第二十七話 異世界間通信機

「お世話になりました」

「愛永さん、また来てくださいね」

 母、入乃と、弟、銀河が見送りに出てきた。父、一行は前々からの予定で早朝からゴルフに出掛けている。見送りができず、とても残念がっていたと入乃は話した。

 有江と愛永は車に乗り込み、実家を後にする。

 入乃は道路まで顔を出し、車が見えなくなるまで、手を振っていた。


 今日も有江が運転席に座っているが、ルームミラーやサイドミラーが気になり、昨日ほどリラックスして運転できない。後続の車が組織の車に思えてならなかった。

「気にしてもしなくても、ついてくるものはついてくるから、気にしない方がいいよ」

 有江の様子に気がついた愛永から、アドバイスらしくないアドバイスがある。

「しかし、来たかいがあったよね。アリボウは、時空を超越する世界に行ったことがあるかもしれないことが、わかったからね。間違いなく、調世会につけ狙われる理由だよね」

「そのときのことは何も覚えていないので、行ったとは限らないのですから、脅かさないでください」

 ダンテも同じようなことを言っていたなと、有江は思い出した。


 時刻は十二時になろうとしている。

 有江は、信号で車が止まっても、コンビニに寄っても周囲が気になった。

「どこかでお昼食べた後に、キャンプ用品買いにいこうか」

 愛永はコーヒーを飲みながら、総務部からもらったメモを見て、取引のあるスポーツ用品店をカーナビに登録した。


 車を走らせていると、愛永は牛丼が急に食べたくなったと言う。昨夜あれほど飲んで牛丼とは、女子ふたりで牛丼とは、有江にはすべてが魅力的に映る。

 牛丼のチェーン店に入る。

 思っていた以上に食欲があり、自分でも驚いた。


 スポーツ用品店は、有江の実家と会社の中ほどに位置している。

 十分ほどで着いた。

 スポーツ用品店の駐車場に必死の思いで車を入れた有江にとって、店内の涼しさがこの上なく心地よかった。


 総務部に言われていたとおり、サービスカウンターで社員証を呈示すると、商品を選べば売掛処理する手筈になっていた。

 ふたりは、アウトドア用品売り場に向かう。


 店内は広く、アイテム数も多い。全てを買い揃えたら、さすがに陽人も持ちきれないだろう。

「この四万円台のシュラフを買っちゃおうか。ミイラみたいになれて、よく眠れそうじゃん」

 愛永は、ブランド物のシュラフを手に取り、笑いながら有江を見る。

 たしかにダウンがこれでもかと詰められているような弾力で、心地よく眠れそうだ。

「いや、さすがにそれを五個買うのは怒られそうです。もっとお手軽なシュラフにしましょう」

 有江は、断腸の思いで断る。

「尾行しているのなら、これを買うことも知ることになるのだから、予算オーバー分は、組織がなんとかしてくれるんじゃない」

 もう滅茶苦茶な理論だ。

 有江は、愛永をなんとか説得して、八千円台の寝袋を買うことにした。シュラフカバーが在庫になかったのでパスし、シュラフマット、ランタン、ガスコンロ、クッカーと食器のセットをそれぞれ五組購入する。

 結構な嵩になり、結構な額にもなった。

 総務部に怒られないだろうか、組織になんとかして欲しいと有江も思った。


「テントとシートは、ネット通販で、どうでもいいメーカーのものを頼んでおくよ」

 愛永は、個人の支払いとなると、とたんにシビアに計算する。

 とは言え、GWセール中で割引されているので、経費払いとは別に、ふたりは、ザック、レインウェア、トレッキングウェアとシューズを買い揃える。

 サイズ合わせにトレッキングウェアを試着した愛永は、完璧な山ガールだ。有江は、惚れるんじゃないかと思った。

 個人的にも結構な金額になった。七月のボーナスで、なんとかなるだろうと有江は自分に言い聞かせる。


 会計を済ませ、会社への伝票を切ってもらい、荷物をレンタカーに詰め込む。

「このまま、会社に置いてきちゃおうか」

 少し回り道して、会社に向かうことにする。


 助手席の愛永は、ネット通販サイトでテントを物色しているようだ。少しの間、スマホを眺めていたかと思うと、ぷちぷちと操作して注文している。

「テントとシートは、会社に届くようにしておいたね。後で集金するから、よろしく」

 愛永は、何ごとにも決断が早い。有江は、羨ましく思う。


 道は空いていて、午後四時前には梶沢出版に着いた。

 有江と愛永は、両手に荷物を持って、エレベータに乗り込む。

 振動と共に着いた三階は、編集部に明かりが点いている。

「誰か出勤しているみたいですね」

 エレベータの振動音に気づいた誰かが出てきた。


「これは、任廷戸さんに栃辺さん、休日出勤ですか」

 常磐道部長が顔を出す。

「任廷戸さんに有江さん、こんにちは」

 続いて、ダンテが現れた。


 愛永は、非常災害用備品を買ってきたので、会社に置きにきたことを説明した。休みの日にお疲れさまですと部長が返す。

「部長とダンテさんこそ、お仕事ですか」

 さすがの有江も、ふたりの不自然な登場に違和感を持った。

「月見岩取材の打ち合わせです」

 部長が答えた後、ダンテが補足する。

「五月二十二日まであと三週間となりましたからね。月見岩から冥界への行き方や、冥界の様子、冥界に行った後の連絡手段などを決めていました。事前によく計画しておかないと、当日あわてますからね」


「その話は……ストーリー上の設定なのでしょうか」

 切れ者の愛永が、珍しく混乱している。

「言葉そのままです。月見岩取材の打ち合わせですね」

 微笑みながら、ダンテは答えた。


 聞きたいことは、大いに残っていたが、路上駐車したレンタカーも気になる。ふたりは、悶々としながら会社を出た。

「おかしいですよね、あのふたり」

 有江から話題にした。

「よくわからないよね。ダンテ先生は、部長に事実を話したのか、気づかれたのか。騙しているのか、騙されているのか。さっきの会話からでは、まるでわからない……」


「ダンテさんは、何かしら秘密を解明したのでしょうか」

「そうかも。今度、締めあげて聞き出さないとね」

 愛永は、真顔で言った。



「あれは、プロットどおりにロールプレイして、五月二十二日に向けて盛り上げていきましょうという、常磐道さんからの提案です。断る理由もありませんから、私もその気になって振る舞っていたのです」

 愛永が締めあげるまでもなく、ダンテは話した。

「ダンテ先生、本当ですか」

「おふたりに嘘をつく理由はありませんよ」

 疑う愛永に、ダンテは答える。

 連休明けの朝、打ち合わせ室にはダンテと愛永と有江の三人しかいない。


 ダンテは「神曲リノベーション・地獄篇」を書いている。

 ここのところ、さぼり気味なので、一気に巻き返したいそうだ。

 ダンテが執筆するテーブルの上には、パソコン、「神曲」の文庫本、国語辞書の三点セットのほかに、見慣れぬ機器が二台転がっている。

 それは、スマホほどの大きさだが、相当に分厚くて黒い。表面には計算機ほどの液晶の窓が付いている。一見するとすずりに見えるが、電源コードがつながっているので、硯でないとわかる。

「これ、なんですか。うっわ、重いですね」

 愛永は硯を手に持って、ダンテに尋ねた。

「それは、常磐道さんと考えた通信機です。数字とアルファベットだけですが、現世と冥界の間で、データ通信できるのです」


「設定したガジェットをわざわざ作ったのですか」

「常磐道さんが知り合いに造ってもらったそうです。結構、精密にできていて、本物っぽいですよ」

 ダンテが機械前面をスライドさせると、その下からキーボードが現れ、液晶部がかすかに光った。

「凝っているでしょ」


「おもしろそうですね。どんな仕組みで冥界と通信する設定なのですか」

「よくぞ聞いてくれました。以前、この世界からすると『わからない現象』が超越する世界の現れ、接点であり『量子もつれ』も、そのひとつではないかと言いました」

「覚えています」

「この『量子もつれ』は、簡単に説明すると、複数の粒子を相互に関連付け、つまり『もつれ』させると、その粒子は、離れていても状態が互いに影響を与える『非局所性』を備えるのです。離れた場所にあっても、一方の状態を観測すると、もう一方の状態が瞬時に決まるのです」

「空間を超越しているということですか」

 愛永が聞くと「そのとおりです」とダンテ。

「その性質を利用して、機器それぞれに格納した一対の量子を観測するのです。現世と冥界とでは電波も通じないでしょうから、この『量子もつれ』を利用して通信しようというわけです。この機器では、未知のノイズに備えて二組の量子を観測する仕様になっています」


「すごいです。実在してそうな説得力を感じます」

 有江は、言葉どおり感心する一方、ダンテは、元の世界に戻りたいのか、小説を書きたいのか、どちらを目指しているのか判断できなくなっていた。

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