第3話
通帳に振り込まれたのは600万だった。
そのお金が母の退職金で、母が子どもの学費にと渡したお金だと知っていた。そして、払う必要のないほど高額な慰謝料と養育費だということも。
父にだって過失があるのは知っていた。母が実家に戻ったのは、父が母を締め出したからだ。服も靴も持たせず、本当に身一つで。何度も何度も持ち物だけは取らせてくれと言ったけれど、母の持ち物は離婚しても戻ってこなかったと母方は証言している。離婚後に私が実家に帰ったとき、母の映っているアルバムもすべて処分されていた。
私は知っている。証言する機会さえないままだったけれど、母が父に殴られ、痛めつけられていたことも。私が大学に行く際に、私の部屋はベッドもそのまま残され、母がいつもそこで寝ていたことも。語られなくても、わかっている事実だってたくさんある。
だから、母だけが悪いのではなく、父だって相当に極悪だとも。父の執拗な嫌がらせを知っていても、私は父についた。父につくしかなかった。それは母が私にあてた手紙に書かれていたからだ。
「妹は連れていく。あんたは父方の祖父母の子だから、父といなさい」
優しさからかもしれなかった。でも、はっきりと母に捨てられたとわかった。母は妹だけを連れていきたかったらしいが、結局は父に阻まれた。
跡取りを産めと、母は父方の祖父母にずっと言われていた。私の次にできた子が女の子と思ったとき、母は思ったそうだ。「ざまあみろ」と。男の子なんか産んでやらない、そういってその後子どもを造る事を拒否した。妹はあてつけるように、めいいっぱい男の子っぽく育て、溺愛した。
「おねえちゃんだから」と母はよく言った。陽気な妹に対し、私は陰気だと言われた。妹はいつも大きな声で父母に言いつけ、私が説明すると、言い訳するなと言われた。妹は父母に抱かれて、見えないように「あっかんべー」をするのだ。
父にとっても母にとっても、妹は人の気持ちのわかる明るくていい子だった。姉に対しては違ったけれど、そんなことを知ろうとさえしなかった。
私は人の気持ちのわからない冷たい子だと言われた。妹は本当に父母の扱いがうまかった。母は「妹は父の扱いが上手」というが、母はうまく扱われている自覚はなかった。祖父母は私をいつも慰めてくれたけど、それでさえ母は気に入らなかった。
母にとって、妹だけを連れて行くのは当然のことだった。こっそり連れていくとか、仕方なく妹だけ連れていくとか、言い方があったはずなのに、妹の方が自宅から近い高校に通っていて連れだすことは困難だっただろうに、あえて、私に「妹だけ連れていく」というほどに盲目的に、そして私を親族への生贄にしても平気なくらいに、妹だけをそばに置きたがった。
母の妹に対する気持ちを私は痛いほど知っていた。父と暮らす妹の通帳は父に管理されている。母はたとえ妹の学費でも父にはそれ以上お金を渡したくなかった。それで妹のために、私の通帳に600万を振り込んだ。学費として、つまり妹に400万、私に200万で分けてくれと言って。
母からの600万が振り込まれた翌日、父から電話がかかってきた。父は理由を告げずに、私に直ちにキャッシュカードと印鑑と保険証を送るように言った。キャッシュカードは使わずに、すぐに送るように言った。お金が必要ならすぐ送るからと口添えて。詐欺か何かにでもあったのだろうかと心配するほどに。
通帳は父が持っている。訝しんだ私はそっと残高を記載した。残金は先日記載したより600万も増えていた。
父が母からのお金をすべておろそうとしていることはわかった。それは母が一番されたくなかったことだろうともわかっていた。私は迷った。これは、母が私に預けたお金だと知っていた。その一部は私にあてがわれたお金だとも。けれど、父が(その当時は)私や妹にお金を出すことをそう渋らないことも知っていたし、妹を引き留めている以上、妹の学費も父が払うと思っていた。薄っぺらい残高証明だけ大切にしまって、私は黙って父にカードと印鑑と保険証を差し出した。
父は、私にそのお金について説明することはなかった。「なんだったの?」と鎌をかけて聞いてもいいじゃないかと答えない。学費を払ってもらっている私は当然強くは出れない。でも、そのお金の出所を私は知っていたのだ。
妹に会ったとき、私はそのお金について知らせた。できる限り母を持ち上げた。母が退職金のほとんどを差し出したことも伝え、父から出してもらうお金は母からだと思うとよいと告げた。のちに、あんなにも持ち上げて一生懸命伝えなくてもよかったと思った。もともと財布代わりだったのに、妹は輪をかけて父になんでもせびるようになった。妹は大学に入るとちゃっかりバイクも車も買ってもらった。私は買ってもらっていない。毎週のように服も買ってもらい、帰るたびに3袋も4袋も姉に「おさがり」の服を差し出した。大学に通うために借りた家も、私の賃貸より2万近く高かった。
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