第4話

私が結婚するとき、私は母を呼ばなかった。その時には母は浮気相手と別の男性と結婚していたし、家と家の結婚とは言わないけれど、結納は父だけで行ったから。結婚式自体は、友人だけ呼ぶつもりの小さなもので、親でさえ呼ぶ期はなかったのだけれど、父も夫の家族もそうは思わなかったようで、招待状も出さないのに叔母たちも含めていくからと告げられた。父もそして妹も、当然母は来ないという認識だ。


母がもし「妹は連れていく。あんたは父方の祖父母の跡継ぎだから、父といなさい」と言わなかったなら、母がたとえ嘘でも、私を選んで連れていくと言っていたなら、私は母の方を結婚式に呼んだだろう。そのころ、母と連絡は取れてはいた。母は父から離れて饒舌に、そしてフレンドリーに絡むようになっていたけれど、私は心では一歩引いていた。

 

それから数年がたって、妹も結婚することになった。仲の良い妹ではなかったが、母が去った後は少しは話すようになった。妹に対して「母替わり」とまではいかないでも、あの険悪な離婚騒動中に家に寄り付かず、祖父母の願いも叶えられなかったという負い目もあった。だから、結婚式が決まって浮かれている妹のドレス選びやプラン選びなどの相談にメールや電話でだけれども、病気がちな小さいわが子をあやしながら長々時間を割いていた。


「結婚式に母を呼びたいんだよね」

妹からその言葉を聞いたとき、ああ、この子は親族のしがらみを知らないんだなと思った。

「母親を呼ぶのは当然だよね」

といい、相手方の家族も

「お母さんも呼べばいいじゃないかと言っているの」

と無邪気に言う。


私が母を結婚式に呼ぼうともしなかったことを知っていて、それを告げてくるのか。

深く息を吐いて、言いたくなかったが

「どこに座らせるの」

といった。

妹から明確な返事はなかったが友人席やこっそり参列するという選択肢はないらしい。相手方の家族にも話をしているのだ、親族として紹介する気だ。

「私は母と父を取り持つつもりはないよ」

私を挟んで親族席に座らせるつもりだったのだろうか。

あんなにどろどろと別れ、いまだに母に連絡を取っているとさえ告げられない父を取りなせというのか。

「自分で父に言えばいいじゃない」

母を結婚式に呼びたいだなんて、私に告げずに勝手にすればいい。

母を結婚式に呼びたいだなんて、父に言えばいい。

それができないから、私に告げてくるのだろう。それをわかっているのだろうか。

 

そんなある日、夫の転勤が決まった。妹の結婚式会場からはだいぶ離れることになる。引っ越しは結婚式の3か月前だ。引っ越ししたらすぐに飛行機を予約しなければと思った矢先だった。妊娠に気がついたのは引っ越しの数日前。体調は大丈夫だと思ったけれど、小さい子どもの世話をしながらの引っ越しの作業はハードでついに体調を壊してしまった。けれど、引っ越しはずらせない。

 

結構な無理をして移動したと思う。荷物が届くまでホテルで3泊する間、食事に出る以外はずっと部屋にいたのだが、思うようによくならない。新居についても動けない日が続いた。幼稚園の入園手続きもできず、結局その後半年も乳幼児と過ごすことにもなった。体調は、ゴールデンウィーク過ぎてもよくならず、途中で咳喘息のようになって肋骨を疲労骨折してしまうなどのトラブルもあった。

 

「結婚式に行くのは無理じゃない?」

「おなかの子の命の方が大事だよ」

私もそう思った。

結婚式場までは電車で1時間、飛行機で2時間半、そこから電車で1時間かかる。移動は丸1日かかる。それも体の弱い子どもを抱えてはいけない。

そのころ私はずっと寝込んでいて、寝ながら子どもの世話をするような状態だった。夫が朝ご飯を作り、買い物に行ってくれて、夕飯も作ってくれるような生活。夫だけ参列するのも気まずいというだけでなく、夫がいないことも不安だった。

 

私は妹に伝えた。

「体調が悪くて結婚式にはいけそうにない」

と。

妹は激怒した。

「結婚式があるのはわかっていたでしょう!?それなのに妊娠する方が悪いじゃん。」

私は子どもが欲しかったのでむしろ妊娠を喜んでいた。妊娠を喜ばれるどころかそんな風に言われるなんて。体調が悪くなったのは、妊娠初期に引っ越しが重なって、新しい土地でなかなか回復できないからだった。


「25年間、ありがとうございました」

妹から絶縁状が届いた。

それだけならまだよかった。

「おねえちゃんは祝う気がない」

と勝手に気持ちを決めつけて、母にも父にも妹は言ったのだった。


父からは電話口で出ると同時に怒鳴り出すような怒りの電話がかかってきた。

「参列しないとはどういうことだ!」

父は大激怒だ。事情を説明するも納得しない。

参列しないというだけであることないこと怒鳴られ、

「もう知らん!」

と電話が切れた。

母親が参列しないから、私には絶対に参列してほしかったのだろう。妹もはじめは同じ気持ちだったようだ。それは重々わかっていた。けれど、本当に体調は最悪で、私は出産後にひと月も入院することになるのはその時はわかるはずもなかった。

その後、何を言ってもダメで、それからずっと絶縁状態である。


母には「姉の母の扱いがひどい」とも告げている。

友人席に参列するとかこっそり参加するとか、言ってはいけないことを言って母を貶めたとさんざん言ったらしい。母は妹が頑張り屋で公平で正しいと思っているし、心優しい妹が訴えたことだからと私に非難しか向けなかった。

 

そのころにはもう、心もずたずたに疲れていて、母からの責め苦に耐えることはできなかった。いままでずっと母はこうだった、私だってつらかったと、母にもらしたら、母から返ってきたのは「もう連絡してこないで」だった。

 




 

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