第五十一話 歴史の作られ方
「冥界には、統治者である私がいて、私を補佐する天使たちがいます。それを邪魔する堕天使や悪魔たちもいます。そこに、ダンテさんが現世の立場でやってくるのです。現世の問題を解決しようと、冥界のバランスを崩すのです」
神は、眉間にしわを寄せて話す。
「たしかに、ルチーフェロが現世に送り込んだ病原菌やウィルスがそもそもの原因なのですが、それをダンテさんは正そうとする。歴史を変えようとする。いや、変えてきた」
「なぜ、私は未来のパンデミックがわかるのですか。ルチーフェロが都度、知らせてくれるわけでもないでしょう」
「原因は、温暖化です」
ダンテも、西藤さんも、有江も、もちろんモフ狼も、神が何を言っているのか理解できなかった。
「千三百年に、ダンテさんが冥界に現れ天国にたどり着いたとき、私は二千二十五年からの劇的な温暖化の影響を伝えたのです。ダンテさんは、現世と冥界の危機を放っておけなかった。様子を見るために未来の現世に行かせてほしいと言ってきたのです」
「そのとおりにしたんですか」
西藤さんは、神に対して呆れたような口調で尋ねた。
「そうです。この冥界を踏破できた人間ならば、温暖化阻止を託せるのではないかと考えたのです。ダンテさんは、現世での温暖化の進行具合を目の当たりにしました。それと同時に、現世でのパンデミックの歴史も知ったのです」
「ダンテさんは、様子を見終えて、冥界に戻ってきたのですね」
「そうです。そして、地球温暖化よりもパンデミックを問題視したのです。第八の圏、第十の
「私は、阻止した?」
「完璧にとはいきませんでしたが、ヨーロッパのほぼ全域が死に絶えた歴史を、半数の死者に抑えることはできました。ダンテさんは千三百四十七年に疫病を運搬する悪魔たちを、ミーノータウロスを従えて阻止したのです」
「ミーノータウロスは、ダンテさんを知っていたのですね」
「そうです。もう、よろしいですか」
神は、話を切り上げようとするが、ダンテはまだ納得していない。
「まだ、私が日本に行った理由を聞いていません」
「その後の、千六百六十三年からのペストの流行、千九百十八年からのスペイン風邪の流行も、ダンテさんは阻止したのです。しかし、歴史を変えすぎた。これ以上、変えてはパターンが多くなりすぎて、我々神も管理しきれないのです」
「パターンが多くなる?」
有江は、必死で神の話についていこうとする。
「私は冥界に住んでいるので、いつの時代にもアクセスできます。それぞれの時代は、連なって走り続ける貨車に積載されていると思ってください。貨車には、同じセットが作られ、同じ役者が、同じショーを演じています。ここまでは、わかりますか」
どうやら、有江にも理解できるように神は説明し始めたらしい。
「わかります」
有江は答えた。
「仮に二十一世紀から貨車A、B、C……と、記号を振っていきましょう。今、ダンテさんは、十四世紀を通過したばかりの貨車Hから、二十一世紀を通過した貨車Aに移り、その貨車Aが十七世紀を通過したときにペストの大流行があったことを知ります。ダンテさんは、十七世紀を通過している貨車Eに移り、ペストの流行を阻止します。しかし、貨車A・B・C・Dの十七世紀にペストが大流行した歴史は変わりません。変わるのは、貨車Eの歴史だけです。ここまでも、よろしい?」
「だいじょうぶです」
有江は、メモを取り始めた。
21 20 19 18 17 16 15 14
A B C D E F G H
× × × × ○ ? ? ?
「さらに、ダンテさんは貨車Aで聞いた二十世紀にスペイン風邪が流行したという情報に基づき、二十世紀を通過している貨車Bに移って流行を阻止します」
21 20 19 18 17 16 15 14
A B C D E F G H
× × × × ○ ? ? ?
× ○ ? ? ? ? ? ?
「貨車は、走り続けていますので、先の時代へと進みます。貨車Bが二十一世紀となりました。ここで、貨車CやFの歴史が変わるかどうかは、貨車Iに乗るダンテさん+が、同じように行動するかによるのですが、人の行動原理はそう変わらないので、まあ同じになるのです。しかし、移った貨車Bの歴史では、スペイン風邪の流行は阻止されていて流行の事実はありませんので、ダンテさん+はペストの流行しか阻止しません」
21 20 19 18 17 16 15 14
B C D E F G H I
× × × ○ ○ ? ? ?
○ × ? ? ? ? ? ?
「さらに貨車は走り続け、十四世紀を通過する貨車Jのダンテさん++は、二十一世紀を通過する貨車Cに移ります。今度の貨車Cの歴史では、スペイン風邪の流行は阻止されていないので、ダンテさんは貨車Dの流行を阻止します」
21 20 19 18 17 16 15 14
C D E F G H I J
× × ○ ○ ○ ? ? ?
× ○ ? ? ? ? ? ?
「これを繰り返すと、結果的に、ペストの流行は四両ごと、スペイン風邪の流行は一両ごとになるのです。それぞれの時代で歴史が大きく違ってしまい、管理が難しいのですよ」
× × ○ ○ ○ ○ × ×
× ○ × ○ × ○ × ○
「だから、ダンテさんを元の時代に戻したのです」
まだ、日本にはたどり着かない。
「この例は、一世紀を一単位としていますが、実際には一プランク時間ごとに管理するのですから、それは大変なことなのです」
「一プランク時間……」
「現世に戻ったら、調べてください」
神は、話を続けた。
「ともかく、私は、ダンテさんを元のイタリアに戻したのですが、ここで大きな過ちを犯しました。記憶を残したままに戻してしまったのです。ダンテさんは、現世で『神曲』を書きつつ、パンデミックを阻止しようと冥界に戻るチャンスをうかがっていたのです」
「満月の夜に呪文を唱えて、戻ってきたのですか」
有江は当てにいったが、外れたようだ。
「もっと簡単に、現世に現れた悪魔と交渉し、一緒に冥界に戻ってきたのです」
簡単ではないだろうと思う。
「戻ってきたダンテさんは、二千十九年からのコロナ禍を阻止すると言ってきました。やめるよう何度もお願いしたのですが、聞く耳をまったく持ってくれません。私は、やむを得ず、何も記憶していない時点のダンテさんを適当な時間の適当な場所に戻したのです」
神は、さらりと説明するが、やっていることは相当にえげつない。
「そして、ルチーフェロを現世に送り込もうとしていた」
有江は断罪しようとするが、神ははぐらかした。
「すべてをお話ししました。では、それぞれの時代・場所に戻しましょう」
「私も、記憶がある私を戻していただきたい」
ダンテは、神に伝えた。
「いや、それは、できません」
神は、あわてて否定する。
「前回の過ちを繰り返すわけにはいきません。未来を知ったまま戻すと、歴史が変わってしまいます。前回は、ダンテさんに『神曲』を書かれてしまった程度で済んだのが、奇跡的だったのです」
「『程度』には引っ掛かりますが……記憶を持ったまま戻ることはできないのですか」
「今の記憶のままで戻りたいのなら、有江さんと同じ時代に戻るしかありません。記憶を消して十四世紀に戻るか、記憶を持って二十一世紀に戻るか、ダンテさんが決めてください」
神は、ダンテに告げた
「天使さん……いや、神さまは、後の時間からやってくる私たちにも同じように対応するのですか」
有江は、神から「時間の講義」を受けてから、気になっていた。
「こうしている間にも、ダンテさんと有江さんが、次々と冥界に来ていますからね。歴史のパターンを増やさないように、すべて私が対応していますよ」
「そんなことも、できるのですね」
「そんなことも、できるのですよ」
神もまた、唯一の存在であり、すべての存在でもあるようだ。
「ダンテさん、戻る先は決まりましたか」
神は、ダンテに尋ねた。
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