第二章 多すぎる謎

第十四話 謎の発端

 定時前に、ダンテが有江ありえを呼び出した。


波風なみかぜ荘の安さの秘密がわかりました」

 有江は、隠していたわけじゃないと自分に言い聞かせる。

「一〇五号室は、心理的瑕疵物件だから安いそうです。去年の六月二日の晩、当時の住人だった西藤さいとうさんが遺体で見つかったそうです」

「不動産屋さんに聞いたのですか」

「いえ、下根田しもねだ巡査です。彼が、隣の山田さんの通報を受けて、一〇五号室を開けたそうです」

「その山田さんて、今もお隣なのですか」

「ええ、山田さんにも話を聞いたのですが、その日、山田さんは残業して十時過ぎに帰宅し、ちょうど自宅の鍵を開けようとしたとき、西藤さんの部屋から雷が落ちたような大きな音がして、爆発事故かと思い一一〇番したそうです。西藤さんの部屋は鍵が掛かっていて、爆発した形跡も、怪しい点もありませんでした。ただ、部屋には西藤さんが仰向けに倒れていました。そのときには西藤さんはすでに亡くなっていて、結局、死因は解らずじまいだそうです。それに……」

「それに、なんです?」

「不動産会社の湊川みなとがわ社長によると、西藤隆史さいとうたかしさんは三十六歳の単身で、一昨年の六月に入居したそうです。隣町の輸入雑貨商に勤務していると申込書には書かれていましたが、会社は実在するものの、西藤さんの所属はありませんでした。結局、身寄りもわからずじまいだったそうです」

「住民票を調べれば、わかるのではないですか」

「身寄りがわからなかったところをみると、住民票は移していなかった可能性が高いですね」

「謎の人物ですね」

「そうなのです。まだ、何かしらの秘密がありそうですよね。興味あります?」

「すごく、あります」

「今晩、下根田巡査と食事する約束をしているのですよ。有江さんも一緒にいかがですか」

 話にはかれるが、ダンテをこれ以上、警官に近づけるのは危険だと感じた。どうにかダンテの約束を反故ほごにさせなくては――。

「おもしろそうですね。私も混ぜてもらっていいですか」

 いつからか後ろに立っていた愛永まなえが、話に乗ってきた。



 午後六時、リストランテ・フィオーレ。

 有江と愛永とダンテが待つ中、ドアが開いてひとりの青年が入ってきた。身長は百八十センチメートルに届くかといった長身だ。白のスリーピングシャツにグレーのチノパンを合わせ、デニムジャケットの上にグリーンのモッズコートを羽織っている。帽子を脱いだ頭は、短髪にまとめている。

「はじめまして、下根田しもねだと申します。外は寒いですね」

 下根田は、コートを脱ぎながら挨拶した。

「ダンテさんから聞いているかと思うのですが、いつもは交番勤務をしている警察官です。階級は巡査です」

――結構、爽やか。

「はじめまして、梶沢出版に勤務する仁廷戸じんていどです。言い難いので名前の『愛永まなえ』で呼んでください」

「同じく梶沢出版で編集をしている栃辺とちべです。栃辺有江といいます。愛永さんと同じように名前の『有江ありえ』で構いません」

「ぼくも名前をお伝えしておきますね。『陽人はると』、下根田陽人です」

 陽人は、空いている有江の隣の席に座った。

「私は、ダンテ。ダンテ・アリギエーリと申します」

 誰も聞いていなかった。


 全員が揃い、ダンテと愛永は赤ワインを、有江と陽人はグラスビールを注文した。料理はパスタを各々選ぶ。


「ダンテさんと陽人さんが知り合いになったきっかけは、なんだったのですか」

 これは聞いておかなくてはと有江は思った。

「ぼくが交番に詰めていたときに、ダンテさんが入ってきて『ここは、なんですか』と聞いてきたのです」

「ダンテ先生、もの知らなさ過ぎですよ」

 愛永は、屈託なく笑った。

「私が『シンリテキカシブッケンナニカデソウ』の一〇五号室に入居したことを話すと、下根田くんが『波風荘なみかぜそうですね』と言うのです。では『シンリテキカシブッケン』とは何? というのがきっかけですね」

 ダンテが悪びれずに話す。


 飲み物が運ばれ、乾杯をした。

「下根田くんは、今は拳銃持っていないのですか」

 ダンテが、ワイングラスを回しながら興味津々に尋ねる。

「そんな物騒な、持っていませんよ。勤務を終えて交番を出るときには、厳重に保管しますから。今は、違う物しかぶら下げていません」

――アウトだった。

「ああ、それなら私も持っています」

――ダンテもアウトだ。

「私は、持っていませんね」

――愛永さん……


「さて、今日、下根田くんと食事することになったのも、私の部屋のことで、こちらの愛永さんと有江さんもたいへん興味があると、差し支えない程度に詳しくお話し聞きたいなと、そりゃあ守秘義務とかあるでしょうけど、今私が住んでいる部屋のことですから……」

 ダンテの歯切れが悪い。

「ダンテ先生、口止めされていた話を私たちに話しちゃったようですね。もちろん、私たちは口外しませんので安心してください」

 愛永は、すべてを察したようだ。

「ああ、そういうことなのですね。ダンテさんから女性を連れてくるから食事しようとしつこく誘ってくるので、ぼくもおかしいとは思っていたんですよ」

「わたしたちをに、陽人さんから話を聞き出そうとしたのですね」

「まあ、そうと言えば、そうとも言えますね」

 有江は、ダンテをにらんだ。


「下根田くんにこの店まで来てもらったのは、ここなら他の客が来ることもないので、話しやすいと思いまして」

 マスターが、軽く首を振っている。

「話せることだけでも、聞かせてもらえませんか」

 ダンテの本音が出た。

「身寄りのない故人の話なので、まあ、だいじょうぶだとは思いますが、ここだけの話にしてください。去年の夏前の話なので記憶も曖昧な部分もありますが」

 陽人は、しぶしぶ話し始めた。

「ぼくが部屋に入ったときには、家具もなく、まったく生活感が感じられませんでした。あったのは、こたつとパソコンだけでしたね。冷蔵庫もありませんでした」

「今の私の生活と一緒ですね」

 ダンテは、笑いながら言った。

「部屋を荒らされた形跡はなく、窓は内側から鍵が掛かっていました。西藤さんに外傷も認められず、突然死として扱われたのです。でも……」

 陽人は、立ち上がりながら話を続ける。

「気になるのです。破ったノートにメモが書いてあり、こたつの上に置いてあったのです」

 陽人は、壁に掛けたモッズコートのポケットを探りメモ帳を取り出した。

「いつもメモ帳を持ち歩くなんて、陽人巡査は警察官のかがみですね」

 愛永は、やや酔い始めている。

「巡回時のメモにも使いますが、下ネタをメモするためにも持ち歩いています」

――やはり、アウトだ。

「えっと、六月二日……ありました。ここに書き写してあります」

「どんなメモなのですか」

 これには、有江も気になった。

「殴り書きで、こう書いてありました『かぐや姫』『子はどこ』『すいせんの中』です」

「なぜ、このメモが気になったのですか」

「メモの最後に『地獄』と書いてあったのです。下根田くん、そうですよね」

 ダンテが、代わりに答えた。

「はい、『しごく』ではなく『地獄』と書いてありました」

――スリーアウト、チェンジ。


「ダンテさんは、メモのこと知っていたのですか」

「いえ、印象に残っていた『地獄』という言葉だけを、ダンテさんに話したのです。他のメモは初めて話します」

 陽人が先に答える。

「上野の『地獄の門』を見に行った次の日に教えてもらいました」

「ダンテさんから『今日は、地獄の門をくぐってきます』と聞いて思い出したのです」

「『地獄の門』はくぐれませんよ」

 愛永は即座に指摘した。

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