大晦日の出来事
増田朋美
大晦日の出来事
とにかく寒い日だった。そんなわけで、なかなか外出する人もいないのであるが、製鉄所の利用者は増え続けている。理由は様々だが、家に居ると道路工事がうるさくて仕事ができないという人も居るし、小さな子どもさんなどがうるさくて仕事ができないという人も居る。それ以外にも、親とうまく行っていないので、自宅にはいられなかったという女性も利用することが多い。中には、それだけでは解決できないという女性も利用することがあり、そのようなケースでは利用が長期化する人が多い。そうなってしまうことは、仕方ないことではあるけれど、杉ちゃんたちは、そういう女性たちに、ちょっと、難しい気がしてしまうのである。
その日、杉ちゃんとジョチさんは、いつもどおりに業務というか、仕事を行っていた。仕事と行っても、杉ちゃんのしごとは、利用者たちや水穂さんの昼ごはんを作ってあげること、ジョチさんの仕事は、新しく来た利用者の相手をしたり、行政などに報告書を書くことなどである。まあ、その間に、トラブルが起きることも非常に多いけれど、その日は、何も起こらないで一日が過ぎようとしていた。それで良かったと思うのであるが、そう思うことができないのが、こういう事業所の日常でもあった。
「あの!すみません!私、峯岸小夜子、旧姓和田小夜子と申しますが。」
と、若い女性の声が製鉄所の玄関先から聞こえてきた。ちょうど杉ちゃんは、昼食の支度をしていて、そのときは油で春巻きを揚げており、手をはなすことができなかった。ジョチさんも大事な書類を書いていて、すぐには応答できなかった。
「あの!失礼ですけど、ここは福祉事業所ですよね。来客が来ても、すぐに返事をしないのに、福祉施設って言えますか?」
女性はそう甲高い声で言っていた。布団で寝ていた水穂さんが、よいしょと起き上がって、すぐに鶯張りの廊下を歩いて、玄関先にいった。
「失礼いたしました。なにか御用がお有りでしょうか?」
「ええ。ありますとも。あの、和田秀子という女性をご存知ですよね?」
と、女性、つまり峯岸小夜子さんはそういうのだった。
「和田秀子?ああ、そういえば、一月ほど前に、こちらを利用していた方ですね。年が明けて、こちらには来なくなってしまった。僕たちは、何があったのか、心配だったのですが、なにかあったのでしょうか?」
水穂さんがそう言うと、
「何かあったと聞きたいのはこっちの方です。私は、和田秀子の娘の和田小夜子です!」
と小夜子さんは言った。
「わかりました。たしかに和田秀子さんはこちらを昨年の12月まで利用しています。しかし、今年になって、全くこちらには来訪しなくなりました。僕たちは単に、仕事を見つけたので、ここを遠慮したいと彼女から聞いていましたが、娘さんが居るとは全く話してくれなかったので、僕たちは知りませんでした。」
ジョチさんが、足を引きずりながらやってきて、そういったのであるが、
「母が、1月の20日に自殺しました。ちょっと上がらせて頂きます。」
小夜子さんは、そう言って製鉄所の中にどんどん入ってしまった。ジョチさんは仕方なく、彼女を応接室へ通した。水穂さんには寝ているようにといったのであるが、水穂さんは僕も応じますと言って、応接室へ言った。
とりあえずジョチさんは、彼女を急いで応接室のソファーに座らせた。水穂さんがお茶を持ってきてくれたが、小夜子さんは、いらないといった。それでも水穂さんは、彼女の前にお茶とお菓子をおいた。
「一体どうしたんだよ。いきなり若いお姉ちゃんが乗り込んできて、まさか誰かが不倫でもしたんじゃないだろうね?」
と、杉ちゃんが、応接室に入ってきた。
「ここの施設は、みんな障害のある方ばっかりなんですね。障害のある方って、嫌ですよね。変なところで権利を主張して、私達のお陰で生かされていることを、全く気づいてない。」
と、小夜子さんは言った。
「まあ待て待て。そういう事をいうよりも、まず初めにお前さんがここへ来た、要件を話してくれ。それを、話してくれなければいくら怒っても全容はわからないぜ。」
杉ちゃんがそう言うと、
「全容を話してくれって、私がその全容を聞きたくてこの施設に来たんです。そのことなんて、あなた達のほうが知っているんではありませんか!」
と、小夜子さんは言うのだった。ジョチさんが、
「そのような事を言われても、僕たちは、知らないものは知りません。それに、あなたのお母さん、つまり和田秀子さんですが、その方が自殺したということも今知りました。」
と言ったのであるが、
「いいえ、知っているはずです!あなたたちが、母を自殺に追い込んだんでしょうから、答えはあなた方が知っているはずですよ。それくらいわからないのですか!」
小夜子さんは更に激して言うのであった。その口調がちょっと、正常ではなくて、精神疾患があるのだなとなんとなく感じさせる、言い方だった。
「あなたは、なにか精神疾患で治療を受けていますか?」
ジョチさんは、そうきくと、
「母から何も聞いていませんか!」
小夜子さんはいう。
「まず落ち着きましょう。小夜子さん。あなたがお母さんの事を思っているのはよくわかります。それなら、まず初めにご自身の気持ちを落ち着けて、きちんと話ができる状態になってから、話をしてください。」
と、水穂さんが、小夜子さんをなだめた。それで小夜子さんは、すみませんと言って、肩で大きな息をした。それがなんだかとても苦しそうで、もうちょっと、呼吸の訓練を受けたほうがいいのではないかと思われる印象を与えた。三回それを繰り返して、
「すみません。やっと落ち着きました。」
と小夜子さんは言った。
「わかりました。とにかく、和田秀子さんには、娘さんがいたことと、その人があなたである、和田小夜子さんだったこともわかりました。別の姓を名乗っているということは、ご結婚なさったですね?」
ジョチさんがそう言うと、
「はい。一年前に、父の計らいで、結婚しました。相手は同じように社会福祉法人を経営されている方です。」
と小夜子さんは言った。
「なるほど、それでは峯岸さん、いや和田さんと言ったほうがいいのかな。それでは、なぜ今日はこちらへ乗り込んで来たんですか?先程お母様の、和田秀子さんが自殺なさったとおっしゃいましたが、新聞の故人名簿にも登録されておらず、僕たちは全く知りませんでした。それはごめんなさい。」
と、水穂さんが言った。そう言って頭を下げると、彼女は、やっと納得してくれたようで大きなため息をついた。
「お母様は本当に、自殺だったのですか?まず初めに、なくなったときの状況を説明していただけますでしょうか?」
ジョチさんが静かに聞くと、
「はい。母は、私が買い物から帰ってきたときに死んでいました。私が帰ってきたとき、居間のカーテンレールで首をつって死んでいたんです。」
と彼女は答えた。
「遺書などはあったのか?」
と、杉ちゃんが聞くと、
「はい。ありませんでした。でも、警察は、自殺と判断しました。誰も家にはいなかったので、私も父も、母を殺害することもできなかったわけですし。母が、一人になったときに自殺したのではないかと言われました。」
と、小夜子さんは答える。
「でもなんで、母が自殺しなければならなかったのでしょうか!私の母は、たしかに器用な人ではありませんでした。だけど、私に対する愛情や、そういうものは、人一倍持っていたと思います。だから、絶対自殺することは無いんです。そんな母がどうして自殺しなければならないのか。私はどうしてもわかりません。それなら、こちらでなにか言い含められたとしか思えないのです。あなた方は母に何を言い含めたんですか!」
「言い含めるなんてとんでもない。僕たちはそんな力はありませんよ。それにお母様は、うつ病に罹患されていましたね。そういうことなら、本人の意志がなくても、病気によって、衝動的に自殺をしてしまうことは、十分ありえます。」
ジョチさんがそういうことを言ったのであるが、
「ひどいこといいますね!そうやって偉い人は責任逃れを装おうとするんだ!私はどうしても納得できません!なんで母が自殺をしなければならなかったのですか!その理由を教えてください。確かに私達は、一生懸命母を看病しました。多少傷つくことを発言したこともありましたが、翌日には、ちゃんと話していたし、私達が原因であったわけでは無いと思います!だから、どこか別の場所で、バカにされたりとか、変な事を言われたりとか、そういう事をされて自殺に至ったとしか思えないんです!母が一番頻繁に通っていたのは、こちらでした。だから、こちらで、なにか言われたとしか考えられないんです!」
峯岸小夜子さんは言った。
「そうかも知れないけどね、、、。僕らも、彼女、和田秀子さんに、ひどいことをいったとか、そういうことはしたことはありませんよ!」
杉ちゃんも負けじと言った。
「ええまず初めにそこははっきりさせて置きましょう。僕たちのもとへ最後に彼女がやってきたのは、12月の、31日であることもはっきりしています。その時の彼女の様子ですが、いつもと変わらず、彼女は編み物をしたり、本を読んだりして過ごしていました。そして、その日は大晦日ということもあり、16時で利用者たち全員を帰しました。その時も、和田さんは普段と代わりがありませんでした。」
とジョチさんがそう説明すると、
「そんなことありません!その日が最後の日だったら絶対その時に、母は誰かに言い含められたのです。それに、年が開けて、母はめっきりうつがひどくなり、おせち料理も喉を通らなかったと父から聞いていました。」
小夜子さんは、すぐに言った。
「では、そのときに、小夜子さんたちも、お母様の様子が変なので精神科に連絡を取ることはできなかったのですか?ああ最も、暮なので病院は開いてないですか。」
ジョチさんはちょっと考え込むように言った。
「それでも、基幹病院だったら空いているはずですけどね。それでは、お母様が亡くなったときの話を話してください。お母様はお買い物に行っていたときに亡くなられていたといいましたが、それでは本当に何も兆候のようなものはなかったのでしょうか?」
水穂さんは、優しく小夜子さんに言った。
「小夜子さん、正直に答えてください。あなたが、お母様が亡くなられた事を、認めたくない気持ちはわかりますが、でも、それでは本当のことにたどり着けないんですよ。それではいけないでしょう。推理小説ではないんですけど、真実は捏造できないんですよ。」
「そうかも知れませんが、母は本当に何もありませんでした。父も私もなくなるとは思いませんでした。死にたいと漏らしたこともなかったし、たしかに鬱で辛そうだったりご飯を食べなかったりすることもありましたが、そのような事をするなんて、、、。」
小夜子さんはワッと泣き出してしまった。水穂さんがそっと彼女の背をさすってあげた。
「まあ確かに人間は、この程度では死ぬまいというところで最期を迎えるというからな。」
と、杉ちゃんが言うと、
「それだからこそ、私は、母が言い含められたとしか思えなくて、、、。」
と小夜子さんは言った。どうやら筋を立てて話すことは難しいようだ。そういう性格というか、性質なのかもしれない。だけど一人で生活してくのは確かに難しいだろう。それでは結婚させられたというのも、なるほどなと思われた。
「それなら、仕方ありません、ちょっと、彼女のお父さんやご主人などにも伺ってみる必要がありそうですね。まあ彼女がそういう障害を持っているのであれば、それなら彼女がそれなりに生きて行くにはどうするかを考えるほうが早いでしょう。」
ジョチさんはそういったのであるが、
「そんな事言ったって、母を自殺に追い込んだのは、あなた達じゃないですか!それはあなた達が一番わかっていることでしょう。大晦日の日に何があったのか。それも忘れているんじゃないでしょうね。それを忘れているんだったら、私は、福祉法人をやる資格は無いと思います。クライエント一人を、自殺に追い込んで、それを認めようとしないのですから!」
と、小夜子さんは言ったのであった。
「そうかも知れませんが、、、大晦日の日、何があったかなんて、、、。」
ジョチさんは、頭を悩ませていると、
「こんにちは、小久保です。あの、こちらに、峯岸小夜子さんという女性が来ていませんか?ご主人の話では、彼女は、こちらにこられて居ると話があったので、こさせていただきました。」
と、小久保哲哉さんの声が聞こえてきた。
「小久保さんだ。こんなとき、弁護士が、何しに来たんだ?」
杉ちゃんがそう言うと、
「とりあえず寒いですから、中にお入りください。」
と、ジョチさんが言った。小久保さんは、お邪魔しますと言って、製鉄所の応接室へ入ってきた。
「ああ、今日は寒いですねえ。御殿場は雪が降って、車で移動するのが大変でした。御殿場線も止まるかなと思ったのですが、止まらないで来てくれたので、ここへ来ることができたというわけです。」
と言いながら入ってきた小久保さんに、水穂さんが、急いで、小久保さんにお茶とお菓子を渡した。
「それでは、小久保さんが僕らに何のようだよ?」
と、小久保さんにいうと、
「はい。では単刀直入に申し上げます。実は、峯岸小夜子さん、あなたのお母さんであります和田秀子さんですが、実は、無くなる前に保険に加入していたことがわかりました。それで、今回和田秀子さんがおなくなりになったことで、小夜子さんに、お金が入ることになります。小夜子さん、それは知っていましたか?」
小久保さんは、峯岸小夜子さんに言った。
「そんな事、、、母が私にそんなお金を用意していたなんて何にも知りませんでした。」
小夜子さんはうろたえていた。
「小夜子さん、お母さんはあなたが激しやすい性格というか情緒障害があることを知っていて、それで就労が困難であることを知っていたんだと思います。それで生活に困らないようにあなたにお金を渡したかったのではないでしょうか。それで、お母さんは自ら命を絶った。違いますか?」
小久保さんがもう一度いうと、
「でもなんで今、なんでこのタイミングで、自殺をしてしまったのでしょうか。私はどうしてもそれがわかりません。私は、母と喧嘩はしましたが、それでも、実の親子ですから、一晩で忘れて、すぐ仲直りしました。それなのに自殺をしなければならなかったのでしょうか?」
小夜子さんはまだそれにこだわっているようである。
「そうですね。それはお辛いということは理解しています。ですが、お母さんは、いつまでも、あなたが悲しんでいるのを見ていたくないかもしれません。それでは、もう少し前向きにならないと行けないのではありませんか?」
ジョチさんが偉い人らしくそう言うと、
「理事長さん、彼女にはまだそれはできないでしょう。それなら、辛いなりに辛いと、言わせてあげましょう。そして、僕たちは、彼女を安心させてあげることを、目標にしましょう。」
と水穂さんが言った。
「あの、失礼ですが、こちらで、民間療法が行われていたということは、ありませんか?」
不意に小久保さんが言った。
「民間療法?例えば鍼とか、灸とかそういうものか?」
杉ちゃんがすぐに言うと、
「いいえ、もっとすごい治療があるって、和田秀子さんはそう言っておられました。それを娘の小夜子にも受けさせたいと私のところに相談に来たことがあります。」
と、小久保さんは話を続けた。
「治療って、何の治療だよ?」
杉ちゃんが言うと、
「ええ。御存知の通り、小夜子さんは、情緒障害があり、感情をうまく処理できないので、一般就労につくことは困難でしたね。それに、精神障害者手帳などにも該当しないと聞きました。生活保護を申請するにも、小夜子さんだけではできないと、秀子さんは、おっしゃっておられました。」
と小久保さんは続ける。杉ちゃんがもったいぶらないで本題に入ってくれと話すと、小久保さんはこういった。
「それでは結論から申しますが、秀子さんは、こちらの施設で催眠療法が行われていたのを目撃したそうです。それによって、クライエントさんが安定していったのも目撃しているそうです。そして更に重要なのが催眠療法はお金がかかるということも知ってしまったそうです。」
「ああ、そういえば、大晦日の日に天童先生が来たよな!ほら、確か、今年最後の施術だとか言ってさ。そうじゃなかったっけ?」
と、杉ちゃんが言った。でも他の二人は、天童先生がその日やってきたかどうか覚えていなかった。というのは、医者やセラピストが製鉄所を来訪することは、当たり前になりすぎていて、ジョチさんも水穂さんもいちいち記録しきれないという理由からである。
「そうだったそうだった。確か、暴れすぎて、大騒ぎしているやつを止めるとかで。ほら、そんなことがあっただろ。まあお前さんたちはあのあと起きた大地震のニュースで忘れちまっているだけなんだよ。あのときは、利用者さんたち大パニックで、困ってしまったもんな。はははは。」
杉ちゃんがそう言うので、みんなそう思うことにした。その次の日の元旦、大地震が起きてしまい、そこへ旅行に行った利用者の安否確認などで確かに製鉄所もパニック状態であったことは否めないからであった。
「そうですね。そういうことだと思います。お母様は小夜子さんにセラピーを受けてもらいたくて、その資金となる保険金が欲しくて自殺したんでしょうね。そう考えると、お母様の究極の愛情ではないかと思いませんか?」
ジョチさんがそう言うと、小夜子さんはそうだったんですか、、、と小さい声で言った。
「でもお前さんが原因だったとか、そう思ってはいけないぜ。お前さんがやることは、お母ちゃんの分までしっかり生きることだ。とりあえずだな、保険金は小久保さんを通して受け取って、それでお母ちゃんの望み通りに動いてみな。」
杉ちゃんが、そう言うと小夜子さんは小さな声でハイとだけ言った。
寒い風が製鉄所の外を吹き抜けていた。大変厳しい季節だが、愛情があれば人は生きていけるのかもしれない。
大晦日の出来事 増田朋美 @masubuchi4996
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