第22話 やる後悔

 手紙を受け取った翌日。


 僕は久々に大学に行った。

 状況は何1つとして変わっていない。それでも気分は晴れやかだった。晴香の言葉が、僕の未来を明るく照らしているようだった。


 ただ、いくら気分が良くても、受ける授業の内容はほとんど分からず、頭を抱えるばかりだった。

 しかし幸い、一緒に受講していた俊太郎がそれまでの授業のノートを見せてくれた。おかげでなんとか授業に付いていくことができた。


「で、本当に焼肉奢ってくれるんだろうな?」


 授業終わり、俊太郎が肩を押し当てながら聞いてきた。


「ちゃんと奢るよ。頼んだ通り、授業のノート見せてくれたし」

「よっしゃ!」

「でも、その前に会わなきゃいけない人がいるんだ」

「……なるほどな」


 僕を見て、俊太郎がニヤリと笑った。


「え? 言わなくても分かるの?」

「分かるだろ。昨日あんな話してて」

「それもそっか」

「まぁ、お前らに何があったかは良くわからないけど、頑張れよ」

「うん。ありがとう。それじゃあ、行ってくる」

「おう」


 俊太郎に背中を押されながら、僕は大学を後にした。


 電車に乗って、晴香さんの家の最寄り駅へと向かう。席に座って到着するまで待つ。その間、僕はカバンの中から封筒を取り出した。昨日受け取った、晴香からの封筒だ。

 その中から手紙を取り出し再度読み直す。


 晴香さんと仲直りできるかは分からない。正直、できない可能性の方が高い気がする。普段の僕なら、諦めて逃げ出していただろう。

 でも、晴香から『奏ならきっとできる』と言われた。なんの根拠もないけれど、この言葉だけで自然と勇気が湧いてきた。

 今の僕は前に進むしかないんだ。


 自分を奮い立たせて電車を降りると、晴香さんの家まで向かう。

 不安感を手紙による安心感で押し殺して、晴香さんの家のインターホンを押す。すると『どちら様ですか?』とインターホン越しに声が聞こえた。


「蒼井奏です。晴香さんはいますか?」

「蒼井くんだね」


 それからしばらくして、玄関のドアが開いた。出てきたのはおばあちゃんだ。


「こんにちわ」

「こんにちわ。ハルちゃんに用だね?」

「はい」

「ちょっと待ってな。ハルちゃ〜〜ん。お客さんだよ」


 おばあちゃんがリビングに向かって大きな声を上げた。

 それから間もなくして、晴香さんがやって来た。僕がいることに気付いた彼女は、気まずそうに視線を逸らしている。


「こ、こんにちわ、晴香さん」

「……こんにちわ」


 おばあちゃんと入れ替わるようにして晴香さんが僕の前に立つ。おばあちゃんは僕らの空気を察してか、リビングの方にゆっくりと戻っていった。

 気まずい会話を聞かれたくはなかったので、その配慮はありがたかった。


「このあとちょっと時間ある?」

「……なんで?」

「久々に、晴香さんと話したいなって思って」

「……ちょっと、無理かも」

「あっ。用事があった?」

「ううん。その、私が蒼井くんと話せる状態じゃないっていうか……」

「そ、そうだよね」


 晴香さんとは最後、涙を流しながら別れている。あんな最悪の空気感で別れた人物とそう簡単に話せる訳が無い。


 会話に困っていると、再びおばあちゃんがやって来た。


「ハルちゃん。これ」

「え?」


 そう言って、おばあちゃんは晴香さんに千円札を手渡した。


「これで蒼井くんと喫茶店にでも行っておいで」

「で、でも……」


 晴香さんが反論しようとすると、それを無視するように、おばあちゃんはリビングに戻っていった。ただ、リビングに入る直前、僕の方を見てニヤリと笑っていた。

 どうやら、僕らの様子をうかがって助け舟を出してくれたらしい。


 僕は軽く頭を下げてから、晴香さんの方を見た。


「じゃ、じゃあ、喫茶店でも行く?」

「……はぁ。いいよ」


 半ば諦めのようにため息吐きながら承諾してくれた。


 そうして、僕らは近所にある喫茶店に入った。夕日が差し込む静かな雰囲気の店内には、空席が目立っていた。そこで、2人でゆっくり会話できそうな奥の方のテーブル席に座ることにした。

 僕はアイスコーヒー、晴香さんはアイスカフェラテを注文した。「少々お待ち下さい」と店員さんがいなくなった所で、僕らはお互いの顔を見合った。


 晴香さんは特に何を言うこともなく視線を落とした。

 僕は気まずさを感じながらもテーブルの下で拳を握って勇気を振り絞った。


「晴香さん。この間はごめん」

「……」


 しっかりと頭を下げて誠心誠意謝罪する。

 その間、晴香さんの返事はなかった。

 僕は頭を上げて話を続ける。


「晴香さんの言う通り、僕は記憶喪失中の晴香の方が好きだった。だから、晴香さんと遊んでる時、無自覚で辛い表情をしてた。そんなの、晴香さんからしたら迷惑でしかないよね。だから、ごめん」


 もう1度、頭を下げる。


「話したいことって、この謝罪のこと? それなら私、もう帰るね」


 晴香さんが席を立とうとした。だから、僕は慌てて彼女の腕を掴んだ。


「待って。まだ、話したいことがあるんだ」

「……」


 背中を向けたまま彼女は動こうとしない。


 すると、女性店員さんが飲み物を運んできた。その様子を見て、晴香さんは再び席に戻った。


「じゃあ、これを飲み終わるまでは聞いてあげる」


 そう言って、アイスカフェラテを1口飲んだ。

 僕は安堵して胸を撫で下ろした。それから、持っていたカバンから封筒を取り出した。そして、それをそっとテーブルの上に置いた。


「それじゃあまずはこれを見てほしいんだけど」


 晴香さんは不思議そうに封筒を見つめた。


「これは?」

「記憶喪失中の晴香から僕に向けて送られた封筒。開けてみて」

「私が見てもいいの?」

「うん」


 晴香さんは恐る恐る中身を確認する。そして、あの手帳の紙束を取り出した。


「これってもしかして、あの手帳の切り取られてたページ?」


 僕は頷いて肯定する。


「その紙の束の1番上の内容を読んでみてほしい」

「うん」


 晴香さんはアイスカフェラテを口に含んでから読み出した。そして、それからすぐに「ゴホッ」とむせた。

 頬を赤く染めて、すぐに僕の顔を見た。


「こ、こ、これって……」

「うん。実は僕、記憶喪失中の晴香と付き合ってたんだ」

「っ! な、なんてもの読ませるのっ!」


 大声でそう言って、顔を背けながら僕の顔に紙の束を押し付けた。恥ずかしがる彼女は耳まで真っ赤だった。

 ただ、それを笑える余裕が僕にはなかった。なにせ、僕も同じように恥ずかしいのだから。


「し、仕方なかったんだよ! その、晴香さんと会わない間にいろいろ考えたんだ。晴香さんともう1度友達になるためにはどうすればいいのかって」

「わ、私と友達になりたいの?」

「う、うん。今まで色々と隠しながら晴香さんと接してきた。ただ、それだとやっぱり駄目だって気づいたんだ。だから、恥ずかしいけど、これまでに何があったかを晴香さんに教えようと思ったんだ」


 晴香さんは記憶を失っていた。そんな彼女と接する中で、僕は彼女の記憶がないのを良いことに、彼女に触れてほしくない話題などは徹底的に避けてきた。僕の都合の良いように彼女と接してきた。そんな状況で、彼女と真に友達になれる訳がなかった。


 ならば、そんな現状を変えるにはどうすれば良いのか。僕の出した答えは、過去を全てさらけ出すことだった。


 正直、めちゃくちゃ恥ずかしい。でも、これ以外のやり方があるとは思えなかった。

 もちろん、嘘をつき続けるやり方もあるのかもしれない。でも、晴香と同じように嘘をつくのが下手な僕には、こういうダサいやり方が1番だと思った。


 僕は顔に押し当てられた紙をそっと掴んで、再び彼女の前に差し出した。

 晴香さんはチラチラとその紙を見ては視線を逸らしてを繰り返している。


 どうやら、恥ずかしいけれど気になってはいるらしい。


「この紙には、僕と晴香と哲ちゃんと希さんのことが全部書いてある。僕らに何があったのか、晴香さんには知る権利がある。だから、これを読んで欲しいんだ」


 僕の本音を真正面から受け取った彼女は、目を大きく見開いた。それからしばらく間を開けると、目を細めて腕を組んで「う〜〜ん」と唸りだした。


「ど、どうかな?」

「よ、読みたいけど、さすがに恥ずかしすぎるって言うか、なんというか、シラフだと死んじゃいそう」

「だ、だよね」


 すると、彼女の言葉からふと思いついたことがあった。


「実は、この後僕の奢りで焼肉を食べる約束があるんだけど、一緒にどう? そこでお酒を飲みながら読むとか」

「……ありかも」

「良かった」


 ホッとして、思わず笑みが溢れる。


 それから、封筒に紙の束をしまって、僕らはゆったりと飲み物を飲んだ。真っ赤に染まった顔を冷ますだけの時間が欲しかったのだ。

 

 アイスコーヒーを飲みながら、僕は俊太郎にメッセージを送る。


『晴香さんも一緒に食べに行くよ』


 するとすぐに返信が来た。


『仲直りできたんだな』

『う〜〜ん、完全にとは言えないけど』

『なんだそれ。まぁ話、聞かせろよ』

『話したくないことまで話すことになりそうだけどね』


 そう送って、僕はアイスコーヒーを飲み干した。

 晴香さんも完飲していて、出かける準備は整っていたようだった。僕らは会計を済ませて喫茶店を出る。


「それじゃあ、行こうか」

「うん。ところで、なんで蒼井くんの奢りなの?」

「大学休んでた間のノート全部見せてもらったお返しで。薄情な友達でしょ?」

「いや、それは蒼井くんの自業自得じゃない?」

「そっか」


 そう言って、2人で笑い合う。何となく前の彼女との雰囲気に戻った気がした。


「蒼井くんってそんな風に笑うんだね」

「え?」

「蒼井くんが笑うのちゃんと見たの、これが初めてな気がして」

「あぁ、確かにそうかも」


 僕の認識が間違っていた。

 前の雰囲気より遥かに良い雰囲気に変わっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕は初恋の彼女と運命の再会をする。 ロム @HIRO3141592

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画