仰ること、いちいち頷きながら拝読しました。
私にも頭が固いところがありますので、「言葉は生きている」を免罪符にして間違いを開き直るような真似をするのは好きじゃありません。
まずは正しく(正しさも変遷していくのが厄介ですが)使うという姿勢が基本だと思っています。
そもそも言葉は「コミュニケーションツール」ですから、同じ言葉で両者の解釈が違っていると、ツールとして成立しないと考えているからです。
でもその上で、小説は「芸術品」という側面もあると思います。
そうすると、言葉を使って行う表現の自由という余地が出てきます。
仰るように論文や記録分は、表現の解釈に幅が出ては困ってしまいますから正確性に重きを置くべきでしょうが、小説は必ずしもそうではありませんよね。
書籍でも、数ページに渡って同じ単語が繰り返されて(例えば「死ね死ね死ね死ね……」みたいに)主人公の心情を表していたり、一ページの中にある平仮名が渦のように印刷されていたりするものもありました。
昔の私は、割と真剣に眉を顰めましたけれど、最近はそれもまあアリかなと思うようになっています(笑)。
ものすごく定式にこだわる方もいらっしゃいますし、そうでない方もいる……という現状でいいと私は考えます。
小説の場合、記述の正確性を競うのじゃなくて「面白さ」が唯一の判断基準だと思うからです。
どれだけ正確に文章を綴ろうと、面白くない小説ではあんまり意味がないでしょう。
私の考えも、あくまで個人的なものですので、そんな考え方もあるんだぐらいに思ってくだされば幸いです。
作者からの返信
こんばんは。
コメントありがとうございます。
言葉は「コミュニケーションツール」——いわれてみれば、その通りなのです。なるほどと思いました。
必要程度に通じなければ、意味をなさないものになりますものね。
言葉や文章で自分の考えを伝えるのって、なかなか難しい作業です。その点、ほぼ統一された言語を主軸とするこの国は、非常に恵まれているのだと思います。
異国の言葉も本気で学ぼうと思えば、比較的楽に情報集められますし……
それを覚える能が充実しているかとなると別の話で……面白そうだとは思うけど、なかなか覚えられませんね💦
どうしても興味が向く方に流されてしまうので、自国のものでも知識が偏ってしまって、四苦八苦——気のままにつつくばかりで、全貌なんて全然見えてこないです。
ともあれ、なにげなく使っていますが、母国語の良さを活かせるようになりたいです。
でもって、やっぱり、わたしとしては自然な感じを出したいので、小説では普段使っている口語も反映させたいのです。それで思うままに主張してしまった次第です。
お粗末さまでした💦
それとひとつ。夏井さまに、おことわりしたいなと……うずうずしていたことがあります。
夏井氏さまの方で〝六花ちゃん〟という、かわいらしい女の子が出演しておりますが、この文字、手前も利用してまして💦
なんだか被ってしまうのって、とても気まずいし心苦しいのですが、このまま使ってゆきたいのです。
人名ではなく、極北付近の集落の名として、いま連載中の続編になる間章で、ちらと出てきます。
1400年ほど前に失われてしまっている集落という位置づけなのですが……。
ご気分、害してしまったら申し訳ないです🙇♀️
編集済
仰ることよくわかると思いながら読みました。
私も「子供」はいけないので「子ども」と書いてましたが、その後認められるようになったと聞きましたが、今更癖が直せない。「私達」などの「達」がいけないと知り「私たち」と書くようにしましたが、ワードが勝手に変換してしまったり、癖もありもうごっちゃになりつつあります。なにより、その時の気分もありますしね。
論文では統一しなきゃいけないけど、WEB小説だからいいかなと本当はいけないけど怠けています。(書籍化の時は、色々直してと指摘が入るようですが)
三点リーダーや、一字下げは公募の時にそれが基本だったので、それに沿って書くようになりました。気になる小説もありますし、それを指摘している方もいますが、WEB小説は規定がないからと、そういうものだと思うようにしています(ただすごく気になる小説もありますけど)
作者からの返信
コメント、ありがとうございます(うれしいです)。
「私達」や「子供」に関しては元の字があるので、キャラクターの年齢や個性の表し方として「あり」だったのではないでしょうか?
児童むけとか、ライトとか、アダルトとか、シニアむけ、学者むけなど、読み手の年齢層のはばというものがありますし……。
だから、受けいれられ易くあったのだと思います(すみません、自分が表現として、ありだと思っております/だめなのでしょうか?)。
「そうゆう」と「ゆう」に関しては、元の表記がなくて口語から始まっているので、なかなか受け入れ難いのかも知れないなぁ、とも考えるのです。
けっこう場当たり的な採択で「い」にするか「ゆ」にするかの定まりをつけかねる部分もありますし。
友人同士のメールやらなんやらのやり取りの影響からきちゃっているのかも知れないなぁとも。
距離がある相手には、かしこまった文面にもなりますが、気楽な者同士だと、くだけた口語文になりがちなので……。
さらには現実に、その音を表す文字がないわけでもない。
結果。
そこに表現として発音の違和感をおぼえれば、使いたくなる💦 ←どうしても嫌なら流れや表し方を変えればいいだけのことなのに、時には考えることを怠け、こだわってしまうのです。
詩では句読点の省略もありがちな現象で、web小説では、けっこう気のままの自由な表現も飛び交っていることですし……と。
三点リーダーに関して。
個人的なものなのでしょうけれども、
「…」が一呼吸の感覚で、「……」となると、なんとなく三拍くらいはありそうに感じられて、ひきが長すぎると思ったとき「、」でも「。」でもないなと思ってしまえば、不足打ちをしてしまいます。
ダッシュとの組み合わせも好きです。
みなさん(読んで下さる方)の長さの感覚はそれぞれだというのに「絶対ではないが、偶数打ちが望ましい」という認識の「絶対ではない」にすがってしまいます。
困ったものです(暗黙の了解、ルールをスルーしているのではないかとも思う)。
いずれにせよ、webでは肩の力を抜いて楽しく書くのが最良のような気がしている今日このごろ。
(程度は個人の気分と自由・任意にて/とことん追いつめられたら、もう、達観・韜晦するしかないレベルです(笑)
わたしとしては、ほどほど伝わる文章をめざして、気が向いたとき推敲を重ねるだけでも、いっぱいいっぱいなのです(見返すと必ずといっていいほど、どこかで、ひっかかります。直しても直しても、なかなか、おかしな部分がなくなりません)。
長くなりました。
わきまえが足りなくて申し訳ありません。
反応いただき、ありがとうございました(重ねてお礼を申し上げます/いたらぬまでも、かしこまってみました(*^_^*)🍀)。