第21話 やらない後悔

 晴香さんとの関係を断ってから1ヶ月が過ぎた。その間、僕は大学に行くことが一切なくなった。それどころか、自分の部屋からも出ることが少なくなった。

 ずっと引きこもっていると、両親が声をかけてきた。なので、「大学に行く」と嘘をついて、近所の公園で時間をつぶすことすもあった。そうした自堕落な日々をなんの焦りもなく過ごしていた。


 そんなある日の昼のことだった。


 紺野こんの俊太郎しゅんたろうから電話がかかってきた。


『おい、奏。最近、大学来てないけど、何かあったか?』

「……晴香さんと縁を切った」

『それはもう聞いてるよ。1月頃に恋人から友達になったってヤツだろ?』

「違う」


 俊太郎にも晴香の記憶関係の話はしていない。だから、分からなくても当然だった。


「晴香さんと友達としての縁を切ったんだ」

『友達としての縁って……。あんなに仲良かったのに、どうしたんだよ』

「仲良くなんてなかったよ」

『そ、そうか。……と、ところで、今、授業の出席数はどうなんだ?』

「全授業で5回ずつ欠席してる」

『ギリギリだな』


 僕らの通う大学では、全15回の授業の内3分の2は出席しなければ、単位取得の権利を得られない。

 つまり、あと1回でも欠席すれば単位は取れない。


『まぁ、でも、まだ間に合うからな。明日から大学来いよ。特別に、帰りに焼き肉奢ってやるから』

「行かないよ」

『留年してもいいのかよ。親に迷惑かけるんだぞ』

「……」


 僕が返事に困っていると、電話越しに女性の声が聞こえてきた。恐らく、桜木さくらぎなぎささんだろう。『いま、焼肉奢るって言った?』と嬉しそうに俊太郎に訊いている。

 それから、トントンと渚さんの足音が近づいてきた。


『渚、ちょっと静かに。まぁ、奏。白石さんのことは仕方なかった。でも、そんなの引きずってたって辛いだけだろ? さっさと忘れて切り替えていこうぜ』


 説得と共に『ねぇ、なんの話?』と渚さんが俊太郎に絡む声が聞こえてくる。

 その甘ったるい声色が楽しそうで、僕を苛立たせた。


「『仕方なかった』とか『忘れて』って、簡単に言わないでよっ!」

『か、奏くん? どうしたの?』

『渚。マジで今は静かにしてくれ。わ、悪かった奏。ほんとごめん』

「そうやって、彼女とイチャイチャするの見せつけて、僕を馬鹿にしてるんでしょ?」

『そうじゃない。本気で奏のことを心配してるんだ』

「俊に僕の何が分かるんだよっ! もうこれ以上、僕に関わらないでよっ!」


 僕の叫びが部屋に響いた。


「……悪かった」


 謝罪と共に電話は切れた。


 部屋に静寂が訪れる。


 そうしてしばらくして冷静になると、自分の愚かさに気づかされた。せっかく俊太郎が電話をかけてくれたのに、僕はそれを拒絶した。俊太郎は何も悪いことをしていない。それなのに、悪人のように切り捨ててしまった。


 そんな自分の情けなさに苛々して、スマホをベッドに向かって思い切り投げる。

 ベッドの上で跳ねたスマホはドンと床に落ちた。拾ってみると、画面はバキバキに割れてしまった。


「……なにやってるんだろう、僕」


 電源をつけると、ロック画面に設定した晴香とのツーショット写真が映る。こちらに向かってピースサインをする僕らは、幸せそのものだった。

 懐かしい過去の写真に瞳が潤む。そうして、脱力して背中からベッドに倒れこんだ。涙がこぼれないように目をこする。


「晴香……僕、1人だと、何にもできないよ」


 情けない独り言は、力なく空気となっていった。


 周りで起こる全てが嫌になって目を瞑る。

 これが悪夢で、目が覚めたら晴香がいる世界が待っているのではないかと妄想する。ただ、僕の脳は悲しいほど正確で、これが夢ではなく、ただの現実だと伝えてくる。

 その事実を受け入れたくなくて、耳を塞いで丸まった。


「奏」

「……ん」


 僕を呼ぶ母親の声に目を開けた。

 気がつくと、窓から夕日が差し込んでいた。いつの間にか寝ていたらしい。


「奏〜〜。お客さんよ」

「お客さん?」


 1階から母親が大きな声で僕を呼んでいた。


 こんな時間に、僕に用のあるお客さんとは誰なんだろうか。少なくとも誰かと約束はしていない。


 僕はのっそりと体を起こして部屋を出る。階段を降りて玄関に目を向ける。そこには、晴香さんのおばあちゃんがいた。


「こんにちわ。蒼井くん」

「こ、こんにちわ」


 想定外の人物に、僕は少し驚かされた。


 母親は僕が来たことを確認すると、リビングに戻っていった。晴香さんのおばあちゃんは、にこやかな表情で母親に軽く会釈して、それから僕の方を再度見た。


 目を合わされた僕は、何をするために来たのか分からず、ぎこちない笑顔をした。


「えっと……どんな用でしょうか?」

「そんなにかしこまらなくてもいいよ。ほら。これを渡しに来たんだよ」


 そう言って、おばあちゃんは僕に厚みのある封筒を手渡した。表には見覚えのある綺麗な文字で「奏へ」と書かれている。スマホよりも軽いほどの重さなので、中身は紙のような物だろう。


「これは?」

「ハルちゃんから、蒼井くんに渡すように頼まれてたんだよ」

「晴香さんから?」

「ハルちゃんと言っても、記憶が戻る前のハルちゃんね」

「っ!」


 晴香が僕に送った封筒。それを知ると、封筒が急に重みを増したように感じる。


「蒼井くんは……」

「え?」


 封筒に夢中になっていて、声に気づいて慌てて顔を上げる。


「蒼井くんはハルちゃんと喧嘩してるんだってね」

「け、喧嘩というか、まぁ、はい……」


 おばあちゃんの前でバカ正直に「縁を切った」とは言えなかった。ただ、気まずくて視線を足元にそらした。


「この封筒はね、『奏くんがハルちゃんと仲が悪くなった時に渡して』って言われてたんだよ」

「え?」


 驚く僕を見て、おばあちゃんはニヤリと微笑んだ。


「どうやら、ハルちゃんの思った通りみたいだね。それじゃあ、約束通りに渡したからね。お邪魔しました」


 そう言って、おばあちゃんは去っていった。


 僕は封筒を持って自分の部屋に戻った。


 ベッドに座って持っている封筒をじっと見つめる。書かれた文字を見る度に、それが本当に晴香のものだという実感が増してきて、封筒を持つ手が僅かに震える。


 落ち着こうと1度深呼吸をする。そうして、震える手で封筒を開けた。


 中には何十枚もの紙が束になって入っていた。紙束の1番上の紙には、夏祭りの日付が書かれていた。その日付の後には『奏くんと付き合うことになりました!』という文章。そして、他人が読めば顔を真っ赤にしてしまうほど恥ずかしくなるような晴香の惚気話が続いている。また、紙の端には破られたような跡がある。

 それを見て気づいた。この紙は、晴香の手帳の切り取られていた部分だと。


 紙の束を上から順に丁寧にめくっていく。めくるごとに日付が進んでいく。やはり、手帳の切り取られていた部分で間違いない。

 ただ最後までめくるまでに、1枚だけ違和感のある紙を見つけた。紙の材質が明らかに違うのだ。

 僕はその1枚を丁寧に抜き取った。


「っ!」


 そこには日付は書かれていなかった。その代わりに、文章の1番上には『奏へ』と書かれていた。晴香から僕に向けての手紙だった。


 僕は思わず息を呑んだ。それからゆっくりと文章を読み進める。


『奏へ。

 奏がこの手紙を読んでいるってことは、私の記憶がなくなったってことだよね。ごめんね。奏のこと、覚えてあげられなくて』

「……いいんだよ。晴香は悪くない」


 会話をするかのように、僕は自然と手紙に向かって話しかけていた。


『できることなら、私はずっと奏と一緒にいたいよ。晴香さんには申し訳ないけど、ずっと記憶喪失のままでいて欲しい。こんな風に思っちゃう醜い私の記憶は、晴香さんに消されて当然だよね』

「そんなことないよ」

『でもきっと、奏ならそんな私でも肯定してくれるのかな』

「っ! ……僕のこと、晴香にはバレバレみたいだね」


 思わず笑ってしまう。

 まるで、心の中を覗き見されているような気分だ。ただ、それは不思議と心地が良くて、すぐ横に晴香がいるような感覚を味わえた。


『奏はいつも私の味方だったもんね。凄く嬉しかったよ。大切にされてるんだなぁって感じられて。

 私がいなくなったら、奏はショックで元気がなくなっちゃうよね。きっと奏のことだから、今の晴香さんを見て辛そうな顔をしてるんじゃないかな。それで、晴香さんとの関係を断とうとしてるんじゃないかな?』

「っ……!」


 思わずツバを飲み込んだ。

 手紙でこんなにも驚かされたのは初めてだ。タイムマシーンの存在を疑いたくなるほど、僕の行動の全てを的確に予測されていた。


『当たってた? もしそうだとしたら、直ぐにやめること。ダメだぞ! 可愛い女の子を困らせたら』


 晴香からのお叱りをしっかりと受け止めて反省する。ただ、自分のことを「可愛い女の子」と言うあたりが晴香らしいなと思って少し笑ってしまう。


『奏は私のこと大好きだから、私がいなくなって未練たらたらなんだろうなぁ。(そうじゃないと怒るよ笑)

 でも、いつまでもうじうじしてたらダメ。ちゃんと未来に向かって歩いていかないと。

 では、そんな未練を解消するために、奏に私の願いを叶えてもらいたいと思います! これは、私にはできなくて、奏にしかできないことだから』

「願い?」


 僕に叶えてもらいたい願いがあるなんて、まるで知らなかった。

 なにせ、彼女は超がつくほどアグレッシブだ。大抵の願いは、彼女自身の行動力で叶えてきたはずだ。

 晴香より行動力のない僕に、彼女の願いを叶えるなんてことができるのだろうか。


 不安を感じながらも続く文章を読む。


『私の願い、それは……』

「……そっか。そうだよね」


 彼女の願いを知って、僕は納得し頷いた。

 これは彼女にはできない。できなかったと言うべきかもしれない。彼女らしい願いだった。


『私の知ってる奏は、弱くて情けない所もあるけど、前に進める力を持ってる人だよ。大丈夫。奏ならきっとできる』


 優しい言葉に瞳を潤ませる。ただ、ここで泣く訳にはいかなかった。彼女の言う通り、前に進んでいかなくては。

 涙を拭ってベッドから立ち上がる。


「奏〜〜。夕飯できたわよ〜〜」


 母親が僕を呼ぶ声がする。


「ちょっと待ってて」


 リビングに向かう前に、僕にはやるべきことがあった。


 画面の割れたスマホをポケットから取り出し、すぐに俊太郎に電話をかける。数回のコールの後、俊太郎は電話に出た。


『……もしもし』

「俊。さっきはごめん」

『っ! なんだよいきなり。俺は奏に関わらない方がいいんじゃなかったっけか?』

「ごめん。やっぱり、俊とはずっと友達でいたい」

『なんだそれ!』


 電話越しに俊太郎の笑う声が聞こえてきた。その声で僕も笑みが溢れる。


「それで、突然なんだけど、俊に頼みがあるんだ」

『頼みねぇ。焼肉奢ってくれるなら聞いてやるぜ』

「もちろん奢るよ」

『っしゃ!』


 俊太郎の喜ぶ声とともに『今、焼肉奢るって言った?』という渚さんの声も聞こえてきた。どうやら、僕はしばらく金欠になるかもしれない。


 それでも、僕は笑いながら話を続けた。晴香のいない未来を歩いていくために。

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