待ちぼうけ
@ajisai_24
待ちぼうけ
ある日の夕暮れ。何も変わらない小さな橋の上にその男がいた。
その男は黒かったという。そこを通り過ぎても何も起こらない。
小学校の教室はいつも騒がしい。特に5年2組のクラスは馬鹿が多かった。
それも昼休みとなればなおさら。
不幸にも今日は雨だ。余った元気を全開に消費しようと馬鹿な奴らが馬鹿みたいにはしゃいでいる。うるさい。
俺は教室の窓側の後ろで本を読んでいた。最近ハマっているホラー小説だ。好きな作家が突然に現代ファンタジーからホラーへとジャンルを変えた。初めは驚いたが現代ファンタジー作品も申し分なく面白いがホラー作品を読んだ時、俺は打ち震えた。ジャンルが違うはずなのに筆力は全く劣らず、むしろ主人公の心情描写や言葉による雰囲気作りが洗練されていて、あまりのリアルさに読んでいる自分までも恐怖で体がすくんでしまう。
そしてこの話が事実であることも驚いた。
自分が読んでいるのはそんな推し作家の続編だ。
机の上で静かに感動と恐怖を味わっていると前方から男が近づいてきた。
「ねぇ、何読んでんだよ。おい」
「ひぃっ!・・あ!ごめん何でもない」
本の世界に入り込みすぎて現実と混合していた。つい、声を出してしまった。
「そんな驚くことないだろ」
話しかけてきた男は俺の前の机の椅子に座って体を向けてきた。
「で、何?」
じっと見つめてくるのであたふたしながらも会話を試みる。
「何って、何読んでのって。聞こうとしたの」
「あ、そういう」
俺が答えないといけなかったのか。申し訳ないと心の中で反省する。
「ホラーだけど」
「ホラーか。俺は苦手だな。夜、眠れなくなるし」
「それは、俺もだな」
「じゃぁ、なんで読んでるの?」
「書いてる作家の作品が好きだから」
「他にも書いてる?」
「うん、有名だよ。例えば、落ちこぼれ剣士奇譚とか」
「あ、それ知ってるよ。一時期話題になったやつだ。ん?でもそれ現ファだろ。お前が読んでるのホラーなのに。ジャンル違うよな」
現ファは現代ファンタジーの略称。聞き慣れないがすぐに気づいた。
「うん。最近はホラー作品を多く書いてる。ある出来事がきっかけでホラーを書くようになったんだ」
「きっかけ?」
男は机にしがみつくように前のめりになって話を聞く体勢を取った。
教室では悲鳴のような男女複数の声が響き、まるで盛んな動物園に思えた。
そんな片隅に一握の静寂が生まれていた。男は静かに耳を傾けている。
そして俺は作家にまつわる、ある一説を持ち出して話をする。
作家、上野
ただ一つ武久には長年苦しめられてきた夢があった。
それは希望のような明るい意味の夢ではなく意識を手放した先に待つ悪夢だった。
夢は夕暮れの街を歩くシーンからスタートする。周りに人は一人もいない。生活音も車の姿も家々の輪郭すらどこかぼやけた街。ただ夢の中の自分と歩く道だけ妙にリアルに映し出される。夕暮れに照らされた黄金色の畑をひたすら歩き続ける。
ふと目の前に橋が現れる。10歩ほど歩けば渡れるような小さな小さな橋。僅かにアーチの掛かった橋の上にその男がいた。男だと判断したのはその人はあまりにも身長が大きく2mはあると直感で分かるくらいに巨人だったから。
男かどうかを迷う理由は何か?
それは男が真っ黒いシルエットのように靄がかかっていて顔も身なりも全てが黒かったからで判断材料は第一印象のみだった。
武久は夢の中で必ずその男の横を通り過ぎなくてはいけない。男はただ黄金色の景色を見ているかのように立ったままだった。理由は分からない。しかし、ただ通り過ぎるだけでその後、夢はプツンと途切れて目を覚ます。小学生の頃は怖くて眠るのが恐ろしかったが何度見ても何も起きない夢に慣れていった。
そんなある日。30歳の誕生日の日に武久はまたあの夢を見た。何も変わらないいつも通りの夢。夕暮れの街。辺りは静かで自分の周り以外は全てぼやけている。黄金色の夢。そしてあの男。
その日の夢は違った。
男は真っ黒な靄に包まれた手を振っていた。まるで久しぶりにあった友人のような気軽さで。それを見た武久はなぜか嬉しかった。武久はその出来事の変化に囚われ知らぬうちに夢の中で体を思い通りに動かせていたことに違和感を覚えなかった。
あまりにも夢が夢ではなかった。
小さな橋に武久が走っていく。黒い何かにまるで操られるように。なんの疑いもせずに。
そして男に近づいた武久は夢の中で初めて男と接触した。
近づくとしばらく静かに対峙する。
薄オレンジの日の光が二人の足を照らし影を伸ばす。
影がゆらっと大きく揺れた。
突如、男は武久の手を掴み橋の欄干に引っ張った。欄干に手を付けと言わんばかりに強引に手を誘導する。
それはまるで怒っているような、まして焦っているような鬼気迫る行動に感じた。
ここ30年間見てきた夢とは思えないあまりの男の豹変に武久は怖くて仕方がなかった。
その日の夢はなぜかすぐに醒めない、まさに悪夢だった。
すると黒い男は怒りの沸点がきたかのように突然、武久の頭を掴んできた。
ものすごい力で武久の頭が持ち上げる。夢だからか痛みは無い。
男の顔と同じ高さまで持ち上がると表情の分からない真っ黒な顔を武久の顔に近づけてきた。すると視界はだんだん暗くなり闇に呑まれていった。
黄金色だった景色は見えなくなる。
憎い、憎い、憎いと声が闇の中で響いた。
武久はそれが自分を持ち上げた男の声だと分かった。
そして初めて聞いたその男の声に戦慄した。
男の声がどこかで聞いたことのある声だったからだ。
それは父の声だった。
そう分かった途端に恐怖は懐かしさに変わり目頭が熱くなる。
父はさらに言葉を響かせた。恐ろしいほどに低く地獄の唸りのような負の感情が混ざった声で。
お前さえいなければ。お前が生まれなければ。憎い、殺してやりたい。死んでくれ。地獄に落ちろ。お前なんていらないんだ。
父の声は自分に向けられたものではないとすぐに理解した。きっと父自身への言葉。
そして武久は徐々に思い出していた。
この夢の中の景色は父が好きだった街。父が育った街の光景だ。自分も来たことがあった。
あぁ、ここにいたんだ。
そして武久は現実へと戻っていく。
この夢を機に二度と夢の父に会うことは無くなった。
俺が話を終えると男は考え込むように唸った後、何かを噛み締めるようにゆっくり言葉を紡いだ。
「不思議な話だな。でも、その父親の言葉ってきっとその武久ってやつも理解できないよな」
「どういうこと?」
「武久自身にじゃなくて、父親の自己嫌悪ってことだからさ」
「確かに。どういうことだったんだろう」
「てか、何でそれで現ファからホラーを書く話になるんだ?」
「それが・・・、その作家に父親はいないんだ。武久って人の父親は武久が生まれた直後に交通事故で亡くなっていたんだ」
「それって・・・」
「うん、本当は父親の声なんて覚えていないのが普通だ。でも武久は思い出したって。それで改めて本当の父親を調べていたらあることを知ってしまった」
「あること?」
「その父親は若くして亡くなったホラー作家で亡くなった日がデビューが正式に公表される一日前だったらしい」
「何だよそれ」
「武久は本当の父親がホラー作家だと知って、デビュー出来なかった父親の代わりに息子である自分が書かないとって思ったらしいよ」
少し深呼吸をして俺は話を続ける。
「夢で父親だと分かって、言葉を聞いた時に父親が抱えていた悩みを僅かでも
感じ取ったとしたら、理解したなら、いや、どう思うだろうね。想像の域を出ない話だ」
「重みになるか。希望になるか。はたまた消えない呪いになるかだろうな」
「え?」
男の口から思わぬ言葉が出たから面食らってしまった。
「死んだ人の声を聞くってさ。聞けないはずの声なわけで。しかもそれが会えないはずの父親なら嬉しいだろうけど。聞いたのは嫌な言葉だけで、己を責める言葉だったらどれほど複雑な気持ちだろうな」
「確かに、奇跡が悪夢だなんて」
「でも、武久って作家は結果的にホラーを書いて成功した。けどそれはやりたいこと、違うな。武久は強引な使命感で書かされていたら、さ」
「・・・・・・」
「呪われた作家かもな」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
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