第5話
この頃のことは語るだけで本が一冊かけそうだ。今までのことがあっても、今までのことがあったからこそ、父と母からの拒絶は苦しかった。何よりも祖父母と疎遠になってしまった。
身体がようやく回復した後に、それは1年以上もかかってしまったが、子どもを連れて祖父母に会いに行ったのだが、父と母に会うことはなかった。
子どもが成長するに連れて、祖父母のもとに行ける機会も少なくなり、時々電話はするものの、だんだんと疎遠になっていった。その頃には、祖父母は父母について触れることはなくなった。
母方の祖父母の家に行ったとき、祖父母は2人ともまともに動ける状態ですらなかった。こんなにひどいのに放置している母に怒りを覚えた。公的支援を受けれるように手配したら、ようやく母が動いたようで、祖父母は老人ホームに入ったと連絡が来た。
祖父母とは自宅の電話と手紙でやり取りしていた。祖父母が老人ホームに入って私は連絡が取れなくなった。祖父が亡くなったと連絡をくれたのはいとこだった。葬儀が終わったという連絡だった。そのいとこからは、母が妹といとこたちだけで祖父母と会い、会食をしていたことも聞いていた。
祖母の葬儀が終わった連絡も、やっぱりいとこからもらった。ちなみにいとこからの連絡はメールで、私は学生のころからそのメールアドレスを変えておらず、父とも母とも妹ともやり取りをしていたアドレスである。
父方の祖父が亡くなったことは、父の姉から電話で連絡が来た。やっぱり事後連絡で、私は嫌われたのね、と思う。そこまで嫌われるようなことをしたのだろうかとも思うけれど。
父も母も妹も、分岐点は「結婚式に欠席する」と私が告げたときだと思っている。
けれど、本当の分岐点は父と母が離婚したときなのだ。
父と母の離婚は、私たち家族をバラバラに壊した。私たち家族だけでなく、私から祖父母とのつながりも奪った。母は私を父方の跡取りのようにあてがたけれど、私は結局そこに行きつくことはなかった。父方の家はそこで終わりだ。嫁である母を大事にしなかった結果なのだろう。父と母の結婚は、まごうことなき家と家の結婚だった。家と家とをつなぐ結婚が壊れたら、つながってなんかいられない。
父と母が離婚せず円満であったなら「姉が結婚式に行かない」というだけのことがこうも怒りを呼ばなかったはずだ。私の参列に思い入れがこうも重くのしかかることもなかっただろう。誰もそれには気がつかない。姉である私はなんて思いやりがないのだと、それぞれがそれぞれの思いで私を非難することで正当化している。
父と母の結婚が続いたなら、「妹ばかりずっとひいきしている」という指摘を言語化することもなく、それが当たり前の家族の形としてそのままでいたのだろう。
私はね、父と母の離婚でわかったよ。家族のどろどろとした胸の内や思惑が。人のせいにして自分を正当化し、似た者同士の親族の思考が。
私の中でずいぶんと言語化された認めたくない思考回路を暴かれたることが怖くて、もう私には近づけないのかもしれない。
母だけは幸せな別れだったのだろう。それ以外の身内が誰一人幸せな別れとは言えなくても。そのまま続けることもできなかったことはよくわかっている。なるべくしてそうなった、ただそれだけのこと。さようなら、私の家族たち。
父と母は知らない、父と母の離婚物語。 @branch-point
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