冥界篇
第一章 冒険
第二十九話 冥界で解明
人生の道半ばを前に、正しき道を歩み続けるわたしが目を覚ましたとき、薄暗い森の中にいた。
「ダンテさん、だいじょうぶですか」
有江は、傍らに倒れているダンテに声を掛けた。
気がつくと、森の中に立っていた。
いや、これでは夢遊病者のようだ。
我に返ると、森の中に立っていた。
同じことだなと、有江は思った。
そこは、森の中だったが、鬱蒼としているわけではなく、広葉樹がまばらに茂り、明かりが差し込みほのかに明るい。
夜のようだが、月や星は見えず、空全体が発光しているようだ。
森の中を真っ直ぐ通る道の真ん中に有江は立っていた。道の先は、暗くて見えない。
ダンテの身体を揺り動かす。
「うっ、あ、有江さん……」
意識を取り戻した。
「光に包まれたとき、頭を殴られ気を失ってしまいました。常磐道さんたちは無事ですか」
ダンテは、後頭部をさすりながら起き上がる。
「部長や愛永さん、陽人さんの姿が見えません。ここは、月見岩ではないようです。わたしも光に包まれて、気がつくと、ここに立っていました」
やはり「気がつくと」が一番相応しい。
「もしや、ここは……いや、どうでしょう。呪文を唱えず、たどり着いたということでしょうか」
ダンテは、自問自答するように、つぶやく。
「呪文……ですか。呪文、唱えました」
「えっ、有江さんも知っていたのですか。常磐道さんに聞いていたのですか」
ダンテは、不思議そうに尋ねる。
有江には、何がどうなっているのか、さっぱりわからない。
「部長から……ですか? わたしは、光に包まれて意識が遠のく中、部長の『ダンテさん、呪文』という声が聞こえ、続けて、陽人さんの『有江さん、有江さん』と呼ぶ声と、愛永さんの『アリッペ、逃げて』と聞こえたので……」
「ああ、たしかに呪文に似ています。『有江さん、有江さん、アリッペ』ですか。それで『パペ・サタン、パペ・サタン、アレッペ』と口にしたのですね」
「そうです」
ダンテは、笑い出した。
「どういうことでしょう。説明してください」
有江は、すぐそばにベンチを見つける。
ベンチ?
道端にある木製のベンチにふたりは座った。
「知っていたのです」
ダンテは、説明する。
「私も、西藤さんも、常磐道さんも、月見岩で冥界へのゲートが開くことを知っていました」
「部長もですか」
「そうです。常磐道さんは、日本宗教調世会のメンバーです」
「でも、梶沢出版の編集部長ですよ」
「そこは、調世会と社長さんとで話がついているのでしょう」
「でも、なぜ梶沢出版に……」
有江は、愛永が言っていたことを思い出す。
「わたし……ですか」
「そうです。有江さんのことを見守るために、常磐道さんは梶沢出版に勤めているのです。調世会は、私たちが予想したとおり、時空を超越する世界、この冥界とのゲートを探していました。常磐道さんは、その中心的な立場だそうです」
「やはり、ここは冥界なのですね」
周囲を見回すが、冥界らしさは微塵も感じない。
もっとも、冥界らしさが何かは、わからない。
「順番に考えさせてください。わたしが小学生のときにキャンプ場から行方不明になったのは、冥界……ここに来ていたからなのですか」
「そうだと思います。少なくとも調世会はそう考え、それから有江さんを見守っていたそうです」
「ずっと部長が、ですか」
「小学生のころから可愛かったと、目を細めていましたよ。有江さんは、今までにも何度か冥界に来たことがあるそうです。その度に、第三者を巻き込まないようにしたり、事件が明るみに出ないようにしたりと、大変だったそうです」
「わたしは、何も憶えていませんが……秘密にしなければ、ならないのですか」
「国家機密ですから」
当たり前のように言う。
「常磐道さんは、有江さんを見守る中、当時、神社庁に勤めていた西藤さんが調べていた『地獄の門』の話を耳にして、彼を調整会に招き入れたそうです」
「六年前から調査していたのですね」
「それから、機密予算も大幅に増えたそうです」
「どこからお金が出ていたのかは、聞かないことにします」
話がいっきに壮大になり、半信半疑のまま聞いている。
「予算もついて、有江さんが再び冥界に行くときは、詳細なデータが得られる絶好の機会ですから、それまで以上に目が向くことになったのでしょう」
「わたしが、梶沢出版に就職内定したので常磐道部長が先に入社し、実家から出てアパートを借りたので西藤さんが近所に引っ越ししてきたのですね。西藤さんと立科町に行ったもうひとりの男性は、常磐道部長だったのですか」
「そのとおりです。こんなにも近くに尋ね人がいたとは、思いませんでした」
ダンテは、また笑った。
「わたしには、笑いごとではありません」
ダンテは、真顔に戻り、話を続ける。
「その後、西藤さんが身を挺して、満月が高度三十三度で南中するときに冥界への扉を開ける方法を見付けたのです」
「さきほどの呪文ですね」
「そう、調世会は、仮に冥界に意思を持った者が存在するとすれば、それは我々が『神』とか『悪魔』と呼ぶ存在であろうと、予想していたそうです」
「はあ」
「統治者である『神』は、我々が冥界に立ち入ることを、調和を乱すことだとして好ましく思わないだろうと、西藤さんは考えました。冥界に立ち入るためには『悪魔』『堕天使』といった負の存在から、承認を得るものだと推測したそうです。そこで、西藤さんは『神曲』第七歌冒頭の悪魔を賛辞する呪文に目をつけたのです。常磐道さんは、話を信じてやれなかったことが事故につながったと、悔やんでいましたよ」
「西藤さんは、ダンテさんの『神曲』にヒントがあると、考えていたのですか」
「実際、当たっていたのです。やはり『神曲』の情景は、実際のできごとだったのかもしれません」
「『神曲』は、世界中で数えきれないほど売られているのですよ。呪文を唱えると命を落とすなんて、危険すぎませんか。有害図書ですね」
ダンテは、濡れ衣ですと弁明する。
「条件が整ったときに呪文を唱えてゲートを開き、光に包まれたときにもう一度呪文を唱えてゲートを通過するのです。世界広しといえども、この条件を見つけて実際に試す人はいませんよ」
「呪文を唱える条件だとしても、小学生のわたしは『神曲』の『し』の字も知りませんでした。唱えようがありません」
「常磐道さんも、それに関しては謎のままだと言っていました。なぜでしょうね」
腕組みして考えている。
「西藤さんは、呪文を唱えても、生きたまま冥界に行けませんでした。場所が違っていたからなのでしょうか」
「それは、確信が持てないそうです。『月見岩』でなら行けたのか、特定の者しか行けないのか、試すのには危険過ぎますからね」
ダンテと有江は、お互いの顔を見た。
「わたしたちは、行けそうな人間だったのですね」
「そのとおりです」
「いつから、知っていたのですか」
ダンテを問い詰めるつもりはないが、厳しめの口調になる。
「常磐道さんから昼食を誘われたときに聞きました。できれば、有江さんを巻き込まずに進めたかったのですが、このような結果になってしまい、申し訳ないと思っています」
頭を掻きながら、ダンテが言い訳がましく言ったそのときだった。
背後から、グルルルと獣のうなり声が聞こえてきた。
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