第二十六話 調世会を訪れる

 都心に着いた。

 寿コインは、二か月前に一度着た場所なのだが、駅から徒歩十五分の場所を一度で覚えられるわけもなく、地図検索ソフトを頼りに歩く。

 今回は、有江ありえが先に店を見つけた。


 有江が、寿コインの「寿」から中を覗こうとすると、自動ドアが開いた。

 店主は、モスグリーンのジャケットを着てケースの奥に立っている。ニコニコ青年は、見当たらなかった。

「いらっしゃいませ。お電話いただいた栃辺さんですな。こちらにどうぞ」

 店主は有江たちを左手で招き、右手でケースの上にビロード敷きの盆を置いた。

「今日は、お芝居はないのですか。少し期待していましたよ」

 店主は、ダンテの服装を見て、冗談交じりに言った。

 ダンテは、ポケットからフィオリーノ金貨、グロッソ銀貨、デナロ銀貨の三枚を取り出す。

 コインは、それぞれケースに収められていた。

「これは、傷が付かなくなりますので、賢明な保存方法ですな。では、失礼してひとつずつ鑑定させていただきます」

 店主は、フィオリーノ金貨から順にコインケースを開け、拡大鏡に通していった。


「素晴らしいお品ですな」

 店主は、鑑定を終えると有江から買取申込書と免許証を預かり、奥の間に入る。前回と同額での買い取りだった。

 店主は、五分も経たずに戻ってきた。

「では、こちらをお納めください。残りのワンセットも、お売りの用がありましたら、ぜひ当店にお願いします」

 そう言って、店主は厚みのある白封筒を差し出した。


 一番近い銀行から全額を口座に速攻入金した。


「思っていたほど、時間がかかりませんでした。有江さん、どうです、行ってみませんか」

「えっ、どこにでしょうか」

「日本宗教調世会です」


 ダンテによると、近くのビルに事務所があるという。歩いて行ける場所だった。

「何度行っても、事務所は開いていないのですよね」

 有江は、以前ダンテが言っていたことを思い出した。

「最近は毎日行っていますので、今日で七回目ですね。ダメでもともと行きましょう」

 ダンテが道順を案内し、ふたりは歩いた。

「調世会が、同じことを調べているのであれば、協力できるかもしれないですからね。今は、ひとつでも多くの情報が欲しいときです」

 道は、住宅街に入り、車の通りも少なくなった。並んで下校する小学生の列とすれちがう。

「常磐道部長は『謎の組織は敵なのですか』とか『ゆくゆく血を流すことになるのでしょうか』と聞いてきますが、現実にはそう危険な団体は少ないですからね。このビルです」

 ダンテが指し示したビルは、梶沢出版が入るビルとは比べようもないほど、新しくスマートだった。

「この三階に事務所があります」

 ワンフロアにひとつのテナントしか入らないような細く高いビルだった。一階はアジア雑貨の店が看板を掲げ、二階にはヨガ教室が入っている。

 有江は、ダンテの後についてビルの奥からエレベータに乗った。

 振動もなく三階に着く。


 ドアが開き、驚いたのはダンテだった。

「明かりが点いています……今日は、誰かいますね」

 エレベータを降りてすぐのドアをノックする。

 ドアのパネルには「公益財団法人日本宗教調世会」と書かれている。

「どうぞお入りください」

 インターホンから女性の声が聞こえてきた。

 ダンテと有江は、おそるおそるドアを開け、室内に入る。

 正面に事務机がドアに向いて置いてあり、紺のスーツを着た四十代とおぼしき女性が座っている。

 その右側には、大きめの打ち合わせテーブルが置かれ、右の壁には社員スケジュールを書き込むホワイトボードが掛けられている。

 女性の後ろにも大きめの机が置かれているが、誰も座っていない。さらに奥は全面窓だが、ブラインドが閉められていた。女性の左側はパーテーションで仕切られている。

 室内には、女性ひとりだけのようだ。

「ご用件はなんでしょうか」

 女性は、眼鏡の位置を右手で直し、口を開く。

「こちらの会社に勤めていた方について、お尋ねしたいのですが……」

 有江が尋ねた。

西藤隆史さいとうたかしさんという方が、昨年の六月までこちらに勤められていたはずなのですが、間違いないでしょうか」

「申し訳ありません。個人情報に関することはお答えできないのです」

 当然のことだろうと、有江は思った。いきなり訪ねてきた人間に、社員情報を話してしまう方が怪しい組織なのだろう。


「失礼ながら、こちらの法人は、なにをされているのでしょう?」

 ダンテが尋ねる。

「それでしたら、お話しできます。この日本宗教調世会は、公益目的二十三事業のうち『十三 思想及び良心の自由、信教の自由又は表現の自由の尊重又は擁護を目的とする事業』に基づき設立された公益財団法人となります。定款に『信教の自由を尊重し、宗教文化が共有する課題を調査研究し、秩序ある社会の形成に寄与し、もって、世界平和の維持を目的とする』と定め、明治三十三年から公益法人として活動しております」

 女性は、淀みなく説明する。

「具体的には、どのような調査研究をされているのでしょう」

 ダンテが食い下がる。

「神道、仏教、キリスト教などの宗旨を越えて、宗教としての共通点……例えば、宗教施設の建築様式の相似であるとか、教義の共通性であるとかを調査しています。また、宗教に関わる課題……過去にあった『宗教戦争』や『異教徒弾圧』など、繰り返してはならない事件の原因分析と再発防止策の提言も行っております」

「死後の世界についての調査はされているのですか。例えば『地獄』とか」

 ダンテは、単刀直入に尋ねる。

「そうですね。死後の世界は、各宗旨の教義に共通してあらわされていますから、そのような調査もあるかと思います」

「地獄に行く方法とかも?」

「さあ、そこまで踏み込んだ調査がされているかは、どうでしょう。少なくとも最近の調査報告にはありませんね」

 女性は、笑いながら答えた。

 参考までにどうぞと、本来は有償配布の「令和五年調査報告書」に、名刺をはさんでダンテに渡す。

「お問い合わせの際は、こちらにお電話ください。この事務所が開いていない場合でも、九時から五時までの間は、私のところに転送されますので連絡がつくかと思います」


 有江とダンテは、女性に礼を言い事務所を出た。


「気がつきましたか」

 ビルを出るなり、ダンテが尋ねる。

「何をですか」

 有江に思いあたることはなかった。

「壁に掛かったホワイトボードに、職員スケジュールが書かれていました」

「ええ、西藤さんの名前の形跡を探しましたが、ありませんでした」

「ボードの職員名は、上から、天塔あまとう、大木、船越川ふなこしがわ、染谷、月島、成瀬、花野と書かれていました。どうです?」

「ダンテさん、よく覚えられますね。しかし、どうですって、なんです?」

 有江は、質問に質問で返す。

「三人目の船越川さんを除いては、五十音順になっているのですよ。大木さんと染谷さんの間には、もともと西藤さんの名前があって、後に船越川さんに書き替えられたのではないでしょうか。船越川さんが西藤さんの調査を引き継いでいるかもしれません」

「なるほど、船越川さんですか……」

 説としては面白いが、調世会の真相を探るには、あまりにも遠く、雲をつかむような話だと有江は思った。


「西藤さんが調世会に勤務していたことが確認できたところで、地獄の門との関連は確かめようがありませんよね。その船越川さんを見つけることも現実的ではないでしょうし」

 有江は、西藤さんについては、これ以上調べようがないなと思う。

「そうですね。事務員さんの説明も怪しいところはありませんでしたしね」

 ダンテも諦めムードになっている。


「ダンテさん、その調査報告書を見せてください」

 有江は、ダンテが差し出した調査報告書の目次を見るが、「死後の世界」や「地獄」に関する調査項目はなかった。ページをパラパラめくったとき、はさまれていた名刺が落ちる。

「公益財団法人日本宗教調世会 船越川ふなこしがわ 瑠理香るりか 電話……」


「ダンテさん、船越川さんを見つけました!」

 有江の脳裏に「人間、嘘をつくときには饒舌じょうぜつになる」という言葉が浮かんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る