第10話 ハンのカルマ
堀田が蔵に戻ると、客が二人増えていた。美味しそうな匂いも増えていた。
「あれ、タカく……じゃなくて洋二君。って事は、そこに立つのはトンビちゃんかな?」
テーブルには智子と瑞希と洋二、キッチンには沙良ともう一人堀田が見た事のない中年の女性が立っていた。
「どーも、ハン君。洋二がお世話になって。スウェット、洗濯して持ってきたから。置き場所わかんなかったからそこに掛けといたけど、いいでしょ?」
トンビが指した方向を見ると、壁に掛けていたハンガーにスウェットがぶら下がっていた。
「ああ、うん、大丈夫。で、何作ってんの?」
堀田が洋二の肩に手を置いて隣に座りつつ、トンビに聞いた。
「嘘? この匂いでわかんないの?」
そう呆れた風に口を開いたのは沙良だ。
「わかるよ。カレーの匂いくらい。それとは別に何か作ってるでしょ? カレーの匂いがしている段階でさ、二人でキッチンに立ってやる事なんてないじゃん」
それを聞いた二人がキッチンで顔を見合わせる。
「どうします?
「どうしましょうかね、沙良ちゃん。とりあえず、どこで何してたか聞かないとね」
「ですね。ともちゃん、その役目任せた。私たちは内緒のデザート作んないといけないから」
沙良が顔だけ智子の方に向けてそう言うと、智子は親指を立てて「任せて」と答えた。
「で? どこで何してたの、ハン君。二時間近くも私たちをほったらかして」
「それよりさ、沙良さん『内緒のデザート』って言っちゃったら、内緒になんない……はい、黙ります」
智子が堀田の唇に人差し指を立てて押し当てた。
「えっと、どこで何を、だよね。実家で親父と話してきた。もうね、今明かされる驚愕の真実って感じだよ。俺が働けないのは、交流戦九連敗が原因だったんだ……」
「交流戦? 何それ?」
「日本のプロ野球ってね、昔はひとつのリーグだったんだけど、一九四九年に新加入チームの参加を認めるかどうかで……」
蔵の隅に転がっていたノートを引っ張り出して、文字を書きながら説明を始めた堀田の右手を、智子が上から押さえて首を横に振った。
「ねえ、ハン君。もしかして交流戦そのものの説明しようとしてない? そうじゃなくてさ、結局仕事するのを相談しに行ったって事でしょ?」
「あれ? そう言わなかったっけ?」
「言ってない。で? 働けるの?」
「うん。障害は全てなくなったよ。あ、そうは言っても、俺の高機能広汎性発達障害がなくなったわけじゃないよっ」
堀田はそう言って両手の親指を立てると、肘を曲げて自分の胸の前で細かく二回上下させた。
「おっと、ハン君。そのボケは上手に拾えなーい。意味が分かんない……って、ノートに書いて説明しなくていいから!」
堀田が今度は「高機能……」とノートに書き始めたのを見て、智子はノートを取り上げた。
「なんだ、随分賑やかだな。邪魔するよ」
智子がノートを振り上げたその後ろに、家主の返事を待たず上がり込んだ三條が立っていた。
「邪魔するなら帰って……や……」
三條の声に、条件反射的に反応した沙良がフライ返し片手に振り返りつつそう言うと、三條の横に立つ妻が視界に入って、再び何事もなかったかのようにキッチンへと向かった。
「マジかよ……。あのおっさん、マジかよ……」
沙良はブツブツ言いながら、玉子焼き器で焼いていた玉子焼きではないものをまな板に移した。
「えっと、沙良ちゃん。もしかしてあの人が?」
トンビこと志津が沙良の腕を突くと、沙良は黙って頷いた。
「……なるほど。確かに見た目は渋い。けど……横にいるの、奥さん、だよね。随分仲良さそうに見えるけど」
三條の隣にピタリとくっついて立つ妻のあかねを見て、志津も首を傾げた。
「それも全部ハン君ですよ。何をどう言ったか細かい事は知らないけど」
「へえ……」
こそこそと沙良と志津がキッチンで会話していると、瑞希が立ち上がってズカズカと二人の方へ詰め寄った。
「パパ……、ママも。家で待っててって言ったのに、もう!」
腕を高めに組んで頬を膨らます瑞希にあかねは舌を出した。
「だって、遅いんだもの。それと、堀田君に、この前のお礼に夕飯のお裾分けにって思って、これ持ってきたんだけど……。いらなかったかな」
あかねの左腕は、三條の右腕に絡みついている。その反対の右手に下げられたビニール袋に入れられたタッパーには、瑞希の好きな甘辛く味付けされた唐揚げがたっぷり詰め込まれていた。
「いる! 食べる!」
瑞希はあかねの手からビニール袋をかっさらって、タッパーをテーブルの上で開封した。瞬間、芳ばしい香りが立ち昇った。
「いただきまーす!」
瑞希が唐揚げをひとつ摘まんで口の中に放り込む。目を閉じながらも満面の笑みで顎を動かしていた。
堀田はその様子を横目に、人差し指を動かして蔵の中に居る客を数え始めた。
「一、二、三、……七人。俺入れて八人……。八犬伝か何かかな?」
自分の生活空間であるはずのこの蔵の中に、これまでにない人数が集まっている。その状況が堀田にとっては不思議でならなかった。
「おかしい。なんでこうなったかな……」
「カルマって言うやつじゃないですか?」
堀田の呟きに、それまで所在なげにしていた洋二が口を開いた。それを聞いた堀田がなるほど、と手を打った。
「ああ、カルマか。うんうん、そっかそっか……。って、なんでだよ! 俺のどんな行いが原因でこうなったわけ?」
堀田の発言に、全員の視線が集まった。
「自覚ナシかよ!」
七人の口から同時に出た言葉が、大きなひとつの塊になって、堀田の頭上に降って落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます