グリト・デハルザールは今日も座禅を組む

永里 餡

チルネという国

インド洋、ベンガル湾。


 その中に浮かぶ幾つかの小さな島の中にチルネという国がある。


 島の大きさは世界一小さい国と言われているバチカン市国の約2倍。


 国民の殆どは土着の宗教であるツル教を信仰していて、その割合は85パーセントと言われており残りは仏教徒である。


 ツル教は自然信仰であり文明から離れ自然に帰依することで植物に生まれ変わり、その後再び人間になるという独自の輪廻観をもつ。


 その語音ごいんから日本語のつるとツルの共通点を見出す学者もいるが、実際のところ因果関係は無いというのが現在の見解であった。


 国民の殆どは僧衣ような民族衣装を着て、夜の食事は摂らない。植物は光合成なので、夜はエネルギーを摂取しないという考えが元になっている。


 チルネ国は一般には殆ど知られていないが、熱心な宗教家たちには聖地として知られていた。


 その理由の大きな要因は大僧正グリト・デハルザールの存在が大きく関与している。


グリト・デハルザールは82歳の時に帰植きしょくの行に入る。


 帰植の行とはツル教の思想に基づく断食で、行の最中は食事を摂らず水以外は一切口にしない。そうすることで人の体は徐々に植物化し、光合成だけで生きることが出来るという。


 グリト・デハルザールは82歳でこの行に入ってから、119歳の現在まで食事を摂らず水だけで生き続けている。


 日当たりの良い森の中の広場には極々小さな寺院を建てられ、入口の前に更に小さな祭壇を備えており丸一日その上で座禅を組む。


 日が暮れると院の中で就寝する。


 寺院の扉はガラス製で中が見えるようになっているので、夜に食事をしているのではないかという疑惑を払拭するのに一役買っていた。


 過去にTVクルーが定点カメラで200日撮影したが、間違いなく水以外は口にしていなかったことが証明された。


 そんなグリト・デハルザールは生きた即身仏とも呼ばれ、信仰心の究極の体現者として世界中の宗教家たちから崇拝されている。


 今日も寺院の前の広場に世界中から集まった宗教家たちが、膝をつき両手を広げながらグリト・デハルザールに祈りを捧げている。


 植物をイメージしてるのであろう様々色味のグリーンを主体としたボロボロの僧衣を纏い、額と胸元には水晶で出来た小さな円盤を組み合わせて作った飾りを身につけている。


 そして特に印象的なのが両眉の上と両肩のつけ根、大胸筋の端から顔を出している金属片。


 ”聖根”と呼ばれている棒状の金属は両端が円錐上になっており、太さ1センチ長さは3センチほどある。


 ツル教では大僧正に選ばれる際に、これを体の決められた箇所にに埋め込むのがしきたりになっていた。


 額の聖根は流石に少し小ぶりだが、僧衣に隠れている箇所にも埋め込まれ、よく見ると肘や膝の辺りからも金属の先が確認出来る。


 これを人体に埋め込むには常軌を逸する苦痛を伴うため、卓越した精神力と呼吸法の習得が必須であり、だからこそ大僧正になった人間には最上級の敬拝が捧げられるのであった。


 グリト・デハルザールの行を目の当たりにし祈りを捧げる人々は言う。


 曰く、彼のいる広場に立つと体中にビリビリとした静電気のような感覚が走る。


 曰く、毎日、祈りを捧げていると体の不調が治る。


 曰く、神の声を聴いた。


 曰く、宇宙と繋がりアカシックレコードにコンタクトできるようになった。


 グリト・デハルザール自身は何も言わない。ただ黙って座禅を組み続けているだけだったが、奇跡を求めやってくる宗教家たちの間ではまことしやかに様々な噂が流れていた。


そしてとうとうグリト・デハルザールが120歳の誕生日を迎える前日の夜。


「さて、ワシも明日で120歳かの、まあよく生きてきたわい」


「御意、大僧正には半永久的な命が授かっておられますので」


 世話係の僧侶が深々と頭を下げる。


「ふむそうじゃの、こいつのお陰でな」


 グリト・デハルザールは肩から飛び出ている金属の棒を擦った。


 ツル教の行き過ぎた自然崇拝は、とうとう不食のシステムを完成させていた。


 小さな島国にも関わらず世界中から優秀な科学者を集め、効率的に太陽エネルギーを生産するテスラコイルを下敷きにした独自の無線送電システムを作り上げた。


 同時にシステムの軽量小型化の実現、生体受信装置を開発。


 バイオチタン製のコイルと組み合わせ、体内に埋め込むことによって人工的に生命活動の要、ATPエネルギーを発生させることに成功。口径での栄養摂取の必要は無くなった。


 先の大戦で亡命してきたユダヤ人科学者と噂されるグリト・デハルザールは、自らを第一の被験者として人体改造に志願した。


 実験は成功し、内臓の殆どを人工の装置に入れ替えたグリト・デハルザールは、今現在も大きな障害もなく生命活動を維持している。



 「これで漸く人類は他の命を”食べる”という悪しき習慣から抜け出す事が出来るようになるじゃろう」


「御意」


「世界から食事の習慣が無くなれば、家畜もいらん、巨大な工場もいらん、広大な畑もいらん、莫大な土地とエネルギーを無駄にしないで済むじゃろう」


「御意」


「人は生きるために食べる。食べるために領土を欲しがる。食べることに困らなくなれば人類は争う必要もなくなるじゃろう」


「御意」



 軍事的な理由から殆どの人間は知らないが小国チルネは世界有数のレアメタルの産地であり、半導体輸出の世界ランク上位に名を連ねている。


 小さな国土の地下には表にある質素な寺院群とは対照的な、巨大かつ最新鋭の研究所とシステムがフル稼働していた。


 しかしこれは完全無害の半永久的クリーンエネルギーであり、それを面白く思わない大国はこぞって秘密裏に取得しようと画策していた。化石燃料から得られる利益が失われるのを、恐れているのである。


 だがグリト・デハルザールはボタン一つで世界の送電システムを止める手段をも作り上げていたのだった。


 それを明日、世界各国のリーダーに発表すると同時に起動させ、自身の送電システムに切り替える為の計画も実行するつもりだ。


 準備は既に完璧に整えられ、後はボタンを一つ押すだけである。


「ぬほほ、自然と科学の平和的融合こそが人類と地球を救うのじゃよ」


 次の日世界中から人工的な光は消えた。




 「というわけで、大昔の人類は生きるために”他の命を食べる習慣”があったんだよ」


 ひょろりと背の高い男性がモニターの中で話している。目の色は薄いグリーンだった。


「センセー、食べるって何ですか?」


 目をくりくりさせながら少女は質問をした。目の色は深いグリーン、やはりひょろりと痩せている。


「う~ん、先生もよくわからないな、文献でしか知らないしね」


「変なの~」


 真っ青で広大な空とどこまでも続く新緑の大地の中に、点々と灰色の建物群がある。


 ザラリとした微粒子が微塵も混ざる余地もない真っ新な澄んだ空気の中に、少女の笑い声は溶けていった。


       

         終

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グリト・デハルザールは今日も座禅を組む 永里 餡 @sisisi2013

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