第38話 冥界での使命

 第三の環は、神や自然に対する暴力が罰せられるのだが、環の中には誰もいない。火の雨だけが降り注ぎ大地が燃えていた。

 神や自然に対する暴力は、現在でもセンシティブな内容だが、ダンテの時代では罪とされた。

「個人の趣味嗜好は自由であり、神や自然に背くことではないのですね」

 炎上してしまいそうだ。先を急ごう。


 岩場の陰に第八の圏行きゲーリュオーンが、横たわって待機している。

 ゲーリュオーンは、人間の顔はしているが、身体は赤や茶、緑の禍々まがまがしい模様の蛇である。獣のような前脚と大きな翼を持ち、尾は二股に分かれサソリのような毒針になっている。

 有江たちの方を向いた。

「まもなく、第八の圏に出発します。背中に乗ってお待ちください」

 意外とイケメン。

 前から、西藤さん、ダンテ、モフ狼を抱いた有江の順に乗る。


 全員が乗るとゲーリュオーンは、羽ばたき、飛び立ち、旋回しながら谷底へと降りていく。

 さらなる谷底への崖の際、第八の圏に降り立った。

 ダンテは「73」と送信する。


 第八の圏の内部は、さらに十の悪のふくろ「マレボルジェ」に分けられている。

 第一の嚢には、婦女を誘拐して売った者が、鬼から鞭打たれている。

 第二の嚢には、権力に媚びへつらった者が、糞尿に漬けられている。

 第三の嚢には、聖職を利用し蓄財した者が、逆さに埋められている。

 第四の嚢には、占いで人心を惑わした者が、頭を逆に捻られている。

 第五の嚢には、汚職を働いた者が、煮えたタールに漬けられている。

 第六の嚢には、偽善者が、金メッキの鉛のマントをまとい歩き続ける。

 第七の嚢には、盗みを働いた者が、蛇に嚙まれ燃えるのを繰り返す。

 第八の嚢には、謀略を働いた者が、炎の中で身を焼かれ続けている。

 第九の嚢には、分裂の元凶となった者が、身体を切り裂かれている。

 第十の嚢には、偽造を働いた者が、あらゆる疫病で身体を腐らせる。


「もう、お腹いっぱいです」

 すべての嚢を通り過ぎ、西藤さんが言った。

 それぞれの嚢は、それはむごいものだったが「神曲」以上のことが起こることもなく、この旅の目的を探る有江たちには、さほど興味を引くものではなかった。

 すべての嚢にゾンビが交じっていたり、第四の嚢に悪魔に憑りつかれた少女がいたり、第八の嚢に頭を燃やしながらオートバイに乗る骸骨がいたりしたが想定内だ。

「次は、第九の圏です。先に進むしかありません。頑張りましょう」

 自分に言い聞かせるように、ダンテは口にした。


 第九の圏は薄暗く、霧が濃く立ち込めている。

 一歩進むごとに、視界は失われていった。

 角笛つのぶえが、高らかに鳴り響く。

 その方向に目を凝らせば、彼方にそびえ立つ巨人族ギガンテスの影が見えた。


 巨人たちに近づくに連れ、霧は晴れていった。

 やがて、井戸に輪となり、上半身を突き出す五人の巨人たちが姿を現す。

 角笛が、けたたましく響き渡る。

 巨人たちは、下半身を井戸の内側に固定されていて動けないようだ。見慣れぬ訪問者に興味を示すが、すぐに視線を元に戻した。


 さらに進むと、首から下を鎖でぐるぐる巻きにされ、井戸に縛りつけられている巨人エピアルテースが姿を現す。身体を動かす度に、大地が揺れる。

 有江たちは、井戸端会議に交ぜてもらえぬ悲しき巨人の横も通り過ぎた。


 その先には、巨人アンタイオスが、縛られることなく自由な身でくつろいでいる。

 この先の崖を降りる際には、この巨人に助けてもらう手筈のはずだ。

 近づくと、巨人から「順番に降ろすので並んで待っていてください」と案内があった。


 西藤さんが、アンタイオスに掴まれ持ち上げられたとき、上空から声が聞こえる。

「西藤さん、待ってください。神さんからの伝言があります」

 第六の圏で追い返した天使が、戻ってきた。

「呼び止めてすみません。神さんに『また行ってこい』と言われて。急いだのですが、西藤さんたちの第八の圏を進むスピードが速くて……ようやく、追いつきましたよ」

 天使は着地し、息を切らせながら言った。

「どんな伝言ですか」

 有江は尋ねる。

「冥界の危機を救ってほしいとのことです」

 三人と一匹は、お互いの顔を順に見合わせた。


「冥界は、危機なのですか」

「そうです。しかも、西藤さんの世界の危機と強く関係しています」

 天使は、翼を畳み、傍らの岩に座り、額の汗を拭いながら言った。

「冥界を巡ってきて、お気づきになったことはありますか」

 天使は、試すように三人の顔を見る。

「はい、結論から先に言う」

 西藤さんは、天使に指を突きつける。


「そう怒らないでください。調子に乗ってすみません」

 神からの伝言を話し始めた。

「温暖化です」

「温暖化ですか」

 有江は、そのままを聞き返した。

「そうです。西藤さんの世界の温暖化が、冥界にも影響しているのです。神さんが言うには、次元が違うため物理的な接点は取りにくいけれど、光とか波動とか温度とかは、緩くつながっているそうです」

「冥界は、温暖化でどんな影響があるのですか」

 神ならば、天候ぐらい自由に操れるのではないか。


「冥界では、炎の罰が多いのですが、逆に凍える冷たさによる罰も、そこそこあるのです。本当は、第三の圏も寒々としたみぞれ混じりの空模様だったのですが、温暖化の影響で雨しか降りません。この第九の圏の氷も融け始めていて、凍りつき閉じ込められていた悪魔や悪霊が、緩んだ氷から抜け出すことが多くなっています。その辺を飛んでいると、普段見掛けない奴とすれ違って『あいつ脱走したんじゃね』と気づくことが多いのです」


「まずは、冥界での火の使用を止めたらどうですか」

 西藤さんが指摘する。

「冥界でのシステムは、ちょっと複雑で『火炙りの罰』を『氷結の罰』に変えようとすると『火炙りの罰』はなかったことになるんです。時間を超越している世界なので、いつまでが『火炙り』で、いつからが『氷結』と定まらないのです。わかります?」

 全員が、ポカンとしている。

「そうですね……西藤さんの世界のことで例えると、表計算ソフトは保存しない限り、前のデータがファイルに残っていますが、データベースソフトは、すぐ変更が反映されてしまう、その違いと言えばわかりますかね。マーキュリーに仕えたことがあるので詳しいのです」

 自慢げに説明する天使の言葉に、なんとなくわかると西藤さんは答えた。残りのふたりと一匹はポカンとしている。


「冥界のシステムは、そうそう変更できないのですよ。とにかく、このまま温暖化が進めば、たいへんなことになるのです」

「どう、たいへんなのですか」

 有江が尋ねると、天使は背筋を伸ばし言った。


「ルチーフェロの復活です」

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