第三十六話 冥界からの戻り方(現世)
「何かできることはないのですか」
愛永は、今の状況に不満を漏らした。
公益財団法人日本宗教調世会が、警察機構にも影響力を持つ強大な組織であることには驚いた。
月見岩からの移動に、航空自衛隊の救助ヘリを使ったのにも驚いた。
調世会の事務所が、表示のない地下三階に隠されていたのにも驚いた。
量子もつれを応用した通信機器を開発していたことにも驚いた。
しかし、今はダンテからの通信を待つのみで、何もすることがないことに驚いている。
「丸一日『2』から『5』までの数字を受信しただけで、何もできてないのですよ」
常磐道、神楽、船越川、下根田、仁廷戸の五人だけが、厳重にセキュリティ対策されているこの部屋にいる。外から入ることはできないが、中から出ることもできない。
外部との接触はなく、月見岩に置いてきたザック一式が運び込まれたときと、船越川が食料品を買い出しに行くときだけ、事務所のドアが開かれた。
ここに連れられてから、愛永と陽人にも通路奥の部屋が割り当てられた。常磐道から休むようにと言われたが、待っているこの間にも、ダンテや有江の身に何かあるのではないかと心配で横になれない。
陽人も同じ思いなのだろう。持ち込まれたパソコンを一般回線に接続し、地獄関連の情報を休むことなく集めている。
時計の針は、二時を指している。おそらく五月二十四日の午前二時なのだろう。時計とネット情報がなければ、時間の感覚を維持するのも難しい。
「そうだね、僕も通信記録を解析しているだけで、一向に先に進んでいる感じはしないからね。常磐道さん、何かできることないの?」
神楽も同意する。
「数字だけの受信は、状況に変化がないということです。危機に陥ってはいないが、進展があったわけでもない。単に第五圏までたどり着いたということですね」
常磐道もこれといってやるべきことは、思い当たらないようだ。
「神楽部長、分析データに変化はありましたか」
船越川だけが、コンピュータを操作し忙しそうだ。
「大気中の成分に大きな変化はないね。若干、二酸化炭素濃度が上がっているかな。成分、気温、湿度ともに異常なし。冥界でよくこうも厳密に環境を再現できるのか、不思議だよねえ」
画面を見ながら報告する。
「通信環境は、相変わらず不安定だね。原因はまだわからず。がんばります」
神楽は、キーボードを打ち始めた。
「ダンテ先生や有江は、どうやって現世に戻ってくるのですか。冥界に行く方法がわかっているのならば、戻る方法もわかっているはずですよね」
誰もが思うであろう当然の質問だ。
「神に頼みます」
常磐道が答えた。
部屋が一瞬、静かになった。
「ふざけてますか」
愛永は、常磐道を見据える。
神楽は、キーボードをカチカチ叩きながら通信記録を解析しているが、常磐道をちらちら見ていて、楽しんでいる気配がありありとしている。
「いえ、大まじめですよ」
常磐道は、真顔で説明し始めた。
「今、映像を解析していますが、低次元から高次元の世界に行くためには、1.21ジゴワットのエネルギーが必要だと計算されています。現世が低次元で、冥界が高次元の世界ですね」
「『ジゴワット』って『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の台詞に出てくる単位じゃないですか」
映画好きの陽人が、すぐに気がついた。
「そうですが、ふざけているわけでは、ないのです。映画に敬意を表して使っているのです。世間では『ジゴワット』は『ギガワット』の言い間違いだと言われていますが、私たちは、まったく別の単位として使っています。一ジゴワットは十二億二百四十万ジュール、つまり、一・二一ジゴワットは約十五億ジュールのエネルギー量となります」
「逆算したとしか思えない数字ですね」
愛永の突っ込みに船渡川がフフッと笑う。
「このエネルギー量を空間の一点に滞留させることができれば、次元の壁に穴を開けられることがわかっています」
常磐道は、気にせず話を続けた。
「タイムマシンも原理は一緒なんだね。冥界と自由に行き来できるのであれば、冥界から戻る時空を過去にしたり、未来にすれば、いいだけじゃない。あらかじめプログラムしてコントロールできれば、タイムマシンになるのさ。デロリアンは、冥界を通って移動しているんだよ」
神楽はコンピュータを操作する手を止め、常磐道に助け舟を出した。
「次元の壁に穴を開けて、ふたりを救い出すのですね」
納得できる説明ではないが、そう答えるしかなかった。
「それが、そう簡単ではありません」
それさえも、違っていた。
「説明してください」
何もできないのであれば、これから必要になりそうなことは知っておきたい。どうせ、この部屋から出してもらえないのだから、他にやることもない。
常磐道は、ペットボトルを手に取り、水を口に含んだ。
「現世から冥界に行った者は、冥界から『今、私がいる現世』を特定することができません。冥界は時空を超越しているので『今』という概念がないのですね。こちらから次元の壁に穴を開けて合図を送っても、ダンテさんや栃辺さんにはわからない。時空を一望できる神の助けが必要なのです」
「今からでも、次元の壁に穴を開けておかないのですか」
一緒に話を聞いている陽人が尋ねた。
「現世に戻ることができるタイミングでないと、合図しても無駄になってしまいます。エネルギーを長時間滞留させる技術は、まだ、私たちにはないのです」
「通信機が直らないと、先に進まないということですね」
愛永は、神楽を見る。
「そう、ヘルフォンが直れば、交渉次第で神の力で戻してもらうこともできるからね」
神楽は、コンピュータを操作しながら答えた。
「簡単に説明しましたが、そういうことです」
常磐道の説明は、簡単ではないし、都合よすぎる。
愛永の考えを察したかのように、常磐道が付け加える。
「これは、なんの根拠もない中、危険な賭けでしかありません。今回は、ダンテさんは承知の上で、ダンテさんだけが冥界に行く計画だったのです。しかし、ダンテさんが気絶し、栃辺さんを巻き込んでしまう結果となってしまいました」
心配ですと常磐道は神妙な顔つきになる。
通信モニターに「6」の数字が映し出される。
「順調に圏を移動していますが、このままでは第九圏のコーキュートスまで行ってしまいそうですね。あるいは、煉獄に向かうのでしょうか」
モニターを見ながら、船越川が言った。
「ダンテさんが、この街にやってきたのは、神か悪魔かダンテさんの意思によるものです。何もせずに冥界に戻ったのですから、必ずやその理由は明らかにされるはずです」
常磐道は、不安げな表情を浮かべている。
「なぜ、そうまでしてダンテさんが現れた理由を調べなければならないのですか」
陽人が尋ねた。
「いい質問だね。ここ一年、冥界からの悪魔だったり、悪霊の出現が、極端に増え続けているんだよ。その都度、退治はしているけど、対症療法でしかないからね。出現が増えた原因は、冥界にあるはずなんだよ」
神楽は、そう言うと、映画「ゴースト・バスターズ」のテーマ曲を口ずさんだ。
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