第4話更衣室

 薄暗い体育館裏にて僕等が交わし合う視線は、互いに言葉少なな現状も相まって特段居心地が悪い。



 何分共通の挙げるべき話題もない為か、相変わらずの沈黙が支配する限り。



「きす」



 しかしながら、再びエリちゃんから与えられた一声は先程と同様の意味合いを兼ねている。


 否、それは平素に倣い至極淡々とした声色。



 それ即ち凡そ同年代のクラスメイトと比較して、抑揚の感じられない響きの声音。



 寧ろ無機質なまでに人間味が無いと称して差し支え無い。



 それの意味する所とは対称的なまでに乖離して思われる。


 今し方に耳としたのはそんな言葉に他ならない。


 そしてその意図は敢えて思考を巡らせる余地もない。


 恐らく、否、十中八九エリちゃんは僕を揶揄っているに相違ない。


 そうでなければこの様な了見を得ない振る舞いを示す筈もない。



「‥えっと‥」



 そんな塩梅の現状だから自ずと続く言葉を失うばかり。


 都合、咄嗟に上手い言葉も浮かばずに惨めにも口を噤む限りとなる他にない。



 だがしかし、此方の明らかに露わとしているだろうそんな混乱を意に介した様子もなくエリちゃんは言う。



「キスした」



 その調子は平素からの冷淡な態度もそのまま。


 しかしながら、何処か普段よりも勢いが感じられる。


 お陰で答える側としても、思いがけない振る舞いを受けては焦燥を感じる。



「ごめん‥喉が渇いてたから‥。でも、最初に言ってくれたら口を付けなかったのに‥」



 それだから自然と口としたのは、釈明の言葉。


 自己保身をするべくして紡がれたのは謝罪。


 そしてそれに伴い何処か言い訳がましい口上。


 すると僕の切実な訴えに対してエリちゃんは表情を変えないままに言う。



「いい」


 そうした返答を鑑みるに、どうやら改めて言及する様な事でも無いらしい。


 無論僕とてエリちゃんが気にも留めないのであれば別段蒸し返す事もない。



「これ」


 そんな風に半ば安堵していると、再びエリちゃんは僕に手を差し出してくる。



 そうして手渡されたのは、何かが封入された紙袋。



「これは?」



 あまりに唐突だったので思わず問い掛ける。



「あげる」



 けれどその質問には受け応えることなく、エリちゃん一蹴する限り。



 それ故此方としても手中へと納められているそれの感触を探るばかり。


 それにまさか目の前で開封する訳にもいかないが為に、後で確認する必要がある。



「あ、ありがとう」



「‥ん」



 そして僕はそれに関しての感謝の意を示すと、彼女はこっくりとかぶりを縦に振って頷く。



 その感情の機微が希薄な様子からは、やはり怜悧な印象を受ける。



 しかしながら、そんな風に眼前の彼女に如何しても気圧されてしまっているのも束の間。



 すぐさまこれに続いてこの場へと第三者の声が与えられる。



「遅くなっちゃってごめんね」



 そして声の出所へと特段視線を移すまでもなく、その主の正体は明らかだ。



「いや、大丈夫だよ」



 そう、今し方に同所へと駆けて来たミナちゃんは、顔を見せるなり頭を下げる。



 無論それは平素通りの明るい調子で、この場へと舞い降りた救いの声だ。



 そんな彼女の快活な声色が、何処か張り詰めていた空気を払拭した。



「‥」



 けれど、そんな最中エリちゃんだけは微塵も表情を変える様子もない。



 寧ろただでさえ無機質であった面持ちが更に硬質となって見て取れる。



 どうやらその姿を鑑みるに、ミナちゃんとエリちゃん。


 両者の仲は大して良好と言う訳ではない様だ。



「それじゃあ入ろっか」



 そうした詮索をする僕を他所に、ミナちゃんは早速更衣室の扉を開錠する。


 そして僕の手を引いて室内へと招き入れる。


 中は何処か柑橘類にも酷似した果物の様な匂いが漂って思われる。


 香水にも似たそれは、明確に室外との空気の差を露わとしている。


 するとこれに続いて後ろから続いたエリちゃんとグループの女子達が入室を果たす。


 次いで最後尾の女子が後ろ手に同所へと繋がる鍵を閉める。


「そこに座って」


 すると突然、一連の出来事を見ていた僕の肩へと両手を真正面から置いたミナちゃんが言う。


 そして其処と言うのは、大きな体育マットの上だった。


 二枚に敷かれたそれは思いの外大きくて特段不便もなく腰を落ち着ける。


「ん‥しょ」


 それを確認したミナちゃんも、僕の傍へとお尻をストンと落とす。


 ぽふ、と可愛らしい音がして彼女は女の子座りをした。


「‥ん」


 するとこれとほぼ同時、まるでミナちゃんに倣うかの如くエリちゃんももう一方の僕の隣へと体育座りで座る。


 他の女子達はそれぞれ壁に寄りかかったり、足をぶらぶらさせたり様々だ。


「あ、あの‥ミナちゃん。そろそろ次の授業始まっちゃうよ‥。ど、どうしよう‥」


 そしてその中の何処か気弱そうなふるまいが目立つ女子がおもむろに声を挙げる。


 その声色は至極不安が滲み出て聞こえる。


 これに対して僕の傍に身を置くミナちゃんはニコニコとした満面の笑顔で返答する。


「大丈夫だよ。少しくらい休んでも全然平気。先生達だってそんなに怒らないと思う」


 その面持ちは一寸の隙もないまでに完璧だ。


 そしてそれが僕には少なからず不気味な表情として映る。


「ミナ」


 しかしながら、そんな風に受け答えた彼女へと与えられる声がある。


「何かな?」


 そう、相変わらず粛々とした素振りを見せるエリちゃんが言う。


「かえしてあげて」


 その姿もまた、ミナちゃんと異なる方向性で大変完成されている。


 それにその綺麗な顔立ちも相まって、側から眺めるだけで気圧される。


 だが、そんな具合の僕とは対称的に、ミナちゃんは小首を傾げるばかり。


「ん、どうしてカンナギさんにそんな風に言われなくちゃいけないの?アマツメさんはそんな事一言も言ってないよ。それに今行っても先生に怒られるだけだよ。だってもう授業始まっちゃってるし‥」


 そしてこれに伴い言い放たれたのは、予期しない口上の嵐。


 まるで相手を圧倒するかの如き語りは、寧ろ僕へとその余波を与えた。


 けれどそんな始末の僕とは異なり、これを受けた当の本人であるエリちゃんはというと、特段動揺した様子もない。


 極めて平静だ。


 そんな塩梅のエリちゃんは淡々と言う。


「べつに」


 そして繰り出された言葉は、あまりに言葉少なに過ぎて僕としても思わず呆気に取られてしまう他にない。


「‥べつにってなに?カンナギさんっていつもそういう風に言って意地悪するけど。そう言うのわたし、嫌。自分が気に入らないからってそうやって他人に冷たくするのは良くないよ。わたしはカンナギさんとも仲良くしたいのに‥」


 しかしながら、そうしたエリちゃんの態度にも増して、ミナちゃんの側も止まらない。


 至極純粋な光を称えた後者の瞳は、前者を正確に射抜いていた。


 その相手を真正面から見据えた双眸からはしかし、有無を言わせぬ勢いも感じられる。


 まるで対峙でもするかの如く見つめ合う二人の間に何処か圧迫感の様な雰囲気が生じる。


 だが、それも次いで両者の間に割り込んだ声が霧散させる。


「あの、せっかくお菓子も、持って来たのですから、お茶に致しませんか?」


 そうして同所に訪れたただならぬ威圧感に臆することもなく声を挙げたのは、清楚な印象を受ける少女。


「あ、うん。そういえば今日はアカツキさんが持ってくる番だったよね。分かった。わたしも少し強く言い過ぎたかも‥。ごめんなさいカンナギさん」


 すると、これを耳としたミナちゃんの様子は、先程とは一転、まるで人が変わったかの様に朗らかになる。


「‥」


 けれど、そんな彼女の歩み寄りを受けて尚、エリちゃんはそれを一蹴するばかり。


 その無表情が極まる面持ちは、ミナちゃんの譲歩を真っ向から拒絶する振る舞いに他ならなかった。

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