最終話

 あくる朝、オフィスに出勤するとちょっとした騒ぎになっていた。ドアを開けてまず思ったのは「人口密度が高い」で、昨日までサブ・ロボットに仕事を任せていた人たちほぼ全員がオフィスに出勤して来たせいだ。ロボットが世に出回る前は当たり前の光景だったのに、何だか不思議な気分がする。

「何の騒ぎ?」

 久しぶりに顔を見た棟田くんに尋ねると、彼は少しふっくらした頬を、さらに膨らませて見せた。いつの間にか、ご自慢の光学式マウスとアベンジャーズのイラストのプリントされたマウスパッドがデスクの上に並んでいる。

「どうもこうもないですよ。昨日遅く、急に政府から通達があって」

「政府から?」

「サブ・ロボットを回収するから出勤するようにって。来てみたら既にサブ・ロボはいないし、利用料の返金だって七割くらいしかされないとか」

 話が一方的過ぎますよ。そう言って怒っているのは棟田くんだけじゃなくて、相変わらず眠そうな部長はともかく、課長も不満そうだし、パート社員の今野さんもその身に突如降りかかった不幸を勢いよく捲し立てている。

「どうなってるの、これ?」

 桜井さんがやって来て僕の耳に唇を寄せた。困惑の色を含んでいてもなお魅力的な声音だけれど、残念ながら、今は感じ入っている場合ではない。

「僕もさっぱり」

「あの音楽好きのロボくんは何か言ってなかったの?」

 棟田くんのロボットとの奇妙な友人関係のようなものを彼女にだけは話してあった。今では彼女も「ロボくん」なんて気安く呼ぶようになり、度々僕らの夕食の席での話題にも上っているくらいだ。

 何も、と言いかけて、昨日の帰り際のやり取りを思い出す。

「関係あるかはわからないけれど、外国株式の購入を勧められたよ」

「……外国株式?」

 桜井さんは眉根を寄せてしばらく一人で考え込んでから、ぽかりと唇を開いた。大変。そう呟くが早いかポケットから端末を取り出してニュースアプリを立ち上げる。何度かスクロールしてから液晶画面を僕に向けた。

「ねぇ、これ見て」

 提示された画面には物騒な単語が躍っている。遠い異国の地で起きているはずの戦争に、連合国軍から支援要請が来たこと。今度ばかりは日本からも人的支援を行わなければならないこと。自衛隊派遣も検討されたものの反対勢力の意見は根強く、大紛糾した挙句に否決され、それに代わる手段を選択することが決定された。つまりは、いまや国民の多くが導入しているサブ・ロボット達を、戦地に送り込むための法案が昨夜遅くに閣議決定され、今朝をもって施行されることになった、らしい。

「つまり、」

 そう言ったきり、僕は二の句が継げなかった。更にニュースアプリをスクロールしていた彼女は「これまでの蓄積データは消去の上、直ちに派遣、ですって」と続ける。

 足元がぐらぐらするような、大きな衝撃が僕を包んでいた。ざわついたオフィスの景色も、彼女の唇の艶のあるピンクベージュも、不満を隠そうともせずに座席にふんぞり返る棟田くんの姿も、すべてが遠く、虚構に感じる。


 彼は武器を持つのだろうか。軽やかにキーボードをタイプしていたあの手で。誰かを攻撃するのだろうか。シュイーンという慎ましい音を立てるあの腕で。

 音楽に合わせてチカチカとリズミカルに明滅させていた胸元のランプの青緑色を思い出して、僕は、涙を抑えることが出来なかった。

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川島くんの邂逅 野村絽麻子 @an_and_coffee

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