男は周りが思っているより自分の欠点を軽視しがちである

カオス饅頭

男は周りが思っているより自分の欠点を軽視しがちである

 都内にある、ある高校。

 校舎の壁は白い漆喰。グラウンドの砂はベージュ色。時間は黄昏、生徒達は部活動に打ち込んでいる。

 そんな喧騒の外れに置かれたある教室にて。

 男と女。

 この二人のみがる事で、教室は外の世界からは切り離されて無音の支配する世界となっていた。


 眼鏡をかけた男子生徒。

 髪はたば感のあるもので、甘い整髪剤の臭いがした。

 ピシリとした学ランに負けず劣らず肩に力を入れると、頭を下げて声を張り上げる。


「好きだ小暮!付き合ってくれ!」


 声は空っぽの教室によく響く。

 イメージトレーニングは何度もしてきた筈なのに、いざ本番となって真っ白になった頭では本音の一言しか出てこなかった。


 告白された女子生徒こと【小暮 真紀こぐれ まき】は困ったように頭を掻いた。

 髪は長く、茶色がかっていて、絹の様にサラリと揺れる。

 眉をハの字にして、口を少しヘの字にして苦笑いで返事をする。


「諸星の事は友達としては好きなんだけど……ちょっと眼鏡がなあ」


 ありがちなシチュエーション。

 ありがちな理由。

 ありがちな失恋。


 男子生徒こと【諸星 春もろぼし はる】は、目を叩かれたかのようだった。

 強烈な衝撃は涙腺を刺激し、ワナワナと喉と唇を震わせるのだ。

 漫画やドラマでは何度も見てきた場面なのに、『感動』の質が桁違いである。


 崩壊しそうな涙腺をギュっと諫める。

 目を合わせる事が出来ず、誰にも自分にも命じられていないのに俯いてしまった。

 身体に『当たった』眼鏡のレンズが『折れそう』になる。


 振ってしまった直後だというのに、日常の癖とは抜けないものなのか。

 小暮は思わず、心配して声を掛けてしまう。


「大丈夫?」

「振られた事か?眼鏡の事か?」

「眼鏡」

「ああ、ちょっと力を入れ過ぎたが、まあ慣れているからな」


 『日常』に戻った心が、微笑を取り戻させた。

 顔を上げると、望遠鏡の様に飛び出した眼鏡のレンズがある。

 厚さは100cm。もしくは1m。

 ガラス製なので何かにぶつかって折れてしまわないか、はじめは皆がハラハラして見ていたが、意外と生活に不自由は見られない。

 敢えて言うなら人と話すときに距離が必要な事だろうか。


 眼鏡の形だけで騒ぎ続けられるほど若者の流行は長続きしないし、諸星自身もクラスの一員として溶け込み易い、人の長所をよく褒める男だった。

 こうしてクラスメイト達は彼の中身を見るようになり、段々と眼鏡の事は気にしなくなっていたのである。


「顔は悪くないんだからコンタクトにしたら?」

「そうだとしたら、付き合ってくれるのかな」

「どうだろ。その眼鏡も含めて、私の好きな諸星の個性だし」

「そうかあ……」


 窓から差し込む冷たい日光。

 諸星は教室を出ると、何も言わずに廊下を歩き出したのだった。



「と、いう訳で諸星の失恋祝いで、カンパーイ!」


 廊下を渡った先。

 使われていない空き教室。

 そこが彼等の『たまり場』だった。


 諸星の悪友である【原 翔はら しょう】は、何の変哲もないお調子者の男である。

 敢えて言うなら、裕福な出身なので金に執着がない代わりに孤独は人一倍強いという事か。

 はじめのクラス分けで席が近かった事が付き合いのはじまりだが、無意識のままズルズルとツルみ続けている。

 話を聞いた彼は「ちょっと待ってろ」と下の階にある自販機に行き、缶ジュース二人分を買ってきて、乾杯をしたのだ。


 諸星としては一気に飲みたい気分だが、ホットコーヒーなのでそれは無理。

 小鳥の如くチビチビと飲みながら、愚痴を吐く。


「あ~、ちきしょ~、イけると思ったんだけどなあ」

「コンタクトにしたら?」

「手入れが面倒なのがなあ」

「そうかあ。じゃあ新しい恋を探すか、他の良い所を伸ばすしかないな。

属性を盛れば欠点って気にならなくなりがちだし。なんかあるか?」


 原はそう小暮・・に話を振った。

 『たまり場』のメンバーはこの三人だ。だから小暮が居ても何もおかしくはないのだ。


 とは言え、原が自販機に買いに行っている最中、小暮がやってきて諸星と二人きりになっている時は気まずい雰囲気だった。

 原が帰って来た時に小暮の分のコーヒーが無い時も気まずい雰囲気だった。

 小暮の分も買いに行こうとしたところで、彼女が思わず「あ、いえいえお気になさらずに」と敬語で譲ってしまったくらいだ。


「う~ん、バンドでもはじめてみるとか。なんかモテるイメージあるよね」

「じゃあそれでいくか。なんか楽器の希望とかあるか」

「私はボーカルが良いな」

「諸星に聞いたつもりなんだけど、小倉が答えるとは。

まあ良いや。で、改めて聞くけど諸星は?」

「……ボーカルで」

「お前もかー」

「そう言う原。お前はどうするんだよ」

「まあ、ボーカルだな」


 人一倍孤独の強い原は、仲間達の感情をそのまま共有したい男なのだ。


 こうして全員ボーカルになり、ギター・ベース・ドラムの音を声で再現する練習がはじまった。

 その道は辛く険しい物だったかも知れない。

 それでも諸星はリーダーとして、モテたい一心で練習を続けたのだ。

 その真摯な気持ちに惹かれ、脱落者は一人も出なかった。みんな諸星が大好きなのである。


 そんなある日の事だった。


「く、やはり普通に楽器を買わなきゃダメなのか!」

「いや、待って!確かに今、ドラムの音が出たわ」

「そんな……どうやって!」

「分かった、あれよ!」


 小暮が指差したのは、諸星の眼鏡である。

 なんと厚さ1mのレンズが声に共鳴し、楽器に似通った音が出ているのだ。


 そうはならへんやろ。なっとるやないかい。

 三人はどうにかして望んだ楽器の音が出せないか、様々な音程の声を当ててデータを取り続けた。

 もしかしたら何の意味もない事かも知れない。

 それでも、皆と何かを頑張るという事が楽しかった。

 新しい何かを見つけた時、大いに祝って感動を共有する日々が続く。


 そして突破口は些細な事。

 とはいえ、ニュートンのリンゴ然り巨大な下積みが必要となるので「後押し」と言った方が正しいのかも知れない。

 深夜ノリの諸星が己の眼鏡のレンズを握って「グルグル眼鏡でナルト巻」と下らない一発芸をして、同じく深夜ノリの残り二人が、汚いおっさんみたいな笑い方で大爆笑をした時である。

 まるで本当に楽器を使ったかのような演奏が部屋中に響いたのだ。


「なるほど……一人でダメなら二人、三人ならという事か」


 急に冷静になった原が結果を分析し、ノートに方程式と図をスラスラと書いていく。

 複数人の声の波長が重なる事により、それらの交点が特殊な音波を生み出す理屈が解明されたのだった。


「いける!これはいけるぞ!」

「うおおおおおお!」


 そこからの進歩は劇的だった。

 新しいパターンを幾つも発見し、文化祭で大活躍。そのまま原が実家に持っていたコネを使って複数の楽曲を発表。

 全く新しい概念の高校生バンドグループ【TAMARIBA】としてデビューしたのだった。



 あくる日、バラエティー番組には、制服を着て指ぬきグローブを嵌めた三人が出演していた。

 深夜ノリで考えたポーズを決める。

 これもSNSで大反響を呼び、曲を知らなくてもポーズを知っているという人も大勢居るという事態になっていた。


「本日のゲストはビルボードで見事1位を獲得した、TAMARIBAの皆さんです。

リーダーでボーカルの諸星さん、音楽をはじめた切っ掛けはなんですか?」

「SNSでよくネタにされていますが、やはり小暮に振られたからですね。あの頃は情熱を何かにぶつけたい気持ちでいっぱいでした。

失恋の相談に乗ってくれた、ボーカルの原とボーカルの小暮には感謝しています!」

「世の中どうなるか分からないものですね」

「ほんとですよ」


 軽く笑いながら頷いた。

 インタビュアーのタレントは、目と鼻の先でブンブン振られるレンズに対して物理的に一歩引く。

 元は格闘家だった経験が活きているのだ。

 引退後にバラエティ番組に出演した際に、トークが面白いとタレントに転向したのである。


「それで、今なら告白しても成功するんじゃないですか?」

「そうかも知れませんね。なあ、小暮……」


 隣に座る小暮に向かい、首を回す。

 タレントは「危ねっ」と呟き、急いでしゃがんだ。先ほどまで頭があった所をレンズが通過する。

 ガラスは透明なので間合いを図り辛い。

 しかし現役時代に『蛍光灯のヒモでボクシングしてる人』の異名で呼ばれたタレントは、まだ勘を失っていなかったのであった。


 それはそれとして、諸星は嘗てと同じく頭を下げる。


「好きだ小暮!付き合ってくれ!」


 結末を言えば「成功した」とだけ此処に記そう。

 眼鏡のレンズが小暮の脳天に直撃し、とうとうへし折れたなどのハプニングはあったが、全国放送されたこの告白は伝説となった。

 ただ、この日のSNSは以下のワードがトレンドとなる。


──コンタクトにしたら?

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