第二十五話 栃辺家の宴会
「さあ、愛永さんもどうぞ」
父、一行は、愛永のグラスにビールを注いだ。
自治会の集まりから戻っていた一行は、愛永とあいさつをした際に趣味のゴルフの話で盛り上がり、まだ日も残る五時半から飲み始めている。
ふたりは、アメリカ女子ゴルフの話題で盛り上がっていた。
「有江は、飲まないのか」
一行は、有江が車を運転してきていることを知っていて聞く。
「わたしが飲んだら、帰れなくなるから……」
「泊まっていけば、いいじゃないか。有江の部屋は空いたままだし、布団だって二組あるし」
ついに言わせてしまったと、有江は思った。
母、入乃も愛永も「そうよ、飲んじゃえば」と口を揃える。愛永の作戦どおりなのだろう。
銀河が、オードブルを運んできた。
「ありがとう。さあ、銀河くんも座って、グラスを持って乾杯しましょう」
愛永が仕切り始めている。
「乾杯!」
栃辺家が揃い、愛永と食卓を囲んだ。
テーブルの上には、寿司桶が中心に据えられ、その周囲をオードブルが固めている。
始めのうちは、ゴルフや、梶沢出版での仕事の話が中心だったが、酒がすすむにつれ、有江自身の話題になってきた。買った覚えのないサワーが次から次へと出てくる。
「有江さんは、普段はおっとりしているので、危ない人に絡まれたりしないか心配ですよ。誘拐されても自分は気がつかないくらい、おっとりしてるんじゃないですかね」
愛永は笑って話すが、これも作戦のうちなのだろう。
「そうなの。わたしに似ちゃって、ちょっと抜けているところがあるのよね」
母、入乃が言う。
それにしても、この居心地の悪さはなんなのか、有江はとても実家にいる気がしない。父も母も弟も、視線の先には愛永がいる。
「子どものころも、公園で目を離すと、知らない子と遊んでいたりして、警戒心がないのよね」
入乃は、懐かしむように目を細める。
「そう、そう、銀河とふたりで遊びに行っても、銀河の方がしっかりしていたからな」
一行も、追撃する。
「実際、誘拐されそうになったり、怪しい大人に声掛けられたりしたこともあったのですか」
愛永は、一気に核心を突いた質問をした。
「それは、なかったわね。目を離すといなくなることはよくあったけれど、ひとりで遊んでいたのよね」
入乃は、そう答えて饅頭を一口食べた。
その後も、有江の子どものころの話が続いたが、愛永が期待しているような情報は出てこなかった。
「五月二十二日に職場でキャンプに出掛けるんですよ。有江さんが迷子にならないように、私がしっかり監督しておきますね」
そう言って、愛永はこの話題を切り上げようとした。
「キャンプと言えば、あのときは大変だったよな」
一行が、思い出す。
「ええ、大騒ぎになりましたからね」
入乃が、同調する。
「おれも憶えているよ」
銀河も、話に加わる。
「また、その話しなの」
有江は、言った。
「なんの話ですか」
愛永は、尋ねた。
「有江が九歳の小学四年生のとき、家族でキャンプをしに日光に出掛けたのですよ。日中は、虫捕りをしたりして遊んで、夜はバーベキューをしました。有江も銀河も遊び疲れて、食事を済ませるとテントに入りゴロゴロしていました。私たちは後片付けをして、夜九時ごろテントを覗くと、銀河はすやすや寝ていたのですが、有江の姿がなかったのです」
「本当に、あの時はびっくりしたわ。サイトの周りを捜しても見当たらないから、管理人さんに連絡して、炊事場や水遊び場も捜して。それでも見つからなかったから、警察にも連絡して、地元の方も手伝ってくれてキャンプ場周辺も捜して。お父さんもお母さんも一晩中捜したの。夜が明けて、銀河がテントの前に立っている有江を見つけたのよね」
「そうそう、目を覚まして外に出たら、姉ちゃんが立っていたの。おれが『姉ちゃん』と声を掛けたら、そのとき目が覚めたように気がついてさ『おはよう』と立ったまま言ったんだよね。今でも、よく憶えているよ」
「また、その話しするかな、もう」
「有江さんは、ひと晩どこにいたのですか」
愛永は、レモンサワーを飲み干してから尋ねた。
「それがね、有江は『覚えていない』って言うのよ。わたしたちは、どこかに隠れていたと思っているのだけれど、当時も今になっても『覚えてない』って言うの」
「本当に覚えてないんだもの、仕方ないじゃない」
有江は、口をとがらせる。
「その晩は、満月でしたか」
「さあ、どうだったかな。懐中電灯を持って捜していたけれど……茂みの奥も捜しやすかったから、月明かりはあったのかな」
一行も入乃も、満月だったかどうかまでは、もちろん、憶えていないようだ。
その後も、愛永の武勇伝の披露を含めて場は盛り上がり、スナック菓子を食べながら酒もすすんだのだが、その内容は、ここで書くには相応しいものばかりではないので、差し控えておこう。
「有江の部屋に布団を出しておきますから、愛永さんは、その間にシャワーでも浴びてください」
入乃は、みなが酔いつぶれる前にかろうじてお開きにした。
「だから、アーリエは、おっとりしていると言われるんだよ」
パジャマに着替えた愛永が、グレープフルーツサワーの缶を開けながら言った。
「常磐道部長がさ、前に聞いたじゃん『キャンプや登山で嫌な思いしなかったか』って、『出張に気乗りしないことないか』って。部長は、ひと晩行方不明になったことを知っていて、聞いたのかもよ」
「えー、たまたまじゃないですか」
まだ飲もうとする愛永を放って、先に寝ようとした有江が渋々答える。
「ほら、それがおっとりしている証拠だよ。これ、見てよ」
愛永は、スマホを取り出した。有江は、もう寝させてよと思いながら愛永の隣に行って画面をのぞく。
画面には、今朝借りた車の写真が表示されている。
「傷でもありましたか?」
「そう、レンタカーは乗り込む前に傷があったかどうか、写真に残しておくことが鉄則よね。これも、これも、これも」
愛永は、車両の写真を次々と表示する。最後の写真は、レンタカー店の入り口に向けた写真だった。
「この金網越し、道路の反対側に停まっている車があるでしょ、覚えておいて」
写真には、見にくいが黒のセダンタイプの車が写り込んでいる。
「これが、スーパーマーケットの駐車場での写真ね」
愛永は、スマホを有江に手渡した。きっと、同じ黒のセダンが停まっているのを見せたいのだろうと察し、有江は探す。
「これって、朝の黒い車と一緒ですか」
有江は、それらしい車を見つけて愛永に指し示した。
「あっ、ホントだ。小さすぎて見えないけれど、同じ車かもね」
――えっ、知らなかったの。もう、寝させてよ。
「これが、ここの庭から、来た方向を撮った写真ね。この車、朝の車と似ていない?」
愛永は、スマホを有江に手渡して、洗面所に立った。
有江は、まじまじと写真を見る。
道の先に路上駐車している黒い車が写っている。拡大してもナンバーはわからないが、たしかにこの車は怪しい。さすがの有江も、これは気になる。
愛永が戻ってきた。
「これは似ています。この辺りは路上駐車が少ないので、余計に目立ちます」
とたんに不安になった有江は、愛永に尋ねる。
「わたしたちは、尾行されていたのですか」
「そうかもね。おやすみ」
無責任にも、愛永はさっさと布団の中にもぐりこんだ。
愛永の説が正しいとすれば、自分は、監視されているのだろうか、狙われているのだろうか、守られているのだろうか、有江は考え、不安に駆られながら眠りについた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます