白の花瓶に触れるとき

久々原仁介

白の花瓶に触れるとき

 小学校の三年に進級する直前だったか。母方の祖父がお餅を喉に詰まらせて、あっけなく命を落とした。享年七九歳。祖母はなんだかあっけらかんとしていて、幼い僕に「おじいちゃん、死んじゃったんやねぇ。惜しかったなぁ」とこぼしていた。


 当時、僕はその言葉の意味がわからなかった。何が惜しかったんやろうか。どうしてだろう、今にして思えば「もうすぐで八〇歳だったのにね、惜しかったね」とか「惜しい人をなくしたね」といったことを伝えたかったに違いなかった。けれども当時の僕は、直感的に「ちゃんと死ねなかった」という意味合いだと受け取った。


 この時をもってあのベージュの木蓮をあしらった棺の中身は、得体の知れない何かにとって代わった。僕は棺桶の中を見に行きたいと、切ないほどに望んだ


 祖母の立ち振る舞いの影響か、葬式もどちらかというと宴会じみており、そんな僕の渦まく思いがはぐらかされたようで、どうにもうまくなかった。


 母は席でそわそわと落ち着きのない僕を見て、祖父の入った棺桶の傍まで連れ出した。


「おじいちゃん、いなくなって寂しいんやろ? こんなか、おるけーね」


 その時見た棺桶の中に眠る祖父の顔つきが、あまりにも豊かなものだったから、ひょっとしてこの人は死んだふりでもしてるんじゃないかと思って、僕はどうしても触ってみたくなった。


 でも、手を伸ばそうとすると母に止められるのだ。一度目はやんわりと押し返しただけだったのに、二度目は躊躇なく叩かれた。僕は三度目を伸ばす勇気がなかった。


 誰もが子どもの頃は、天邪鬼的な気性を持ち合わせていると同時に、息を吐くような仕草にも傷ついてしまうナイーブな側面持ち合わせている。僕もまったくその例外ではなかった。


 それからというもの、考え込むことが多くなる。もとから活発な子どもではなかったが、輪をかけてしゃべらなくなった(口を開くと、あの葬式が肺の中からこぼれてしまいそうで、もったいなかった。焚いた線香の煙がお腹でずっと渦巻いていた)。


「じいちゃんってさ、なんで死んだん?」


 それから数日経ったある日。学校から帰るなり台所に駆け込んだ僕は、塩水に漬けられた兎型のリンゴをつまみ食いしながら母に問うた。

本当に知りたかったのはどうして死んだのかではなく、何をもって死としたのかだったが、それをどう表現していいのか分からず、自分の言葉足らずがもどかしかった。とにかく僕は、皆が何の疑いも持たずに祖父が死んでいることを受け入れている姿が怖くてしょうがなかった。僕の知らない共通の認識で動いているようだったからだ。


「そりゃあ、喉に餅が詰まって死んだんやろ」

「でもこの前テレビで、『医者が死亡を確認しました』って言わんにゃ、死んだことにならんて言いよったよ。じゃあ、じいちゃんは医者に殺されたん?」

「あんた人聞き悪いこと言うっちゃね」


リンゴが想像以上に柔らかい。少し力を入れると、指の腹が果肉に沈んで不快だった。


「もし、僕が病院で死んだふりをして、それを勘違いしたお医者さんが『この子は死にました』とか言ったら、僕は死体になるってこと?」

「うーん、まぁ医学の世界ではそういうことなんやろうけど。お母さんもよう分からんわ」

「母さんも分らんの?」


 母は曖昧に頷いた。その姿は祖父に触れようとした僕の手をやんわり押し留めようとしたときの顔にそっくりだった。


 この時ほど、自身の短い人生で途方に暮れたことはなかったかもしれない。僕は母が知らないことなど、この世の中に一片もないのだと、高を括っていたからだ。


 庭先に夾竹桃の花が咲き、梅雨の終わりを感じ始めた頃合い。その日は海の下で燃えるような夕焼けを、学校からの家路で見られたから機嫌がよかった。家もちょうど母が留守だったので、うまいこと一人になれたのだ。


 帰宅して居間で寝転がっていると耳元からね、何か僕を寝かせまいとする羽音が聴こえる。


 それがやかましくてしょうがないから、試しに両手でパチンッと叩くと、合わせた両の掌で蚊が潰れていた。あんまり綺麗に潰れるものだから、小さなヒガンバナが、親指側のふっくらとした母指球に根を張っていた。


しまった。こいつはやられた。蚊の腹が破れて流れ出た血液が、手相にまで根を下ろしている。きっと洗って落とすのにも苦労するはずだ。


 手を洗おうと台所へ向かうと、やはりそこには誰もおらず、調理台を背もたれに煙草を吸っている母の姿も当然のことながらなかった。


 台所は母の根城みたいなものだから、母のいない台所を見ると、色のついていない活動写真を観ているようで、どこか物足りない(人がうじゃうじゃと溢れ返る眺めはいくつになっても好きになれそうにもないが、ガランとした眺めもそれはそれで寂しい。コンクリート下の海を見ているみたいだから)。


 その寂しさは掌からも感じた。蚊を殺した手だ。なんで僕はこの羽虫を殺してしまったんだろう(僕は医者じゃないのに)。


いったいぜんたいどれだけの人が、あの羽虫が殺されておいおいと泣くだろうかと、ふと浮かんだ。葬式でも開くのだろうか。そんなことはありえない。あの行動のどこにも意味らしい意味がないことが恐ろしかった。


 それは人間といった生物そのものの生き方として、とても浅いもののような気がしたのだ。

きっと手を叩くのがいけないんだ。あの拙い破裂音は特別短いから、そこから先を考えようという気を失せさせる。もどかしいんだ。ビニール袋越しに何かを触っている気分だった。


 蚊を叩くときって、僕は何を考えてる? 当たり前のようによぎる空白が怖い(僕はドーナツの穴を恐ろしいと言ってるんじゃないんだ。なぜパン生地に穴が開けばドーナツになるのかを考えないのが怖いと言っているんだ)。


 手を叩いて潰れた蚊に見向きもしないことなど当たり前で、それがことさら不思議に思えてくる。


 ここで一気に僕の天邪鬼が息を吹き返す。母親が留守にしているのをいいことに、ある実験をしてみようと考えついた。


 僕は今から手で触ることができるような悪意をもって、蚊を殺してみるんだ。


 まずは蚊を生け捕りにすることから始めなければならない。蚊を見つけ次第、両手でこいつを叩くが、本気ではそうしない。気絶を促す程度にはたくのだ。ここには細心の注意が必要だ。ここで殺してしまっては意味がない。まさしく虫の息になった蚊を水で満たした花瓶にいれる。花瓶に落とすのはあの「パチンッ」を引き延ばすためだ。


 蚊を探すなら水場がいいかなと思って、ちょうど花瓶が置いてあった台所に腰を落ち着かせる。


 台の上にある花瓶は、しろい陶器であった。丸みを帯びた胴と、細くくびれた首(あまりにも見事に腹が膨らんでいるものだから、僕は花瓶に妊婦を見た)。両手に乗るくらいの陶器は、ぬらぬらとした粘土で焼かれていた。花は挿さっておらず、不出来な花瓶だと思ったのに、これがまた重たいんだよ。水などとうにいれてあるのかと思いきや、すっからかんで驚かされた(花瓶の口内をひっそりと覗くよ)。水を注ぎ、テーブルの上に置く。


 引き込まれる、陶器の唇。しかし唐突に耳に届く浮足立った羽音が、意識を花瓶から引き剝がす。


 右の耳元だ。近い! 咄嗟にこめかみを叩くも、仕留められずに耳たぶの辺りがジンジンと痛んだ。細い音は早くも胸元を通り過ぎ、手の届かないところへ飛んでいこうとする。


 遠ざかっていく黒い点を見つけた。同時に、真っ直ぐ飛べない蚊の可愛らしさと、言いようのない人間らしさを感じた。狙いを定めると、一切の自意識が身体から離れる静かさに見舞われた。


 気の抜けた羽音がぷつんと切れた。いつのまにか蚊は、テーブルの向こう側でのたうち回っている。信じられないことだが、僕は蚊を叩き落としたときのことをまるきり覚えていなかった。


 気持ちが急いでいたためか、そういった不可解に鈍感にならざるをえなかった。そのまま死にかけの蚊の貧弱そうな足をつまみ、壺の上に移動させた。衝撃でまだ痙攣している。水の中に落としてしまえば、いずれ溺れて死んじゃうな。


 吸った空気が肺の浅瀬で行き来している。短い呼吸がせわしない。


 まさに、命を奪おうとしている。突き動かすのは天邪鬼よりもっと性質の悪い渇きとか、飢えだった。静かに胸が高鳴っているのを感じる。


 死体って触れるのに、どうして「死」は触れないんだろう。臭いもなければ、聴こえないし、見えもしない。かつて僕は、死という一つの結果や現象、病に勝手な妄想を抱いていた。それは蜻蛉のように慎ましやかに生きていて、とても誠実な奴なのかもしれない。


 興奮しているのは、そういった曖昧なものを、手に取れるまたとないチャンスだったからだ。


 これで目的は果たされるんだと、大いに舞い上がっていた。柔らかいのか、硬いのか、苦いのか、甘いのか……。おそらくそれは、鍋の中でじっくりコトコト煮ているようなものなんだ。中身がぐずぐずになる前に、それが何なのか知って安心したかった。


 だけど、おかしい。だんだんと指先は大人しくなるのに、蚊が指から離れない。車酔いをしたときの気持ち悪さが、また胸の下を引っ張る。後悔に襲われそうになった。手を離せてないのは蚊ではなく僕なんだ。


 やめてくれよ。落ちてくれよ。念じた途端だ。蚊はあまりにも呆気なく指先から落ちてしまった。綺麗に花瓶の口内へと吸い寄せられ、呑まれた。


 今頃、きっと蚊は消え入りそうな弱弱しいバタ足で浮こうともがいているはずだ。けど、それも終われば沈んでしまう。


 僕は花瓶の深くまで見下ろした。焼き物特有の垂れる珠筋が口から胴にかけて幾つも続いている(あるいは、血管だった)。それは真っ白い臓器だった。


 花が挿されていない花瓶を耳に当ててみる。半ば耳鳴りみたいに、深く、遠くで、一際低く不気味な波の音が、僕の中に流れ込んでくる。背中あたりがぞわぞわと寒気が走る。恐ろしくはあったけれど、髪の毛一本分、知識欲が勝ったおかげで耳を離すことはなかった。


 しばらくはこのままでじっと耳を傾けていた。陶器と頬の熱が等しくなるころに、音は身を引いた。曖昧だったものに初めて触れた感慨は、母に対するちょっとした優越感に変わった。


 それから一週間もしないうちだったか。その間は息苦しさというか、居心地悪さというか、そのようなものから解放された。些細な、誰にでも一つはあるような思い出話だが、その小ささというか、ちゃんと手のひらに収まるものだったから、具合がちょうどよかったのだろうと区切りをつけることができた。


 この一連の出来事から、母が庭いじりをすることが多くなったような気がする(それは全くの勘違いかもしれないけれど)。


 縁側へ出て庭のプランターを眺めると、外付けの水道の傍に、水を並々と注いだバケツが、三つも置いてある。


 透き通ったバケツの中の水に、仄白い淀みが映る。それが何かは分からないが、僕の根本に根付く未発達の危険信号が勢いよく点滅した。


「あのバケツ、何なん? 花にあげるんか?」


 母は朝方に鳴く烏のようにあっけらかんとした口ぶりで言う。


「ああ、それね。夏はぎょうさん蚊が出るやろうけ、このバケツん中に卵を産ませてから捨てるんよ」


 そうして、僕の心臓は重くなるのだ。

 僕は母を残酷な人間だと心中で罵ったが、同時に母以上の人間にはなれないだろうと幼いながらに悟った。


 時たま花瓶に耳を澄ますと、小さなさざ波と一緒に、あの消え入りそうな羽音が聴こえる。


 あの時間は、左胸の鼓動を綺麗に忘れる。だけどそんなに長続きはしないんだ。ふと、また拍動が浮かんできて陶器の冷たさが遠のいてしまう。


 手のひらで蚊を殺すときもある。ただその一瞬は、ただただあの白い臓器に集約される。


 小心な僕は、あの日から爪でつまめるほどの爆弾を左胸にもっている。これが爆発するころ、次は何色の臓器を見るんだろうと考えると、少し楽しい。

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