第58話 偉大なる委員会(後編)
「はあっ? 何言ってんの凛紗!?」亀本も慌てて下の名前で相手を呼ぶ。
「高圧洗浄機を使う時は申請書が必要でしょ!」
「早く持って来なさい、仲間の危機なのよ! 第5班はそれを持って突入!」
「絶対にダメ! そんなことをしたら、もう2度と太陽の下を歩けなくなっちゃうよ?」
「七瀬、あなた言ったわよね? 私のためならなんでもするって、死んでもいいって」
「ちょ、ちょっと待って! 今そんな話を持ち出しちゃ──」
「それともあれは嘘だったの? 日曜日の昼下がりに、あなたは寝ている私の髪を掬い上げ、耳元に唇を寄せ、ふうと息を吐いた後に確かにそう言っ──」
「分かった分かった! ど、どうなっても知らないからね!」
亀本はブレザーのポケットから鍵の束を取り出し、それを待機している委員に手渡した。
数分後、車輪のついた巨大な高圧洗浄機がやって来た。委員達は素早く近場の水道にホースを繋ぎ、何度か試し撃ちを始める。
その異様な音に反応してか、体育部棟3階の窓が開いて中から数人の生徒が顔を出した。
「低偏差値運動部員共!」拡声器越しに菖蒲は叫ぶ。
「今からお前達の部室まで行き、その汚らしい心と体を隅から隅まで洗い流してやる! 覚悟しろ!」
「ふざけんなバカ!」相手も3階から怒鳴り返す。
「そんなん撃たれたら平気で死ぬじゃんか! 捕まるぞ、お前ら!」
「先に仕掛けたのはそっちだろう!」
「ちげーよ! 最初に突入したのはそっちだろーが!」
「ゴミを撒き散らすような連中に聞く耳など持たない。第5班、前進! 全てを洗い流せ!!!」
高圧洗浄機を先頭に第5班は建物へと進んで行く。班長が銃口を持ち、その力を誇示するように、ビシビシと地面を水流で叩いた。
◇
「流石にヤバいやろ、これ…」奈緒の言葉に、和歌も「そうね」と頷く。
和歌は前に進み出ると、そのまま建物と環境・美化委員達の間に立った。
「やめてください。もっといい解決策があるはずです」
第5班は歩みを止め、困惑したように委員長を振り返る。
「そこをどけ、狂人」相手を睨みつけながら菖蒲は言う。
(どの口が言うてんねん)奈緒は思う。
「私たちはお前達のような気狂いではなく、理性と正義の集団よ。私達には使命がある。そこをどきなさい。でないと、その柔肌に穴を開けてやる」
「どうぞ」そう言って、和歌は目を細める。
「私達にだって使命がある。それは、悩んでいる生徒の側に立つこと。体育委員の人達がびしょ濡れになるなら、私もそうなります」
「では死ね。第5班、前進!!!」
第5班の班長は班員達と目を合わせた後、ままよとばかりに高圧洗浄機の引き金を引いた。
和歌は目をつぶる。だが身体はなんともない。
目を開けた時、そこには奈緒の胸元があった。
「があー、痛い!」水流を背中に受けながら、奈緒は叫んだ。
「マジでヤバい! 痛い痛い痛い痛い痛い!」
「奈緒ちゃん!」和歌は目を見開き、相手の顔を両手で挟む。
「奈緒ちゃん。ああ、奈緒ちゃん。私なんかのために…」
「それはええねん! はよ離れろ! ホンマに痛いねんて!」
「奈緒ちゃん、死なないで! 死なないで、奈緒ちゃん…!」
「お前がそこをどけば死なんで済むねん! 頼む、頼むからそこをどいて! お願いです…!」
「奈緒ちゃん…インナーが透けてえっちだわ」
「ホンマに死ぬ、ホンマに死ぬ! いたたたたたたたたたた! オトンオカン、ほんまごめん! ウチはここで死にます! ぐわあああああああ!!!」
「凛紗、これ以上は本当にマズい。今すぐやめさせて!」亀本が叫ぶ。
「ダメよ七瀬、私は絶対に引かない。第5班前進! 委員長命令よ、前進し続けろ!!!」と菖蒲。
その時、3階の窓から何かが撒き散らされた。
それは小さく細い何かの破片のようで、陽の光を浴びてキラキラと光りながら落下してきた。
「あっ、あ、アレっ…!」地面にへたり込んでいた委員の1人が、空を指さして叫ぶ。
「む、虫! 虫! 虫! 虫! 虫の破片ー!!!」
運悪く、その破片の殆どが第5班の班長の頭上へと降り注いた。
半狂乱になった班長の手から高圧洗浄機のノズルが滑り落ち、水の勢いそのままに、まるで生き物のようにホースがのたうち回る。
水流は奈緒から大きく外れ、あたり構わずに水の弾丸をお見舞いした。委員達は慌てふためき、右に左に逃げ回る。
亀本が暴走するホースを掴もうと走り出したのは、水流が菖蒲に向かうまさにその時だった。
ビシッ!という鋭い音を立てて、水流をまともに喰らった菖蒲は悲鳴も上げずにその場に倒れる。
亀本はなんとかホースを掴むと、ノズルを自分の腹部に向けて水流を抑え込みながら「元栓を閉じて!」と怒鳴った。
委員が元栓を閉めて高圧洗浄機はようやく静かになった。亀本はずぶ濡れのまま、倒れたままの菖蒲に駆け寄る。
「大丈夫? 凛紗、大丈夫!?」
「い、痛い…」そう言った菖蒲の目元には、涙が滲んでいた。
「どこ? どこが当たった?」
「ここ…」菖蒲は震える左手を差し出す。親指と人差し指が真っ赤に腫れていた。
「他は? 他は平気?」
「分かんない、でも凄く痛い。もう歩けない。凛紗、おぶって…おんぶして…」
「2+3は分かる?」
「ぶ、文鎮…」
「こりゃダメだ」
亀本は菖蒲を背負うと、保健室に向かって駆けていく。
体育部室棟からうらあ!と歓声が上がった。大勢は決した。残された環境・美化委員達は、互いに顔を見合わせるだけ。
第5班の班長、即ちこの場に残った環境・美化委員会の最高責任者は取り敢えず奈緒と和歌に謝った後、規律秩序委員会に力を貸してくれるよう頭を下げた。
和歌は快諾すると、すぐさま瑞稀にメールを送る。そして菖蒲が残していった拡声器を拾い上げると、返信を待った。
「おっ! 規律秩序委員会じゃん!」3階の窓からそんな声が上がる。
「あんたらの真似してさ、あたしらも権力に逆らうことにしたんだ! さっきはマジでありがとう! 体育委員会と規律秩序委員会はもうズッ友じゃんね! ねえ、こっち来て一緒に環境・美化委員会の残りもんボコらね?」
和歌はなにも答えず、ただにっこりと微笑む。そうこうしている内に返信が来た。和歌は拡声器のボタンを押し、瑞稀の貼ったURL先の文章を朗々と読み上げる。
「害虫というのは、それはそれは恐ろしいものです。学校でもそれは変わらず、いつ何時その脅威に襲われるかわかりません。害虫が発生しないためには常に周囲を清潔に保つことです。1つ1つ例を挙げていきましょう。まず初めに、【自主規制】がもたらす害について…」
十数分後、体育委員達は自主的に部室の掃除を行い、環境・美化委員達の監査を粛々と受けた。
◇
「どうだった?」2人の1年を振り返りながら、紫陽里は言う。
鬼追と川山田は小さく口を開けたまま、困ったように顔を見合わせる。
「どうもなにも」と鬼追。
「何にも分かりませんでした。規律秩序委員会って、結局なんなんですか?」
「ありゃりゃ」
「ていうか、最初から害虫の弊害を説けばいい話でしたよね? そうすれば誰も傷付かずに終わったのに」
「どうかな。環境・美化委員も体育委員も興奮してたから、最初から私たちの話を聞くっていうのは無理だったと思うよ」
「私たちって、松永先輩は何にもしてませんよね?」
「確かに。アハハ」
「笑って誤魔化さないでください。ここって本当に変な学校。入るとこ間違えたかも」
「でも他の学校には私も、赤間さんも、和歌も、瑞稀も、川山田さんもいないよ?」
「は、はあ? だからなんだって言うんですか?」
「鬼追さんって、本当に可愛い性格してるよね」
紫陽里はそう言って、今度は川山田の方を向く。
「大丈夫だよ、川山田さん。こんな変な場所だからこそ、川山田さんの居場所なんていくらでもあるから」
「は、はあ」川山田は取り敢えず返事をする。
「所で川山田さん、次の日曜って空いてる?」
「えっ、多分、空いてると思います」
「良かった! じゃあどっか遊びに行こっか。つまり、デートね」
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