第5話問題
「どうしてこんな事になったのか説明してください。何故エマさんは、ヒロト君を鉛筆で刺したのですか?」
そうして僕のクラス担当の教師は言う。
僕の傍らへと居合わせているエマちゃんに向かって至極真剣な面持ちで当うている。
その為、詰問を受けている側はといえば、酷く居心地が悪いに相違ない。
しかしながら、これを耳としているに違いない。
だが、案の定エマちゃんは自身が今現在置かれている立場を理解していない。
そして何故にこの様な状況へと陥っているのかといえば、更衣室から教室へと戻れば、されるがままにこうだった。
ミナちゃんやエリちゃんと過ごしている間、どうやらトラブルが起きた様だ。
というのも今し方に先生が述べた通り、エマちゃんがクラスメイトを刺したのだ。
だが僕が教室に戻った時には、既にヒロト君の目には深々と鉛筆が突き刺さっている光景があった。
ポタポタと眼下へと垂れ落ちるヒロト君の血液は、夥しいまでの血溜まりを床へと作っていた。
その中で彼は呻き声をあげたまま蹲っている限りだったのだ。
そしてこのあまりに凄惨な光景を目の当たりとした僕はといえば、教室の戸口の付近で呆然としていたレイナちゃんの声に我を取り戻した。
彼女の上擦った涙声が無ければ僕も硬直したままだったやもしれない。
そうして意識が鮮明に現実を捉えた時、丁度授業始まりの兆しである予定が響き渡ったのだ。
そして休み時間は終わりを迎えた途端、先生が教室へと足を踏み入れた。
途端、事態は急速に進み今に至る。
それが事ここに至るまでの経緯。
改めて如何にかして、今現在自身の置かれた現状を確認する。
しかしながら、僕はそれでも尚、混乱したままだ。
長々と熟考を巡らせたにも関わらずこのザマだ。
どうやら状況を整理した所で僕の場合は、さして落ち着くわけでもない様だ。
そうした挙げ句の果てにこの様な尋問紛いの事を、当事者ではない僕も受ける羽目となっている。
最早今に僕が身を置く事態は、完全に身体極まった佳境に過ぎている。
今日は更衣室で身柄を女子達に拘束された上、授業をストライキ。
果てには先生と面談。
これであるから、今日は厄日と称して差し支えない。
それ故、ため息の一つもつきたくなるものの、途端ヒロト君の顔面が脳裏へと浮かんで消える。
それが僕の背筋へと未だかつて感じたことのない怖気を走らせる。
「‥エマさん、黙っていても何も解決しません。わたしの質問に答えてください」
そんな塩梅に僕が益のない考えを巡らせている間にも、先生の鋭い眼光がエマちゃんを捉える。
「‥うるさい。ゆうくんっ!ゆうくんっ!このひときらいっ!」
けれどそれにすぐさま反応を示すエマちゃんは、突如として立ち上がる。
そして僕の真正面へと来た彼女は、その大きなクリクリとした瞳を見開いた。
次いで此方へと縋り付くかの様にして、抱きついて来る。
そんな平素通りの彼女の振る舞いにさして構うことなく迎え入れる。
するとふんわりと甘い匂いを鼻腔に感じて多少なりとも緊張がほぐれる。
「あのね、エマさん、そうやって優君に甘えてもダメ。しっかりとわたしの方を見て何があったのか話してください。今回の事はいつもみたいに、駄々をこねれば許されることではありません」
そうして僕の膝の上に跨るエマちゃんへと先生は言う。
その声色は、普段の彼女と比較しもより一層硬質だ。
そして僕は、先生の尋問には一切答える気もない。
無論、僕は現場に居合わせただけに過ぎないが、曲がりなりにもエマちゃんの身を任されている。
それ故に口を挟まずにはいられない。
「先生、今日はこれ以上無理そうなので、後日また改めて親も含めて話し合いませんか?取り敢えずもう返して頂けません?」
だから、そうした心情の最中に自ずと口としてしまった内容の意味する所は、まるで反抗的な不良の如き代物となる。
本来であればここで好戦的になっても意味がない。
しかしながら、ヒロト君には平素から煮湯を飲まされてきた。
そんな彼の大事と言われた所で非協力的になるのは当然。
致し方無い。
何故ならば、普段から彼方もエマちゃんを揶揄っていたが所以。
最早因果応報と称して過言では無い。
それ故に、今回エマちゃんがヒロト君にした事も、これまでを想起すれば何ら差し支えない振る舞いに思われる。
けれどそんな僕の倫理とは裏腹に、先生の返答する声色は芳しく無い。
「わかりました。帰宅したら、これを御両親に渡してください」
ただ、彼女も僕の言葉には一理あると踏んだらしい。
手元の書類から早退届を取り出して何やら書いている。
そしてそれを此方へと差し出してくる。
「わたしは病院に行かなくてはなりませんので、貴方達は二人で帰れますね?」
それと同時に粛々と立ち上がる彼女は、僕の返答も聞かずに既に踵を返している。
そんな彼女の振る舞いは、僕から見ても侮りを感じる。
何処か子供だから見下されている様な感覚。
けれど今はそれが気になる様な事はない。
全ては大事の前の些事に過ぎない。
今回のエマちゃんが巻き起こした騒動は、恐らく警察沙汰になる。
だから僕自身も発言には気を遣わなくてはならない。
普段以上に、これまでよりも遥かに危険な状況。
そしてそこまで思考を巡らせた後に、おもむろにエマちゃんを押し退ける。
次いで只々佇むばかりの彼女の手を引いて、教室の扉を開け放つ。
すると案の定休み時間の真っ最中とあってか、人だかりが出来ている。
どうやら既に噂は広まっている様だ。
流石は口さがない子供なだけはある。
以前読んだ書籍に記載されていた通り、人は醜聞が大好きだ。
己に関わりがないのは特に。
「行こう」
そんな人々の集団の波を、僕は縦に割る様にして道を開く。
そして一切の人目を憚る事なくその中央を堂々と歩みを進ませる。
空き教室から出てすぐ自分が所属しているクラスが見える。
躊躇いなく中へと足を踏み入れる。
室内には濃い血の匂いが鼻をつくが、意に介することもない。
荷物を取るべくして乾いた血痕を踏み付ける。
いずれにせよそうしなくては通れないものの、何処か爽快だ。
そうして纏めた荷物を背負った僕は、そのままエマちゃんの手を引いてこの場を後とする。
だが、教室を退室する寸前、ミナちゃんが声を掛けてくる。
「あの、優くん大丈夫だった?」
そんな彼女の瞳は平素と変わりない。
一切の相違もなくその双眸からは動揺が感じられない。
それが何処か不気味でもある。
けれど同時に可愛らしいブラウンの虹彩は大変美しい。
だから問われたからには、受け応える。
「うん、取り敢えず今日は帰るね」
端的に返答してから相手の反応を待たずに足を運ばせる。
そうなれば彼女も続く言葉を口とすることもない。
「あ、うん。また明日」
そして今度こそ帰宅するべくして足取りも早く進ませる。
廊下へと突き当たり階段を降りる途中、唐突エマちゃんが言う。
「ハンバーグたべたい。ゆうくん、ハンバーグたべたい」
突如として駄々を捏ね始めた彼女は、薄桃色の唇に自らの指先を差し込んでいる。
そこには髪の毛も巻き込んでしまっている。
金糸の如きそれは、唾液に濡れて輝きを増している。
「‥わかったよ」
無論僕は遠慮したい所だが、こうなってしまったエマちゃんは執念深い。
それ故に、帰宅する途中にでも買ってあげることとする。
そして昇降口を抜けて仰ぎ見た空には、思わず目を細めてしまう程に、燦々とした太陽がある。
その陽光は傍らのエマちゃんの金髪をより一層眩いまでに輝かせた。
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