第59話 長くて格好のいい足
日曜日の朝と昼の間。紫陽里は1人とあるアーケードの入り口に立っていた。
少女は丈が長い灰色のワイドパンツを履き、裾を茶皮のベルトへと仕舞い込んだ袖無しの白いTシャツの肩には、薄紫のカーディガンが掛かっていた。
いつもは頭の高い位置で1つに纏められている髪は下ろされ、片側には幅の短いヘアピンが1本留まっている。
「お姉さん、こんちわ」という声に紫陽里はスマホから視線を上げた。
当世風の髪型、当世風の衣服を着た若い2人の男だった。相手がニヤニヤと笑っているので、少女の方も笑みを返す。
「どしたの? 彼氏さんはドタキャン?」
「女が全員男を待ってる訳ではないと思いますけど」
「うっは、お姉さん面白いね! え、マジ俺らと遊ばない?」
「ちょっ、お前がっつき過ぎ!」と片方がツッコミを入れる。
「ごめんね。こいつバカでさ!」
「ちょっ、バカって言う方がバカじゃん!」
(引くほどつまらない)紫陽里は笑みを絶やさずに思う。
男B「俺がちゃんとコイツの手綱引いとくからさ、遊ばない? 大丈夫大丈夫。ちょっとカラオケとか行くだけ。そっから先は自由」
男A「ちょっ、がっついてんのはそっちじゃん!」
紫陽里「大学生ぐらいですよね? 私、まだ高校生ですけど大丈夫ですか?」
男B「えっ、マ? 大人びてんねー! 大丈夫大丈夫、俺ら慣れてっから! 入りやすいオススメのバーとか教えるよ?」
男A「やべーやべー、魂胆丸わかり! バカはどっちじゃんって話」
紫陽里「ごめんなさい。友達を待っているので」
男A「そうなの? じゃあ友達の子が来たら一緒に行こうよ!」
男B「そうそう。俺らもちょうど2人だしさ。ほら、痒い所に手が届くってやつ?」
男A「ちょっ、それってことわざじゃん! マジでウケんだけど!」
2人の男は背後から近づく人間に気づいていなかった。だから紫陽里が嬉しそうに微笑んだ時、てっきり脈があるものだと思い込んだ。
「お前らなんダ?」
男達はその言葉に振り返って、ようやく自分達よりも背が高くて体格の良い少女が立っていることに気がついた。
サングラスの向こうにある少女の灰色の瞳は目一杯に開かれ、男達を凝視していた。
◇
「助けてくれてありがとう、ピー子」
アーケードの中を歩きながら紫陽里は言った。
「つまらないノリツッコミで殺されるかと思っちゃった」
「嘘つケ。喋らせて遊んでたくせニ」
パーカーのフロントポケットに手を突っ込みながら大森は答える。下はゆったりとしたジョガーパンツを履いていた。
「松永先輩、大丈夫だったんですか…?」
川山田が尋ねる。川山田はボーダーの長袖シャツに、タイトなジーンズを履いていた。
「大丈夫に決まってル」紫陽里の代わりに大森が答える。
「コイツの爺ちゃんの力を使えば、あんなチンピラぐらい簡単に消せるのニ」
「そ、そうなんですか?」
「アハハ」と紫陽里は笑う。
「否定はしないんですね…」
先輩達に導かれるまま、川山田はとあるテナントの隅にある、人1人が辛うじて歩けるぐらいの幅の階段を登った。
先には木製の上等な扉があり、大森は何の躊躇もなくそれを開けた。
中に入って川山田は息を呑んだ。壁際の棚とフロアに置かれたハンガーラックには、所狭しと服とかズボンが並んでいる。
「こんにちはー」
慣れたように松永が声を掛けると、奥にあるレジから「はいはい」という声が返ってくる。
出て来たのはブカブカのカーキ色のパンツを、サスペンダーで白い長袖の上から吊り下げた中年の男。髭を伸ばし、首がどこにあるのかも見えない。
(あっ)直感的に川山田は思う。(あ、危ない人だ…)
「あれっ、松永ちゃんじゃん! 久し振りだね!」男は答える。
「お久しぶりです、津守さん」と紫陽里。
「ありゃ、大森ちゃんも」
「うス」と大森。
「なになに、2人とも仲直り? 大森ちゃん、来る度に松永ちゃんの話してたもんな。仲直り出来てよかったねぇ…」
「そうなの? ピー子」と紫陽里。
「陰謀論。信じんナ」
「1人多くない?」津守は目ざとく、先輩達の背に隠れた川山田に視線を向ける。
紫陽里と大森が避けたので、背を縮ませた川山田の全身が露わになった。
「いや、これは…」津守は自身の髭を片手でなぞりながら言う。「またすんごいスタイルのいい子連れて来たね」
即座に川山田の顔が赤くなり、背中はダンゴムシのようにさらに丸まった。
「セクハラ」と大森が呟くと、「えっ、いや、これは…」と津守は慌てて話題を変える。
「も、もしかして今日はその子に見繕ってあげるの?」
「そうなんです」と紫陽里。
「自分に自信がないそうなので、外見を変えてあげようと思って。自分は可愛いって自信が持てたら、どんな時でも無敵じゃないですか」
「そ、そうなんですか?」と川山田。「そうなノ?」と大森。
「面白そう!」津守はそう言って一旦店を出ると、すぐに戻ってくる。
「店閉めたからさ、その間貸切で選んでいいよ。バックヤードにもあるから、持って来てあげる」
「ありがとうございます! でも悪いな、そこまでしてもらうと」
「いいよいいよ。なりたい自分になるって、大事なことだよ。それにおめでたいじゃん。大森ちゃんの夢が叶って、また松永ちゃんと一緒になれたなんてさ」
「だってさ、ピー子」と紫陽里。
「大人はみんな嘘つキ」と大森。
◇
「川山田さんは、スカートとパンツどっちが履きたい?」
両手に商品のかかったハンガーを持ちながら紫陽里は尋ねる。
「え、えと…」言いながら川山田は自分の下半身を眺めた。
「私ってスカート似合うんでしょうか? その、大きいし…」
「背が高くたってスカートは履けるよ。ふんわり広がった花柄だけがスカートじゃないから。ね、ピー子」
「まあネ」と大森。「でも私は制服以外じゃ履かなイ。走りにくいシ」
「私もあんまり履かないかな。走りにくいもんね」
(そんなに走ることってあるんだろうか…)川山田は思う。
「あ、あの、ここって古着屋ですよね? なんで…」
「川山田さん、古着は苦手?」
「苦手というか、単純に疑問で。その、大手?の店で買わなくていいのかなって」
「古着はいいゾ。川山田」と大森
「流行と関係ないから人と被ることも少なイ。物によるけど、安いから気軽に買えル。この店のいい所は、仕入れが全部海外な所。海外じゃシーズン毎に服を買い換えるから古着でもそこまでボロくなイ。それになんと言っても、海外の古着はサイズがデカイ。私達みたいな人間にとってはそれが一番かもネ」
「な、なるほど…」
「話は戻るけど、川山田さん。今日履いてるジーンズ、すごくいい感じだよね。足の長さと、形の良さが目立ってて」と紫陽里。
「え、え、そうなんですか…?」
「うん。タイトなズボンは腰とか腿とかふくらはぎの形がはっきりするでしょ?」
「う、嘘…恥ずかしい…」
「知らなかったノ?」は大森。
「す、すいません。その、いつもお母さんが買ってきてくれたものを着てるだけなので…。鏡もあんまり見れないし…」
「じゃあ今日はちゃんと自分の身体と向き合ってみよう。自分を良く見せる方法が分かれば、きっと自分の身体も好きになるよ」
「じ、自分の身体…」
川山田は自分の長い腕を見る。この腕も、背中も、足も、頼んでもいないのに自分の心を置いて勝手に大きく伸びていく。
「お、大森先輩も…」気弱な背の高い少女は、おずおずと尋ねる。
「そうやって克服しましたか?」
「前にも言ったけど、私だってまだ悩んでル。最近になってようやく自分の身体と心との折り合いもついてきた。って思ウ。だいぶ努力したけド」
「努力…」
「そう、簡単なことじゃなイ。でももし川山田が頑張るなら、私達はそれを助けてやれるかもしれなイ」
川山田は俯く。その視線の先には大森の足があった。長くて格好のいい足だなと、少女は思った。
「あの、大森先輩の履いてる感じのズボン…」
「ああ、ジョガーパンツ?」と紫陽里。
「これはいいよね。ゆったりしてるし、上と合わせやすいし」
「あの、履いてみたい、です…」
「じゃあ探してみよう。私もオススメだよ。走りやすいしね」
(オシャレな人って、そんなにしょっちゅう走るの…?)川山田は思う。
◇
「どうかな」
それから小一時間後、紫陽里は川山田を姿見の前に立たせた。それまで2人の先輩に言われるがままに服を脱ぎ着していた少女は、改めて鏡の中を覗き込んだ。
「う、わぁ…」
鏡に映った少女は、濃い青色のスニーカーに、細めの灰色のジョガーパンツを履いていた。
スニーカーと同色無地のゆったりとしたスウェットの下からは、白のシャツが覗いている。顔には円形のメガネもある。
「ワイドパンツのが良かったかナ」と大森。
「かもね。でも、今でもすごく可愛いよ」と紫陽里。
津守もやって来て、「わあ、いいね!」と声をあげる。
「店に入って来た時のが悪いって話じゃないけど、もっと良くなったと思う」
顔を赤くして、川山田は俯く。
「ブカってしたのもいいけど、ピンって張ったジョガーパンツも格好いいよね。高身長の特権って感じ」と紫陽里。
「自分で言うのもなんだけど、まあボテっとした服を着てもある程度様になるのが180越えのいい所ではあル」と松永。
(可愛い、のか…)
鏡に映った自分の姿を見ながら、川山田はぼんやりと考える。殆ど自覚はなかった。
確かにマシにはなったみたいだが、紫陽里や大森の方がまだ何百倍もオシャレに見える。でもどうやら、この腕も背中も足も初めて無駄にならなかったらしい。
控えめに弱々しく、だが確かに少女は自分の姿を見て微笑んだ。
「あ、あの…これ買います…」
◇
「似合ってるゾ」
アーケードに戻るやいなや、大森は川山田にそう言った。川山田はそのまま服を着て店を出ていた。
恥ずかしそうに両手で上半身を隠し、俯きながら「み、見られてますか…」と川山田は答える。
「生きている以上、常に誰かには見られるよ」と紫陽里。
「大丈夫。何か言われたら返り討ちにしてあげるからね。ピー子が」
「適当なこと言うナ」と大森。
「それで次はどこ行くノ?」
「ちょっとお茶して、ウインドーショピングでもして、映画でもあったらそれを観るかお笑いでも行こうか。その後は晩御飯でも食べる?」
(う、うわあっ…!!!)川山田は心の中で腰を抜かした。
もう既に、少女の中で1日に使える気力の殆どを使い果たしている。2人の先輩と一緒にいるのは楽しいが、これ以上気をやれば倒れてしまうかもしれない。
「ま、そんなもんネ」と大森。
(ええっ…!?)
川山田の顔が途端に青ざめていく。素直に言うべきか否か、気弱な少女は迷う。
(これで断ったら、もう2度と遊んでくれないかもしれない…。でも、このままじゃ休日が休日でなくなるし…。でも、やっぱり、でも…)
「川山田」大森に声を掛けられて、少女はハッと顔を上げた。
「今のは嘘だかラ」
「川山田さん、疲れてるでしょ?」と紫陽里。
「顔色が悪そう。ちょっと喫茶店かどこかで休んだら、今日はおしまいにしよう。ごめんね、慣れないことさせちゃって」
「は、はあ…」と川山田は安堵したように息を吐いた。
◇
それから数時間後、紫陽里と大森は並んで電車の席に座っていた。
「今日のは意味があったノ?」大森は呟く。
「これぐらいで助けになるとは思えないけド」
「うん。あれだけじゃ全然ダメだね」と紫陽里。
「『自分に自信を持つ』なんて抽象的な問題が、1日で解決出来るわけない。長い時間をかけないと」
「じゃあどうすんノ。後は自分で頑張れっテ?」
「まさか。川山田さんには、私達の委員会に入ってもらう」
「なんでそうなるんだカ…」
「活動を通じて色んな子と知り合って、学内に川山田皐という存在を広める。存在が受け入れられて日常になれば周りはなんとも思わなくなるし、川山田さんだって自分と周りを比較して悩むことなんてなくなる」
「なに言ってんノ?」
「私もよく分かんない。あの子を入れるって決めた。あんな面白い子、何が何でも規律秩序委員会に入ってもらう」
「なんでもいいわ、もウ」
「本当にありがとう、ピー子。あの子にうちを紹介してくれて」
「別ニ」
「『別ニ』なに?」
「別にって言ってら別にヨ。馬鹿にすんナ」
「アハハ。拗ねた顔も可愛いね、ピー子」
「キモイ。誰にでも言ってるくせニ」
「褒めるべきものは褒めないと。でもさ…」
紫陽里はそう言って、自分の頭を大森の肩へと傾ける。
「こうやって凭れられるのはピー子だけだよ。他の子はこんなに上背がないから」
「どうせ私はデカいだけの女」
「怒んないでよ。私、本当に嬉しいんだ。こうやってまた、ピー子と一緒にいられるんだから。きっかけを作ってくれた川山田さんには感謝してもしきれない。勿論、ピー子にもね」
「思ってもない事を次から次へト」
「本当だよ、嘘じゃない。色々迷惑を掛けて、本当にごめん。ごめんね…」
「うるさイ。もう怒ってないかラ」
凭れかかってくる紫陽里を跳ね除けるでもなく、大森は親友の頭の重みを肩で感じ続けた。
2人が別れなければいけない時間になるまで、まだあと7駅分はあった。
規律秩序委員会 二六イサカ @Fresno1908
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