第11話 クリンゲンファミリエ

「……という感じで金本君には頼もうかと思う。で、中村くんだが、次のページを見てくれ」

 三條がパワーポイントで作成した書類を捲りながら、他のメンバーにも一枚捲るようにジェスチャーと言葉で指示した。

「えっと、なんでしょうかね、これ。もう私も働く事になってます?」

 あかねの手前、語気を強くするわけにもいかず、控えめに抗議した沙良だったが、その顔は引きつっていた。

「ん? 堀田君も一緒なら働くって話じゃなかったか? 私としても堀田君にはお願いするつもりだったからちょうど良かったと思ったのだが……」

 沙良には三條が恐ろしく思えた。まるでこの数年の事がまるっきりなかった事のように流されている。それとも本当に忘れてしまったのか。あるいは、堀田が実は催眠術師で、三條の記憶の一部を封印してしまったのか。

「うわあ、一概にないとも言い切れないところがまた怖いわ……」

 沙良は堀田の目を見て、自分の空想が突飛な物ではなく思えて、ぶるっと体を震わせた。

「どうしました? なにかこのグッドルッキングなフェイスについてます?」

 沙良からの妙な視線を感じた堀田は、三條から渡された書類から目を上げて行った。

「いや、ないね。うん、なんでもない。……というか、ハン君は本当にいいの?」

「俺? うん。もう大歓迎。だってさ、最初の仕事がナナちゃんのレコーディングになるかもしんないんだよ? そんなんもう、断る理由ないって話ですよ」

 沙良は堀田のきらめく瞳を見て、手元の書類をバサバサと音を立てて捲った。

「ナナちゃんって……。どこにもそんな名前書いてないじゃない。ただ、『台湾で若手のチェリストを』ってだけしか」

「沙良さんには夢がないなあ……」

 堀田がそう言いながら両手のひらを上に向け首を竦める仕草に、沙良は軽く苛立った。手にしている紙の束を丸めて堀田の頭に叩きつけると、実にスカッとする音が蔵の中に反響した。

「なにすんですか、沙良さん!」

「あ、ごめんね。頭の上にゴキちゃんが乗ってたから」

「……そこは蚊か、せめてハエぐらいに留めてほしかったです」

 横で楽しそうに二人のやり取りを見ていた智子がそう言って顔をしかめた。

「お待たせぇ。できたよー」

 今まで一人でキッチンに立って何やら作業していた志津が、ミニチュアのロールケーキをピラミッドのように積んだ上に、たっぷりの生クリームとフルーツをデコレーションしたケーキをテーブルに運んできた。

「よし! それじゃあ、一旦企画会議は休憩! 瑞希ちゃん、電気消して」

「ほいきたっ」

 智子の指示で、瑞希が入り口のスイッチを押し、電気を消した。志津が最後の仕上げに、ケーキの頂上に乗せられた一本のロウソクへ火を着ける。

「はっぴばあすでい、とぅーゆー」

 沙良が最初の一節を歌い出すと、そこに居た堀田以外の全員が歌い始めた。

「はっぴばあすでい、でぃあ、はーんくーん」

「はっぴばあすでい、とぅーゆー」

「イエーイ!」

 歌い終わると、今度は歓声と共に拍手が響いた。

「ほら、ロウソク消して!」

 堀田は呆然としながらも、言われるままに揺れ動く炎に向けて息を吹きかけた。ロウソクの火は、そこにいた七人の笑顔の残像を残して、白く細い煙に姿を変えた。

「あの、俺の誕生日、一月十五日。今、五月。なにこれ?」

 戸惑う堀田を無視して、瑞希が電気を点けた。

「まあ、今日から生まれ変わったって事で。ね」

 志津のやや強引な説明に、堀田は頷くしかなかった。

「ところでハン君ってさ、実家に帰って来たって言ってたじゃない? そんな近くに実家があるのに、なんでわざわざここに住んでるの?」

 志津がケーキを切り分けながら、もっともな質問をした。

「だって、高校卒業したら自立するもんでしょ?」

 当然の事のようにそう答えた堀田に、沙良が異議を唱えた。

「自立? あんた、ここの光熱費は誰が払ってんの? 携帯の料金は? 今日乗ってた車は?」

「それは、全部大家の伯父さんが。でも、ちゃんとその分の働きはしてると思うよ?」

「ここ、親戚の家だったんだ。へえ、家族の世話になってんじゃん」

 沙良の言葉に、堀田はムッとしていた。

「家族じゃないよ。親戚」

「同じよ」

「えー、違うじゃん」

「じゃあ、家族って何? 誰の事?」

 堀田はそう話す沙良の目が少し潤んでいる事に気が付いた。

「沙良さん、家族いないんですね?」

 沙良の肩が強張った。顔が紅潮すると、その赤くなった頬を少し黒い涙が流れた。

 ――また泣かせてしまった。

 堀田は子供の頃から女子を泣かしてしまう事が多かった。何故泣くのか。間違った事を言ったわけでもないのに、泣かせてしまったという事でいつも叱られていた。そして、謝らされ、慰めさせられ、仲直りさせられた。喧嘩もしていないのに仲直りとは変な話だ。だが、それがいつしか普通になっていた。だからこの後、堀田が言った事は堀田にとってはごく普通の事だ。

「沙良さん、なんなら俺と家族になりません?」

「あ、あんたそれ、誰がどう聞いてもプロポーズみたいよ?」

 狼狽える沙良と、周囲の反応とは対照的だった。

 智子が手を上げる。

「じゃあ、私も妹になる」

 瑞希も手を上げる。

「私も! お姉ちゃんが欲しい!」

 続けて三條が手を上げた。

「それじゃあ私は……」

 あかねが三條の脇腹をつねる。

「……上司として面倒を見よう。うむ、家族か。……そうだな。社名は『デァ・クリンゲン・デァ・ファミリエ』ってのはどうだ?」

 堀田がそれを聞いて首を傾げた。

「社名でしょ? 冠詞は間抜けっぽくないです?『クリンゲンファミリエ』でいいと思うけど」

「相変わらずはっきり言うやつだ。まあ、確かにその通りだな。『クリンゲンファミリエ』か。それで行こう」

 二人の会話を聞いていた智子がケーキを口に運んで、クリームが僅かに付いたフォークを堀田の方に向けた。

「ねえ、ハン君。ファミリエは家族よね? クリンゲンって?」

 フォークを目の前に向けられて、堀田は顎を引いた。

「危ないなあ。クリンゲンは音とか、響きって意味です。打楽器なんかで『クリンゲン・ラッセン』と言えば、打ちつけた後に手などで振動を止めずに響かせ続けるって意味になります。英語だとサウンド、なんですけど、ちょっとニュアンスが違うというか……」

「あー、もう!」

 堀田の講義は沙良の叫びで中断された。

「ど、どうしたんですか、沙良さん?!」

 驚いて落としたフォークを拾って、智子が恐る恐る沙良の顔を伺った。

「もう、なんかどうでも良くなっちゃった。……いや、人生が、とかじゃなくて。ハン君みたいに何年も勘違いで悩んだりするのももったいないし、いつか解決する問題だったら、その時を待たなくても今解決しちゃってもいいかって。どんどん年取ってくだけだしね」

 なぜかわからないが、妙に明るさを取り戻した沙良に、堀田は首を傾げた。

「沙良さん、それって何の話です?」

 そう聞いてきた堀田に、沙良は右手を伸ばした。

「家族になるんでしょ? 改めてよろしくね」

 出された物は握る。堀田は反射的にその手を掴んだ。

「えっと、ちなみに民法でも『家族』には特に定義があるわけでもなく、総務省統計局が行う国勢調査では、親族のみの世帯の区分として初めて『核家族世帯』『核家族以外の世帯』という言葉で『家族』の文字が見られ……。あれ? 聞いてない感じですか?」

 堀田の話を聞く沙良は、ただ柔らかく笑っていた。


「……と、いうわけで、就職して引っ越しちゃった……っと」

 堀田はスマートフォンにそう打ち込むと、ソファーの上に横になった。蔵に比べると低い天井に、明るい蛍光灯。窓は大きく、掃除も行き届いている。空気の種類も蔵とは違う。

 その空気を肺にいっぱい吸い込んで、転がした身体を再び起こした。

「沙良さん、パン耳貰ってくるね」

 その声に、隣の和室から沙良が顔だけ覗かせた。コンタクトを外している沙良は、少し前に流行った大きめの黒縁メガネをかけている。

「はあ? 普通にパン買っておいでよ。っていうか、買ってきて」

「買ってきてって、欲しいのあるんなら一緒に行けばいいじゃないですか」

「えー、だってまだパジャマだし……。あ、ともちゃんは?」

「まだ寝てるんじゃないかな? 昨日も遅くまでパソコンで作業してたし」

 どうしたものか悩む沙良は、その場でゴロゴロと転がって行ったり来たりしている。

「うー、しょうがない。付き合うか。十五分待って」

 ――沙良がそう返事した十二分後。

「よし! お待たせ」

 すっかり普段外で見る姿になった沙良を見て、堀田は感心した。

「早いですね。まだ三分余ってるよ」

「これもね、オバサンのテクニックよ。……はい、ここ!」

 沙良が堀田の頭を後ろからパシンとはたいた。

「あ、ああ。そうでした……。マダマダワカイジャナイデスカ」

 明らかに感情が抜け落ちた言い方に沙良は苦笑した。

「ま、いいか。鍵、持ってるよね?」

 スニーカーのつま先でコンクリートの廊下をトントンと叩きながら、沙良はマンションの部屋を出た。堀田はポケットから鍵を出して、ジャラリと鳴らして応える。そのカギを挿したドアには「クリンゲンファミリエ」と書かれたプレートが貼られていた。

「よし、行こっ」

 鍵を閉めた堀田の腕に、沙良は自分の腕を絡ませた。

「沙良さん、何やってんッスか。歩きにくいですよ……」

「いいじゃん、家族なんだし」

「家族だからって……。俺、親父とかお袋とこんな風に歩いた事ないけどな。あ、もしかして沙良さん、俺に惚れたんスか?」

「さあて、どうかな? その問題解決はあまり急ぎたくない感じなんだよね。それよりパン耳欲しいんなら急ごうね。なくなっちゃうよ」

 沙良は堀田の腕に絡ませた手を下にするりと降ろし、指を絡ませて手を強く握ると、堀田を引っ張るように駆けだした。頭の中では、初めて堀田を見た時に歌っていたあの歌が響いていた。

「ハン! クリンゲン・ラッセン!」

 何に対してそう言われたのかわからなかった堀田も、沙良の楽しそうな響きにつられて笑っていた。


 HAN 了

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HAN 西野ゆう @ukizm

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