第二十八話 冥界への門

 写真で見たとおり、広い斜面に三角の岩が突き出ている。

 乾徳山に登山し終え下山途中のふたりが、岩に登り記念写真を撮っていた。


 有江たちは、テントの設営場所を探すが、月見岩の周辺に平坦な場所はなく、各々が見つけた場所に、離れて設営するしかなかった。

 全員が月見岩より北側、斜面の上側に場所を決める。


 常磐道部長とダンテは、近い場所に並んで設営している。

 有江たちは、斜度の緩い場所を見つけ、足元を下に設営することにする。

「シートを押さえておいてください。ポールを通しますね」

「ペグを打ち込みますから、ロープを掛けてください」

 陽人の的確な指示もあり、一時間もかからずテントを張り終えた。


 今日の日の入りは、午後六時五十八分、まだ三時間ある。部長とダンテ、陽人は、乾徳山登山に出発するという。二時間で往復できるそうだ。

 愛永と有江は、見張り番として月見岩に残った。


「今晩は、何が起きるんだろうね。何も起きなかったとき、がっかりするのかな」

 愛永は、月見岩に座り、ペットボトルを口にする。

「何も起きなくても、ここに来たことで、ダンテさんの今後を考えるきっかけには、なると思います」


 午後五時が過ぎ、ハイカーの姿も見えなくなった。

 風が斜面を吹き抜ける音しか聞こえなくなる。

 辺り一面が、冷えてきた。

 鹿が、遠くからこちらを見ている。人間慣れしているのだろう。

 まだ明るい空に、白い月が昇り始めた。


 午後六時前にダンテたちは、戻ってきた。

「いや、すごいですよ、岩場がこう垂直に、鎖があって、富士山が見えて」

 登山の様子を話す陽人は興奮していて、何を言っているのかわからない。

 部長が、様子を説明してくれた。


 日の入りの時間が過ぎ、暗くなり始めた。

 ダンテのテントに集まり、夕食の準備をする。

 といっても、カップヌードルなので、お湯を沸かす程度で料理とも言えない。

 お湯が沸くのを待つ中、

「ハムエッグを作りましょう」

 陽人は、ザックから新聞紙に包んだ卵を人数分取り出した。

 登山までして、よく割れなかったものだ。


 ハムエッグは低温で料理した方が、黄身がきれいに仕上がる。屋外で使う携帯コンロ程度の火力がちょうどよいのかもしれない。

 有江は、陽人と手分けしてハムエッグを作った。


「山で食べるハムエッグも美味しいです。飲みたくなりました」

 ダンテは、ザックからウィスキーを取り出す。関連がわからない。

「コーヒーに垂らしますか」

 ドリップしている愛永が言った。


 周囲は、すっかり暗くなっている。

 街の灯りが斜面の先で光り、間接照明のように奥の山々を照らしている。

 富士山は、その山々の上、月に照らされ浮かび上がっている。


 月は、思った以上に高かった。


 時刻は午後八時三十分、二十時三十分になった。

 二十二時三十分に月見岩に集合することにし、時間まで各自のテントに戻ることにする。


 有江は、テントの中で寝転んで、今までのできごとを思い出す。

 ダンテが現れてから、今日まで。

 不思議なことばかり、続いた。

 いつから、ダンテの話を信じるようになったのだろう。

 ダンテが現れなかったら、陽人と話すこともなかったのだろう。

 不思議だ。

 アルコールの力もあって、有江はまどろんだ。


 スマホから流れる音楽で、目が覚めた。

 二十二時二十分になっている。

 外に出ると、月明かりの中、愛永がテントの外で伸びをしているのが見えた。

 ランタンの灯りが、揺れながら近づいてくる。

「ダンテさんたちは、先に月見岩に行ったようですよ。さあ、ぼくたちも行きましょう」

 陽人だった。

 三人で月見岩に向かった。

「坂になっているので、気をつけてくださいね」

 陽人が先頭になって進む。


 月見岩辺りで、灯りがふたつ揺れている。ダンテと部長なのだろう。

 その奥には、動物の眼が時折光っている。


 二十二時四十分、再び月見岩を見る。


 眼下に広がる甲州市と山梨市の街の灯りは明るいが、富士山の頭上をゆっくりと昇っていく満月は、それ以上に明るい。

 どんな不思議なことが起ころうとも、すべてを必然となす力を秘めた美しさだった。

 全員が、心奪われた。


 バサバサと飛び立つ鳥の羽音で我に返り、有江は時計を見る。

 あと三分で、月は南中する。

 月に吸い込まれるように進み、月見岩に足を掛けた。


 そのとき、常磐道が愛永と陽人の腕をつかみ、岩の下へとふたりを引き戻す。

「部長……」

「常磐道さん……」

「あなたたちは、行けません」

 常磐道がそう言った二十二時五十分、南中時間になる。


 突如、轟音が響き渡り、大地が、いや、空間が揺れる。

 満月から差し込む光が月見岩の斜面を滑り、ダンテと有江が足を掛ける岩の上に集まり球体となった。

 光の球は、みるみるうちに大きくなり、ふたりを包み込んでいく。

 震動が大きくなる。

 風が吹き荒れ、周囲の木々を震わし、石を巻き上げた。

 木片や石が周囲を飛び交う。


 木片のひとつが、ダンテに首筋に当たる。

 うっとうめき、ダンテが倒れた。

「ダンテ先生!」

 愛永が助けに駆け寄ろうとするが、常磐道に強く腕をつかまれ、動けない。


 ダンテは、動かない。

「呪文が……ダンテ先生、呪文です、もう一度、呪文!」

 常磐道が叫ぶ。

「有江さん! 有江さん!」

 陽人が呼ぶ。

「アリッペ、逃げて!」

 愛永も叫んだ。


 ダンテと有江は、完全に光に包まれた。

 ダンテは、倒れたままだ。

 有江の意識は、遠のき始める。

 光に包まれて、心が穏やかになっていく。

 家族や、陽人や愛永、今まで関わったすべての人に感謝しながら、もう目を閉じようと有江は思った。


「ダンテ……呪文……有江さん、有江さん……アリッペ……」

 有江の耳にみんなの声が、かすかに届く。


「パペ・サタン、パペ・サタン、アレッペ」

 無意識につぶやいた。


 その瞬間、光は消え、暗闇に包まれる。

 眼を閉じているのか、周囲が暗くなったのか、それさえもわからない。

 何も見えず、何も聞こえなかった。

 気を失ったのか、命を落としたのか。


「この展開、ずるいな」

 有江は、そう思った。

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