第五十一話 天使の正体

「現世班に成功を知らせましょう」

 ダンテは、西村さんから通信機を受け取った。

「有江さんのスマホも貸してください」

 受け取ったスマホからSDカードを取り出すと、通信機にセットする。慣れた手つきだ。

 通信機で「Operazione riuscita」とタイプすると、ダンテは、送信キーを押した。

 送信後も、ダンテは他のキーを操作している。

「現世班の通信機と常時接続モードにしました。さあ、これで現世に帰れるはずです」

「どうやって帰るのですか」

 ダンテの力で現世に帰れるとも思えない。有江は、ダンテに尋ねた。

「神に、お願いします」

「お願い……ですか。神にしてみれば、簡単なことかもしれませんが、記憶を消されるかもしれませんよ」

「先ほど、有江さんの打ったメモを現世班に送信しましたので、私たちの記憶を消す意味はなくなりました。詳細にメモしてくれていた有江さんのおかげです」

「そんな長い文書も送れるのですか」

「テキストデータの容量は小さいんです。三十万字の文章でも一メガバイトにもなりません」

 西藤さんが、説明してくれた。


「神さまに頼むにも、第七の圏で受信した『Caution! God may send Lucifero into this world.』というメッセージが気になります」

「それは、私も考えていました。神がルチーフェロを現世に送る。つまり、厄介払いするのかもしれません。ルチーフェロがいない冥界は安定し、現世は支配されます。神がそこまでするとも思えないのですが、保険は掛けておきました」

「どんな保険なのですか」

 有江が尋ねるが、ダンテは話そうとしない。


「その前に、確かめたいことがあります」

 ダンテは、天使の方を向いた。


「天使さん、あなた、神ですよね」


 天使は、ダンテの指摘に驚いている。

「そんなこと、あるわけありませんよ。ぼくは、このとおり天使ですよ、畏れ多いな」

 天使は、腕を組んで寒さに震えながら、首を横に振った。

「そうですよ、こんな威厳のない神なんていませんよ。失礼な表現ですみません」

 有江の援護射撃に、構いませんと天使は答えた。


「神は、ときに狡猾で傲慢です」


 ダンテは、天使を見て言う。

「天使さんが、ミーノータウロスへの追及をさえぎり『コーキュートスが冷却されているか心配です』と言ったときに変だなと思いましたよ。冷却作戦が進行していると、知っているのかなと。まあ、簡単に推測できることなので、その場は、それ以上気にすることはありませんでしたが、おかしいですよね」

「そんな、また突拍子もないことを言う」

 天使は、ダンテの言葉を一蹴する。


「ケイローンに再会したときも、あなたがケンタウロス族に『魂たちに弓を射るな』と伝えた割には、話題にもならず変だなと思いました。別れ際にケイローンに聞いたところ、神が降臨して弓を射るなと告げられたと言っていました」

「僕の手柄にしたくて、つい嘘をついてしまいました。すみません」

 天使の言葉が、白状なのか、言い訳なのか、有江には判断できない。


「決定的だったのは、安納さんのことです。安納さんは、あなたと西藤さんが連れ去られた後に同行をお願いしたので、ふたりは誰なのか知らないはずです。でも、あなたは何も尋ねなかった」

「西藤さんも、尋ねませんでしたよ」

「やだな、天使さん。西藤さんは魂たちのひとりですよ。安納さんとも意識を共有できるのです。そうですよね、西藤さん」

「そうです、安納さんと会ってすぐに事情は理解しました。魂たちは、便利なんですよ」

「それは、ですね……」

 天使は、言葉に詰まっている。


「全知全能が、あだになりましたね」

 ダンテは、天使を指さして言う。


「そう、あなたが、神だ!」


 まるで何かの犯人のように扱われている天使が、笑い始める。

「さすがです。ダンテさん。私が神だと見破ったのも、コーキュートスの冷却も想像以上の出来栄えでしたよ」


 天使の正体は、神だった!


 神に対して散々失礼な言い方をした有江は、驚きを隠せない。

 ぼくは死んでいるから平気ですと、西藤さんが小声で話し掛けてきた。


「神がこの場にいるのなら、話は早い。私と有江さんを現世に帰してもらいましょう。西藤さん、この通信機を預けます」

「どうなるんでしょうね。また何もない場所で漂うことになるんでしょうが、通信機は使えるんでしょうか」

「試してみましょう」

 ダンテは、西藤さんに通信機を渡し、ふたりは固く握手を交わす。

「モフ狼も元気でね」

「うぉん」

 有江は、モフ狼を抱きしめた。


「ちょっと待ってください。勝手に別れの場面を演じていますが、私は『帰す』なんて一言も言っていませんからね」

 神らしくない意地悪さだ。

「そのための、保険です」

「どんな保険ですか」

 今回は、神が尋ねた。


「私たちが元の世界に帰れなかったり、ルチーフェロを現世に送り込もうとする動きを見せたりしたら、地獄圏の反乱を引き起こします」

 ダンテは、そらを指さした。

「ゲーリュオーンは、飛びながら様子を見ています」

「知っていますよ」

 神は驚く風もない。


「私たちに何かあれば、ゲーリュオーンは、ケイローンとアンタイオスに知らせを運ぶことになっています」

「ほう」

「知らせを受けたアンタイオスは、すぐに果汁の水路と重曹泉の水路を切り替えます」

「なるほど、熱湯を直接コーキュートスに注ぎ入れて、氷を溶かしルチーフェロを復活させるわけですね。しかし、この厚い氷を解かすのには時間が掛かりますよ。私は、溶ける前に余裕で彼を現世に送り込めるでしょう」

「神よ、話は最後まで聞いていただきたい」

 ダンテは、続きを話す。

「同時に、エピアルテースは渾身の力で身体を動かし、溶け始めた湖面を一気に砕きます。アンタイオスは、ニムロドたちの井戸に土砂を投げ入れ、彼らの足が地に着くようにします。ケンタウルスたちは、天国から来る天使や神に容赦なく矢を向けるでしょう」


「なるほど」

 天使の姿をした神は、考えている。

「わかりました。その程度の対策は、私からすれば保険にもならない些細なことなのですが……」

 神は、頭をかきながら言う。

「ここまで、私に話すということは、さらなる策があるのでしょうね。やはり、ダンテさんを敵に回すと面倒なようです」

 ふたりを元の世界に戻しましょうと、神は約束した。


 有江は、ダンテの顔を見た。

 ダンテは、神をまっすぐ見ている。その顔は自信に満ちているが、きっと、それ以上の策などないのだろう。


「栃辺さんは、いつの日本に戻ります? 五月二十二日の月見岩で消えた直後に戻りますか」

「神よ、その手には乗りません」

 ダンテは、口をはさむ。

「消えた直後に戻るということは、先ほど送信したメモが届いていない時点です。私たちの記憶を消して戻せば、今回の件は、なかったことになるのではないですか」

「わかりました。私も好きで記憶を消しているわけではないのですよ。正確に言うと、記憶が作られる前の本人を戻しているのですが……辻褄が合わなくなるので、仕方なくしているのです」

 神は、言い訳がましく言った。


「有江さんは、その通信機と接続されている時点の空間に帰してもらいます。もちろん記憶は、今のままにです」

「わかりました。そうしましょう」

 ダンテと神の話がまとまった。


「ダンテさんは、千十三年五月三十日の午後一時、ヴェローナのシニョーリ広場でよいですか」

 神は、ダンテに確認する。

「その前に、私が日本に行った理由を教えてもらえませんか」

 神は、またしても頭をかきながら答える。

「神は、悪魔ほど嘘はつきませんからね。正直に言いますよ」


 散々、嘘をついてきた神が口を開く。

「ダンテさんは、冥界にとって、ちょっとじゃまかなと思うときがあるのですよ」


 場が、凍りついた。

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