第6話エマちゃん

「ゆーくんっ、ゆーくんっ、ハンバーグたべたいっ、ハンバーグたべたいっ」


 と、そんな風に、まるで壊れたスピーカーの如き繰り返しの言葉が与えられる。


 一定のリズムを刻むそれは、可愛らしい声音でありながら、何処か不協和音を奏でている。


 それに応じてすれ違う道行く人々はこれに対して視線を集わせる。


 どうやら側から見ても奇異な光景として映る様だ。


 当然ながら、それを自覚しているが故に、僕としてもいち早く帰宅を果たしたいのだが─


「ゆうくんっ、はやくっ」


 唐突に僕と腕を絡めたエマちゃんは、人目を憚ることもなく言う。


 急いている彼女はまるで僕を引き摺るかの様にして歩みを進ませるのだ。


 都合、此方も自ずと早足にならざるを得ない。


 お陰で周囲から向けられる好奇の視線が痛い。


 それ故に自然とそれに応じて運ばせる足も速くなる。


 だが、そうすると必然的にエマちゃんが張り合って、競争みたくなる。


 どうやら彼女は、僕を先導したいらしい。


 けれど無論、目的地の所在の程は、僕とて既に理解している。


 それでも尚、エマちゃんは得意げに案内を務める。


 それを鑑みるに、これら一連の振る舞いは心底から見せている様だ。


 そうして少しばかり行くと、学校から程近い位置に所在しているチェーン店が見えてくる。


 恐らく学生を狙った営業戦略に違いない。


 そしてそれは僕等みたいなのを客層としている。


 と、やはり案の定エマちゃんは我先に入店を果たそうと試みる。


 僕をそれを片手で静すると共にエマちゃんの手を引いた。


 脇へと逸れると同時に、エマちゃんへと言う。


「出てくる人が先だからね」


「うー」


 けれど返されたのは、不平の見て取れる面持ち。


 指を唇へと押し当てながら、唸り声をあげている。


 窘めの言葉を理解しているかは定かではない。


 が、咎められたのはそれ相応に感じているに相違ない。


 その証左として少なからず拗ねている様子が見受けられる。


 即ちそれの意味する所は、嫌々ながらも僕の言動に対して影響を受けたと言う事に他ならない。


「はんばーぐっ、はんばーぐ」


 そして先客を見送った僕等は店内へと足を踏み入れる。


 屋内はやはり空調設備が機能しているが故に大変心地良い。


 入店を果たすと同時に店員から恭しく席を案内される。


 とはいえお好きな所へどうぞみたいな塩梅だ。


 次いで腰を落ち着けた卓上に並べられたメニューへと視線を巡らせる。


 その間は僅か数秒にも満たない早業。


 これが出来る原因は、幾度となく通った店であるから自ずと商品を暗記してしまっているからに他ならない。


 特段目新しい代物も無く、平素通りの注文を決める。


 けれど、この時間帯が如何しても待たされる。


 何故ならば、僕等の様に下校途中の人々も同所へと訪れるが所以。


 だが今回の僕等は訳あって早退の身。


 それ故に、依然とし下校時刻は回っていない筈。


 にも関わらず繁盛しているのは流石は人気なだけはある。


 所謂庶民の味方という奴らしい。


 かくいう僕も例に漏れず、その恩恵預かる一市民に過ぎない。


 けれど、エマちゃんは例外中の例外だ。


 彼女の家庭は少しばかり特殊であり、有り体に称して金持ちだ。


 些か俗かも知れないが、この表現が的確に違いない。


 一体どの様な星の元に生まれたらあんな豪邸に住めるのだろうか。


 と、思わず気圧されてしまう程の名家のお嬢様。


 それこそが今眼前で机を叩いているエマちゃんだった。


 両の拳を振り上げた彼女は、それを幾度となく卓上へと振り下ろす。


 まるで壊れた玩具の如き振る舞いから察するに、どうやら我慢している様だ。


 その証左として、輝きに満ちた双眸が僕を捉えている。


 真正面から此方を見据えた瞳は、雄弁に期待を物語る。


 つまりそれは、先ほどより彼女が言う所のハンバーグに対しての催促に他ならない。


「はやくっ、はやくっ」


 無論これを放置する訳にもいかない。


 仮にすれば問題になる。


 そうなればそれは、僕の監督不行き届きに相違ない。


 これだけは何としてでも避けたい事態だ。


 過去にも退店を余儀なくされた事が度々。


 際しては常々僕も辟易としている。


 しかしながら、それはエマちゃんと共にいる以上致し方無い弊害だ。


 と、この様に割り切った思考を巡らせたままに言う。


「エマちゃん。それやめて」


「うー、ゆうくんいじわるっ」


 するとピタっとまるで時が止まったかの如く静止する彼女の動き。


 だがそれに反して出てくる言葉は不満を露わとしている。


 が、これは平素のエマちゃんと比較しても珍しい。


 どうやらヒロト君を鉛筆で刺した事が、少なからず彼女にも影響を及ぼしたのやもしれない。


 そうでなければ僕の言う事をエマちゃんがいちいち聞く筈もない。


 ただ、こうして考えても時間を無駄に浪費するだけに違いない。


 なので人が空いた瞬間を見計らい席を立つ。


 そしてエマちゃんが腕を絡めてきたのを意に介すことなくレジへ行く。


 注文は最早慣れた様で、極めて流暢に噛むこともない。


 それは自分自身でも驚く程に滑らかだ。


 それが特段気持ち悪くて仕方ない。


 故に一泊置いてから数秒の後に咳払いをしてしまう。


 こうして流れる様にして一連の出来事を終わらせた僕は、再び自席へと戻る。


 無論エマちゃんは対面ではなく今度は膝の上に跨ってきた。


 が、それを今更咎めるのも億劫に感じてならない。


 だから声を掛けるでも無く黙って椅子の背もたれに体重を預ける。


 そうして暇を持て余す事暫く、商品が出来上がったとのこと。


 すると案の定、それを受け取ると同時、これと共にエマちゃんの手が動く。


 向かう先は敢えて確認するまでもなく知れている。


 即ちそれは、この注文に対して付いてくる玩具に他ならない。


 彼女はこれの中身を見るのが特別好きらしい。


 が、すぐさま飽きてしまうと僕に寄こすのだ。


 だから、やはり今回もそれを一頻り触れた後に僕へと差し出してくる。


 手渡されたそれは、拳大程の鏡だった。


 それは持ち主であるエマちゃんの可愛いらしい顔立ちを映している。


 そして反射されたその表情にはあからさまな不満が滲んでいた。


 どうやら用を済ませたら即帰宅というのがエマちゃんのルールの様なのだ。


 だから僕としては些か疲れてしまうのは言うまでもない。


 せっかく訪れたのだから少しくらい休ませてくれてもいいものを。


 けれどそんな調子の僕に構うエマちゃんではない。


 無論僕とてそれは重々承知している。


「かえろー、ゆうくん。かえろーゆうくんっ」


 と、そこまで思った所で再びエマちゃんの声が響く。


 自らの声量を鑑みないそれは、同所に居合わせている人々にも届けられているに違いない。


 故に、そんな平素通り我が道をゆくエマちゃんに合わせる他にない。


 だから購入した内容物が納められている袋を引っ提げるがままに退店を果たす。


 感謝の旨を告げる言葉を背に受けて、エマちゃんと並んで店を出た。


 外は既に陽が中天に登っており、大変暑苦しい。


 が、そんな事はお構いなしとでも言わんばかりにエマちゃんが抱きついてくる。


 そうなると、まるで僕が女の子を侍らせているみたいで羞恥する。


 なので僕はエマちゃんを伴うがままに、粛々とこの場を後とする。


 足取りも早く、今日の出来事を整理する。


 しかしながら、傍らを歩むエマちゃんは大層ご機嫌だ。


 自らがヒロト君を刺した事に対しての罪悪感など感じていないのだろうか。


 否、一切の心痛を覚えていないのだろう。


 だから、今の彼女が大人しいのはハンバーガーを買い与えたが為に他ならない。


 よくよく考えてみれば、エマちゃんに対して他者が影響を及ぼすなど夢のまた夢。


 どうやら先程巡らせた僕の考察は浅はかに過ぎた様だ。


 それ程までにエマちゃんは他人に対して関心が皆無だ。


 ただ、不快に思うと今回の様なことがある。


 エマちゃんは相手に対しての加減を知らない。


 危害を加える際は徹底的にしてしまう。


 だから必然的に問題となる。


 それに対して僕はこれまで幾度となく立ち会わされてきたのだ。


 故に今回の事も、僕の責任とされるに違いない。


 どうしてその場面に遭遇したわけでもないのにこうして当事者にされるのか。


 それは偏に、僕がエマちゃん係であるが所以。


 それが僕という存在対して唯一与えられた、人生を送る上での求められる役割だった。


 だから僕は、エマちゃんのお世話をする。


 感情を面に出す事なく、甲斐甲斐しくも善良を装う。


 自らを演じて他人へと嘘を吐く。


 そうして自分自身でも真っ当な人間だと欺瞞する。


 少しでも優等生を演じるべくして生きるのだ。


 故に僕は、嫌悪も諦観も憎悪も、それら全ての不満を飲み込む他になかった。


 それは負の感情に他ならず、けれど例によって平素通り、既に退路は断たれていた。

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