと、そう父から教えられてきた。


でも、俺は勇者なんかじゃない。

心も、力も、生き方でさえ、自分には何一つ勇者と呼んでもらえるものなどなかった。

何も無い、親の七光りに寄生するただの人間だ。

だから震えあがる心が限界で、せめて命だけでも、自分だけでも助けて下さいと命乞いをしたくてしたくて、今にもその想いが溢れ出しそうになっている時に、最後まで粘っていた僧侶が一生懸命回復の魔法をかけてくれて、自分に「逃げて下さい」って涙ながらに言った。


俺は、本当の自分はクズ人間だと思うのだけど、親からの教育がそんな俺を許しはしなかった。

そんな優しき人を見捨てては行けないという教育が、俺をこの場にとどめさせることになってしまった。

気づけば震える手に握った剣を強敵に向け、倒れた仲間の前に立ちはだかってしまった。

まったく歯が立つわけが無かった。

そりゃそうだ。

勇者じゃないのだから。

そもそも戦いの経験すら浅いのだから。

強敵の猛攻に僧侶の回復魔法も途絶えた。

絶命してしまったのだろう。

これでやっと逃げられると思った。

誰にも見られずに全力で逃げられると。

でも逃げなかった。

もし逃げて戻っても、また新たな仲間とここに来なくてはいけないのではないかと、ふと思ったからだ。

それならいっそこのまま終わった方がいいだろうと思えてきたのだ。

だから、無駄に立ち向かうのはやめ、やられるがまま地面に蹲った。

誰も見ていないのだからどうしようが自分の勝手だ。

それにしても、自分がなかなか絶命しないのは、代々受け継がれた防具がやたらと頑丈だったことだ。

それでも、もう少しで尽きてしまうだろう。


魂の欠片が次々と天に消え行く中、自分の人生を思った。

本当は何がしたかったのだろう。

普通の家に生まれていたらどんな人生だったろう。

戦わない人生もあったのだろうか。

こんな時代であっても、穏やかな一生を送ることもできたのだろうか。

瞳から涙が零れた。

いよいよその時が近いようだ。

黙って受け入れようと目を瞑った。


突然、闇がやってきた。

攻撃がやんだ。

死んだと思った。


薄く目を開けて見た。

死んではいなかった。

生きている。

こんな自分に覆いかぶさり守ってくれている者がいた。


「・・・ニ、ニベア」


ニベアだった。

幼い頃からずっと一緒にいた友だった。


覆いかぶさりながらニベアは言った。


「守るんだ!絶対勇者を守る」


わずかな意識の中、勇者は消えゆく声で言った。


「や、やめろ・・・逃げろ」


ニベアは攻撃ができなかった。

そのかわり圧倒的防御を身につけていた。

それは、ニベアの母の教えだった。

ニベアの母は常々言っていた。

「攻撃をすればいつまでも争いは消えません。怒りが収まるまで耐え、その後ともに考えるのです。必ず答えはそれぞれの心の中にあるのです」と。

自分にはまったく受け入れられない教えだった。

怒りが収まるまで待っていたら全滅してしまうと嘲笑った。

体は大きいのに、守る事しか能の無いニベアをいつも小馬鹿にしていた。


守る事しかできなかったニベアは今回のメンバーから外された。

いくら防御力があっても、攻撃できなくて、魔法も使えないじゃ何の役にも立たないのだから。

なのになぜここにいる?

まさか、一人で後をつけてきたのか?

馬鹿な奴だ。

まさに無駄死にだ。

そんなことをしても全滅は明白なのだから。


ニベアから魂の破片が天に昇っていた。

小さな光が火の粉のようにユラユラと。

どんなに防御力があっても、着実に体力は削られていく。

ましてや、守ることに特化したその体は誰よりも体力はなかった。

そんなに長くは持たないだろうと思った。

なのに何故俺を守る。

俺を守ったところで何になるのだ?

お願いだ、もうやめてくれ。


ニベアは痛みをこらえるように言葉を絞り出した。

「勇者はこの世界の希望だ。誰にでもなれるわけではない。選ばれしものだけが勇者となれるんだ。例え、そう自覚していなくても、その体に流れる血は本物なんだ。その最後の希望を、その勇者を守ることが僕の使命なんだ」


ニベアはそういうと突然ニベアの体から青い炎が立ち上がった。


驚いて勇者は声をあげた。

「ニベア―!!」


やがてその青い炎を手に集めると勇者の胸に押しつけた。


「みんなの希望であることを思い出して!君は本物の勇者だ!」


それは、その青い炎はニベアの魂だった。

絶対に守りたいという想いは、自らの命さえも惜しむことはなかった。

ニベアは瞳を閉じると地面に倒れた。


勇者の体は青い炎に包まれた。

勇者の心が憤怒し、今にも自分が壊れてしまいそうな所にいた。

怒り、苦しみ、悲しみ、絶望、空虚。

様々な感情が爆発しそうになっても優しさの前では無力だった。

圧倒的優しさの前では涙を流すこと意外にできなかった。



勇者は思い出していた。

あれは誰が話していたのだろうか。

父だろうか祖父だろうか。


「その髪はまるで青い炎のように、その宿りし怒りは神の力となり、その祈りは全ての救いとなる」


伝説の勇者の話だった。

青い髪の勇者こそ本物の勇者だと。

それはあくまでも我が家で受け継がれてきた話だった。



ニベアから託された青い炎は勇者の髪を青く染めていく。

天に消えた魂の欠片を両手一杯に抱えた天使たちが舞い降りてきた。

倒れていた仲間達にもその欠片が戻されていく。



覚醒した勇者は圧倒的スピードで飛ぶと、強敵の喉元に剣を押し当てた。

とどめを刺すことなく、勇者は強敵に語りかけた。

「悪は消えない。例えお前を倒してもまたあらたな悪が現れる。そもそも悪とはなんだろうか。お前の生き方が合わない者たちがお前を悪としているに過ぎない。常に多数が正義、強過ぎるものが目障りなだけ、ただそれだけだ。お前みたいな存在もバランスの中では時に必要だ。人間が恐れる存在としてここに居て欲しい。人間の悪事を喰らう鬼としてここに在って欲しい。そうすれば人間たちからお供えと称した供物を与えるようにする」


強敵は勇者の言葉に従う以外になかった。


勇者はニベアの側に向かった。


動かぬニベアに天使たちが集まってきた。

ゆっくりとニベアの体が持ち上がり、天使たちと天に還っていく。

勇者の瞳から涙が溢れた。


ニベアが命をかけて行ったのは禁忌であった。

その捨て身の術は悪魔との契約によってなせるものであり、神への冒涜行為とみなされた。

そのため全ての回復系魔法は効かず、蘇ることも許されなかった。

それだけの覚悟を持った最終奥義と言えるものだった。


しかし、神はわかっていた。

その想いを見捨てるわけがなかった。

優しきその者を天へと誘った。

天に還るその優しさは、無数の小さな光となって、地上に降り注いだ。


勇者は学んだ。

勇者の心の中にあるニベアの魂が生きる意味を教えてくれたのだ。


一心に何かを守ろうとすれば、時に戦わなくてはならない。

戦わずして守ることは不可能に近い。

でも、優しさがあれば、その優しさがきっとあれば、全てを変えられるかもしれない。


けっして容易い道ではないだろう。

だが進むんだ。

それ以外に真の平和はないのだから。


優しさとはきっと愛なのだろうと勇者は天を見上げながらそう想うのだった。



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