第7話本質
「わたしに面倒を掛けないで頂戴。貴方はエマちゃんのお世話係を頼まれているのよ?その自覚をしっかりと持ちなさい」
と、帰宅して早々に、母さんから咎め立てを受ける。
そうして偉そうに語るそんな彼女の装いは、些か言動に見合わない代物。
その厳粛な物言いとは対称的に、大変肌の露出が多い。
というのも、僕が予想する限りこの人は水商売に務めている。
故に仕事柄派手な服装をしていなければならない。
それが平素から見られるのは、単に着替えるのが億劫であるからだ。
そして、疲労を溜めた彼女に手渡したの早退届がこれに拍車を掛けた様だ。
気怠げなままに、依然として愚痴を溢している。
起きた問題の大事に対して思考を巡らせているに違いない。
その証左としてあからさまなまでに苛立ちを露わとしている。
大変機嫌が悪そうだ。
次第に鬱憤を募らせて窺える。
お陰で眉間には深々と皺が刻まれる
元より何処かキツい印象を受ける母さん。
その為険しい面持ちは大変恐ろしい表情だ。
お陰で美人の部類に入る容姿ではあるが、やはり気圧されてしまう。
これ以上問答を続けたくはないが、どうやらご高説を垂れたいらしい。
「はぁ‥わかるからしら?わたしは今、とっても眠いのよ。取り敢えずご飯はお金此処に置いておくから好きなの買ってエマちゃんと一緒に食べてね。それじゃあわたしはもう寝るから、エマちゃんのお世話してあげなさい。いい?絶対に起こすんじゃないわよ?あ、あとあの子達の分もお願い。多分冷蔵庫に何も無いと思うから」
そうして一頻り捲し立てた後に、予想に反してこの場を去る母さん。
都合、僕とエマちゃんは居間に並んで取り残される。
何故ならばそれは母さんの説教が、思いの外平素と比較しては、早々に締め括られたが為である。
予期せぬ幸運との遭遇。
お陰で暫くは立ち竦む羽目となる。
これには先程まであからさまに不機嫌を露わとしていたエマちゃんも歓喜を面に出している。
どうやら小言が無くて嬉しいらしい。
これは滅多に無い思いがけずして得た尭孝に相違ない。
これだけの事をしでかして二言三言で済まされるなど、寧ろ明日が恐ろしい。
と、突然降って湧いたそれは我に帰って改めて考えると、次に先送りにされただけに過ぎなかった。
敢えて思考を巡らせるまでも無い。
それは特段確認する程もなく明白だ。
どうやら僕は怒られる様だ。
思わずそれに対して辟易とする。
とはいえ不安に囚われる愚を冒す必要もなし。
で、自ずと僕は片手に引っ提げている袋の中に納められている数個のハンバーガーを見る。
そしてため息を吐いた。
取り敢えずは今し方の言い付けの実行を試みる。
まずは妹の部屋に行く。
不登校の彼女に対して食料を配給するのは僕の役割だ。
母さんは面倒くさがるし、姉さんは近寄らない。
だから僕が普段から妹にご飯を届けている。
そうする他にないのだから致し方無し。
「‥マリカ、ここ開けて」
そうして扉越しに一声掛けると共に、ノックを数回。
すると板切れ一枚を隔てて人の気配がある。
押し殺した息遣いは彼女が人一倍臆病である証左。
普段から部屋に閉じこもる彼女は、その内気な性質を示している。
「‥うん、お兄ちゃん。いつもありがとう」
どうやらその返事を鑑みるに彼女は僕が訪れた理由を把握しているらしい。
だがそれもその筈で、此処に足を運ばせる時はいつもご飯の配給の時だ。
無論例外はあるものの、進んで関わろうとも思わない。
「はい、これ」
次いで扉が開いたとしても室内に入る事なくただハンバーガーを取り出した。
「うん」
差し出されたそれを見たマリカは、何処か卑屈な笑みを浮かべる。
そうして手渡されると同時に彼女は、僕に対して上目遣い向ける。
母さんと同様に、やはり整った顔立ちをしている妹の面持ちが此方を仰ぎ見る。
幼いが故に可愛らしいと称して差し支えない容姿はしかし、暗く翳りに覆われている。
その類い稀なる見目が為にいじめに遭った彼女は、それ以降登校拒否といった塩梅。
だがそれを認めざるを無いのも事実。
受けた心の傷は本人にしかわからないのだから当然だ。
勝手に推し量る様な真似は憚られる。
ましてや登校の催促をしようものなら、一体どんな事態になるやら検討がまるでつかないのも恐ろしい。
「姉さんは?」
だからそんな風に見上げられると居心地が悪い。
都合、それに対しての忌避感を覚える。
お陰で居心地が悪い僕は、さして知りたくもない話題を振った。
「えっと‥お姉ちゃんは多分まだ帰ってきてないと思う」
するとそんな適当な僕に与えられたのは、律儀にも受け応えるマリカの声。
問い掛けに対して言われるがままに返答する彼女の面持ちは案の定自信がなさげである。
けれどそれは平素からの事なので、特段気に留める必要も無し。
「そっか‥」
だから自ずと踵を返すと共に、会話を打ち切るべくして動き出す。
が、次に与えられた言葉によりそれを阻まれる。
「あの‥お兄ちゃん、いつもの、‥して?」
と、言った彼女は、不意に僕の手を引いて自らの部屋へと招き入れる。
そうなってしまった手前、これを一蹴する訳にはいかない。
仮にこれを無碍にすると、母さんに言い付けられる可能性がある。
その暁にはどうせ僕が一方的に身を積まされるに相違ない。
それで不仲を咎められたりでもした場合には、僕としても部が悪い。
故に、されるがままに室内へと足を踏み入れる。
都合、これに倣いエマちゃんも同様に続く。
エマちゃんとてこれが特段初めてではない。
幾度かマリカと交友を交わした経験もある。
だから自ずと伴っての入室となる。
けれど傍らに歩むエマちゃんは、まるでアマゾンの奥深くに珍獣でも眺めるかの様にして物珍しげだ。
まるでその姿は、秘境にでも訪れたかの様。
その露わとされている面持ちは、今にもはしゃぎ出したいとでも言わんばかりに此方へと訴えてきていた。
そうして改めて見る何処か甘ったるい苺の匂いのする部屋は、大変マリカらしい。
所狭しと並んだ可愛らしい人形の数々は、彼女の孤独を埋める代物に他ならない。
「‥そこに座って」
と、再び珍しくもマリカより言葉が与えられる。
彼女が自ら率先して物事を進めるなど余程の事。
それ程までにマリカにとっては、今の時間は重要な意味合いを持つらしい。
だからそんな彼女から言われるがままに、ベッドへと腰を落ち着ける。
これに応じてエマちゃんも傍らへとお尻を落とす。
際しては、自ずと隣に並ぶ形となってしまった。
するとそれが気になるのか、マリカの表情が揺らぐ。
「エマちゃんはお兄ちゃんと離れて」
次いで明確な嫌悪を露わとした面持ちの彼女は、拒絶の意思を呈した。
「いやっ」
が、それを一蹴する限りの受けた側も譲る気はない様だ。
一切の譲歩を示さないエマちゃんは次の瞬間、唐突に僕へと身を預けてくる。
寄りかかる様にして、此方へと縋り付いてきたのだ。
「お兄ちゃん‥」
そんな光景を目の当たりとしたマリカは、やはり不満の表情を浮かべている。
そしてこれを放置すると碌なことにならないのは知っている。
であるが故に、抱きついてくるエマちゃんから身を離す他にない。
「ゆうくんっ、ゆうくんっ」
とはいえそれに快く応じる彼女でも無く、案の定抵抗を見せる。
その反応は過剰なまでの振る舞いとして、与えられることとなる。
必然的に癇癪を起こしたエマちゃんは、金色の髪を振り乱して、怒りを露わとする。
都合これを宥めるべくしてすぐさま口を押さえる。
掌でしっかりと隙間なく漏れ出る声を押し留める。
これをしなくては母さんを起こしてしまう。
だから無理でもこの様にして興奮の沈静化を待つばかり。
するとそうしている事暫く、どうやら息遣いも落ち着いてきた様子が窺える。
無論油断する事なく緩慢にエマちゃんの拘束を緩める。
だが、自由を与えられたエマちゃんは途端、解放されたのをいいことに再び大声を出そうと口を開く。
その証左として眼前にて深く息を吸い込む動作が見受けられる。
お陰で再度に渡り手間掛けさせられる羽目となる。
そうして一連の振る舞いを傍目に眺めていたマリカは、心底からの嫌悪も露わに言う。
「お兄ちゃん‥その子おかしいよ。なんだか気持ち悪い」
何ら容赦のない言葉が、此方に向けて投じられる。
言い放たれた内容の意味する所を理解して、僕は反射的に返答する。
「ごめん」
と、一方的に有無を言わせない謝罪の意を示す。
するとこれを受けたマリカは、何処か不満げに面持ちを顰める。
その表情が何処となく母さんに似ていて、僕も不快になった。
都合、お互いに相手に対する不服を感じる事となる。
お陰で同所には些か居心地の悪い静寂が訪れる羽目となる。
「ゆうくんっ、ゆうくんっ、あそぼーよっ、あそぼ」
痛い程の沈黙が支配した最中、場違いなまでに明るいエマちゃんの声色が、殊更に響いては聞こえた。
「あーそーぼーっ、あーそーぼー」
やはりエマちゃんは、場所を問わず異様だった。
「ゆうくんっ、はやくっ、はやくっ」
この場に身を置く僕等の中でも、際立って異質だ。
「うーっ、うーっ」
けれどそれを本人は何ら意に介する様子もない。
至って平素通りの呑気な雰囲気を漂わせて窺える。
一向に会話が交わされないこの場に置いて居合わせているエマちゃんは、普段通りの振る舞いを見せている。
我が道を行くその姿は、一切の乱れが無かった。
だがこれが一番効果的にマリカへと作用した様だった。
これを目の当たりとした彼女の面持ちは、形容し難い情動に彩られている。
そしてその露わとされた表情から鑑みるに、どうやら心底から嫌悪を覚えているらしい。
「ごめん、マリカ」
「お兄ちゃんが謝る事じゃ無いよ」
だがそうして当事者ではない僕が謝る事自体が意味を持つ。
何故ならば、これを受けた大抵の人は否が応にも口を噤むまざるを得ないのだから。
そしてそれに倣い、マリカとて同様だ。
何故ならばそれは、苛立ちの原因となったエマちゃんにではなく、僕に対して不満を垂れる事がどれだけ無意味であるのかを、その瞬間に悟るからだった。
加えてエマちゃんに直接言った所で徒労に終わるのは免れない。
敢えて確認するまでもなく、一蹴されてしまうのが目に見えている。
故に、エマちゃんとの言葉のキャッチボールが成立しないのは、さして考える余地もないまでに明白だろう。
そうして話し掛ける事自体が憚られるが故に人は、自身が意思疎通の出来ないエマちゃんに対しての怒りを自ら失うのだ。
そうして必然的に分かり合えない相手に対しての恐れを抱くに至る。
それが奏してか誰一人として例外なく、エマちゃんとの会話を諦める。
これは長年付き合いのある、共に育ってきたマリカとて例外には及ばない。
無論平素からお世話を頼まれているこの僕ですら、その例に漏れず、エマちゃんを理解していなかった。
エマちゃん係 @yukinokoori
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