第二十四話 有江の帰省

 連休の前半、有江は、埼玉県朝霞市の実家に帰ることにした。

 近いと、いつでも帰れると思って、なかなか帰るきっかけがつかめない。思い返すと、今年の正月以来、実家に帰っていないことに気がついた。

 もっとも、わざわざ連休中の混んでいるときに帰ることもないのだが、今回は事情が違う。


「弟さんは、大学に通っているの?」

 助手席に座る愛永が尋ねる。

「実家から都内の大学に通っています。今日は、実家に帰ると伝えてあるのでいると思いますよ」

 愛永は、有江の家族に会いたいと、月曜日から毎日のように話していた。ついに根負けした有江は、連休初日の金曜日に愛永を連れて実家に帰ることにしたのだ。


 四月の後半にしては、うだるような暑さの中、レンタカーを走らせる。

 今日は、どこも混雑していてスピードも出せないだろうと、練習がてらに有江が運転している。

「無理言ってごめんね。どうしても、アリアリの秘密が知りたいんだよね。弟さんにも話聞こうかな」

 愛永は、調世会が有江のことを狙っていると信じて疑わない。いつから狙われていたのか、なぜ狙われるのか、両親や弟にそれとなく話を聞きたいそうだ。


 和光市に入り、国道二五四号を左折した。

「実家は、朝霞市北東の荒川沿いなので、もうしばらくかかります」

 有江は大きく息を吸った。地元の匂いがする。

「途中にスーパーマーケットがあったら、お土産買うから寄ってね」と愛永は言う。

「気をつかわなくてもいいですよ」との有江の言葉に、愛永は「たくさんご馳走してもらうのだから、気はつかうよ」と冗談半分に言った。


「常磐道部長は、今日のこと知っているのでしょうか」

 有江は、気になっていた。

「話していないから、気がついていないと思うけれど、部長が組織の人間なら、私たちは尾行されていても、おかしくはないわね」

 部長は、ダンテと出掛けた日以降もいつもと変わらず出勤し、いつもどおり油を売って定時に帰っている。とても怪しいとは思えないのだが、愛永は部長のことを怪しんでいる。調世会のことを「組織」呼ばわりしている。


「ダンテ先生は、さすがに誘わなかったのね」

「家族に説明しようがありませんよ。それに、ダンテさんは調査で忙しいようですよ」

 愛永は、ふうんと頷いた。


 車は朝霞市に入り、右折して城山通りを走る。程なく見えた看板の案内に従ってスーパーマーケットに立ち寄った。

 普段は一時間ほどで着く距離なのだが、今日は一時間二十分かかっている。車から降りた愛永は、ひと伸びすると「空がきれいだね」とスマホで周囲の写真を撮っている。

 スーパーにカートを押して入る。

 愛永は、箱入りの饅頭を土産に選ぶと、さらにオードブルやスナック菓子、缶ビールまでも入れ始める。

「愛永さん……の、飲むつもりですか」

「泊まれる?」

 聞いていない。

 どうりで、二日間の予定で車を借りているわけだ。


 市街地を抜けて、車は曲がりくねった道に入る。

 有江の実家が見えてきた。昔ながらの二階建ての建物だ。周囲は畑に囲まれ、隣近所からも離れている。

 実家の庭先に車を入れる。

 時刻は、午前十一時を回っていた。

 愛永は車から降りるなり、陽炎が揺れる街道沿いを「暑いよねえ」と言いながら写真におさめている。


 有江の母親、入乃いりのが家から出てくる。

「同じ会社でお世話になっている任廷戸愛永と申します。今日はお世話になります」

「ゆっくりしていってくださいね。冷たい飲み物を用意してありますから、どうぞ上がってください。ほんと、きれいな人ね」

 有江は、会社のこと、仕事のこと、愛永のことも家族によく話す。母、入乃も初めて会う気がしないのだろう。よそよそしさは感じられない。


銀河ぎんがも内心楽しみにしているみたいよ」

 銀河とは、四歳下の弟のことだ。愛永がアルコール類を買い込んだのも、弟が二十歳になったと話したからだろう。

「おじゃまします」

 愛永は、トランクから出したナップザックを背負い、ビニール袋を両手に、先に玄関に入っていった。

 愛永の後姿を見る有江は、あのナップザックはお泊りセットだったのかと、このとき気がついた。


「で、銀河くんは、ビール飲めるの?」

 有江が家に入ると、愛永と銀河が話をしていた。

「ええ、飲めます」

 長めの髪を明るい茶色に染めた銀河は、有江と同じように愛永のクールな美しさに気圧されている。銀河は、顔を赤くして答えていた。


 リビングに案内する。

 勝手口から先に戻っていた入乃が、冷えたコーラを運んできた。暑い中、喉は渇いているが、飲む気満々の愛永には必要なかったかもしれない。


「皆さんで召し上がってください」

 愛永は、土産の饅頭を差し出した。有江は、缶ビールを入れた袋を母親に手渡し、冷やしておいてと頼む。

「お饅頭つまみに、ビールが美味しいのよね」

 入乃は本気で言っている。筋金入りの甘党だ。


「お父さんは、自治会の集まりで公民館に行っているけど、夕方には戻るわよ」

 父親の「一行いっこう」は、地元の大手製造業で営業部長を務めている。平日は多忙を極めているが、かといって休日に身体を休めるわけでもなく、趣味のゴルフに、自治会の会合にと、いたってアクティブだ。若いころからフットワークが軽く、どんなに仕事が忙しくても、有江と銀河を遊びに連れていってくれた。


「お昼は、出前でも頼む?」

 入乃は有江に尋ねるが、愛永が遠慮する。

「有江さんと散歩しながら食べてきます。夕方戻りますので、一緒にお饅頭つまみにビール飲みましょう」

「それは楽しみね。気をつけていってらっしゃい。有江をよろしくお願いしますね」

 入乃もまた、愛永のとりこになったようだ。


 荒川の堤防を北に向かって歩いた。

 日差しは強いが、荒川から吹く風はさわやかだ。土手の新緑も涼しげに風に揺れている。

 子どものころ、よく段ボールをマットにして堤防を滑って遊んだ。有江は懐かしむ。

 愛永は、右に左と見回し、後ろを振り返り、写真を撮っては進んでいる。

長閑のどかだよね。こんな環境で育てば、アリモが穏やかなのもわかるわ」

 愛永がしみじみと言う。

 褒められたのか、からかわれたのか、わからない。


「あの建物は何?」

 愛永が、有江に尋ねる。

「流通倉庫だと思います」

「あそこの緑は?」

「調整池ですね」

 有江が眼下に広がる街を案内しながら、ふたりは歩いた。

 お昼もとうに過ぎ、午後一時近くになる。有江は、堤防を降りた先のイタリア料理店を案内し、ランチを食べた。とても美味しいピッツァだった。


 帰り道、公園のベンチで休む。

 小学生チームが元気いっぱいソフトボールをしている。赤いユニフォームのチームがヒットを放ち、応援の声が響き渡った。


「アリエルは、ダンテ先生が十四世紀のイタリアに戻れると思う? 私は、戻れればいいなとは思っているのだけれど、どこか、この騒動を楽しんでいるのよ。もちろん、悪いとは思うけど、ずっと騒いでいたい気持ちもあるんだな」

 愛永は、高く上がったフライを見ながら言った。

「わたしは、帰れる気がします。根拠はありませんが、そんな気がします。ただ……」

「ただ、何?」

「時間は、かかるのかなと……ダンテさんが現代の日本に現れた理由、目的はあるはずなので、帰れるのは、その目的を果たしてからになるのかなと思うのです」

「そうだね、そうかもねえ」

 愛永は、目を閉じて考え込んでいる。


「さあて、怪しい建物も見つからなかったから、そろそろ戻ろうか」

「そんなこと考えながら、散歩していたのですか」

 愛永は、組織のアジトを探していたのだ。愛永の執念に驚きを隠せない。


 実家に戻ると、父と冷えたビールが、ふたりを待っていた。

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