第十話 タイムスリップを考える

「第二歌ができました」

 ダンテが今日もやってきた。


   ******


 (仮)神曲・地獄篇(第二歌)


 日が暮れて、夜のとばりが暗く迫り、地上の生き物を日中の営みから解放していく。

 その中でひとり、ダンテだけは、これからの旅路での苦難と試練に立ち向かい、それらを記憶し誤りなく語れるよう準備をしていた。

――詩を司る女神よ、私の高き才能を信じ、私が見て記した記憶が、真価を発揮しますように、今こそ私をお助けください――

 そうダンテは願い、ウェルギリウスに話しかけた。

「私を導いてくださる詩人よ、険しい道のりを歩み出す前に、私の能力が十分なのか教えてください。あなたは『アエネーイス』の中で、シルウィウスの父であるアエネーアースが、生きながら、その肉体のまま不滅の世界に赴いたと語っています。全ての悪を敵とする神が、彼に寛大なのは、彼がもたらした素晴らしい成果、彼の優れた人となり、それらの徳を考えれば当然のことと私も思います。彼は、天界の神によって、聖なるローマ帝国の父として選ばれました。その帝国は、真実と照らし聖なる場所として定められ、第一の使徒ペトロを継ぐ教皇が住む場所となりました。あなたは、彼に名誉ある冥界の旅をさせています。彼は、その旅によって自身の勝利と教皇の権威の根源が何かを学んでいます。後に、選ばれし聖パウロも冥界に赴き、救いの道となる信仰の拠り所を持ち帰っています」

   ~

 全文は、次のリンクからお読みいただけます。

  カクヨム    https://kakuyomu.jp/works/16818023212354450571/episodes/16818023212369194378

   ~

 ウェルギリウスは一息ついて話を続ける。

「それなのに、これでも、まだ躊躇ためらっているのですか。なぜ、あなたは怖気づくのでしょう。至福の女性三人が、天の宮廷であなたのことを案じてくださり、私の言葉は、素晴らしい結果を約束しているのに、勇気と自信を持てないのですか」

 夜の寒さにしおれて下を向く花々が、陽の光に白く輝き一斉に起き上がり花咲かせるように、打ちひしがれていた私は気力を取り戻し、みなぎる勇気が心を満たしていった。

 心配から解き放たれたダンテは言った。

「私を救ってくださった女性たちは慈悲深く、その言葉にすぐさま従ってくださったウェルギリウス、あなたが光り輝く言葉で私に旅立つ決意を固めさせたおかげで、はじめの志に立ち返ることができました。さあ行きましょう。ふたりの気持ちは、ひとつとなりました。あなたこそ真の導き手、我が主であり、我が師です」

 ウェルギリウスは、歩き出した。

 ダンテも、険しい道へと進んでいった。


   *****


「ダンテは、相変わらず情けないですね。冒頭の意気込みと半ばの消沈ぶりの落差はどうかしていますよ。そのくせ自信過剰で、すぐ日和ひよる。これダンテさん自身がモデルなのでしょう、どうにかしませんか」

 ダンテは、渋い顔をしたままなにも答えない。


「ダンテもウェルギリウスさんも、よくしゃべりますね」

「第二歌は、ほぼ会話文ですからね。勘弁してください」


「それに、話がくどいです。同じ内容を繰り返していませんか」

「原文に沿って、三韻句法の建付けを解体して、意味が通じるよう刷新しているところですので、今は原文寄りにさせてください」


 有江は、ダンテの言葉にひらめいた。

「ダンテさん、解体とか刷新は、英語で『リノベーション』ですね。これ、使いましょう。『神曲リノベーション』というタイトルはどうですか」

「ほう『神曲リノベーション・地獄篇』ですか。気に入りました、そうしましょう」


「この先どうしますか。正直、ラノベとしては表現がまだまだ硬過ぎると思います」

 有江は、ダンテに率直に尋ねてみた。

「堅苦しいことには私も気づいていますが、この作業は続けさせてください。原文が、日本語として通じるように書き直すことが先決かなと思うのです。素材ができればラノベにリノベすることも簡単ですからね」


 今日も校閲が終わると、ダンテは会社を出ていった。


「アンリエ、お昼一緒にどう?」

 有江は、愛永まなえから昼食に誘われた。

「前にダンテ先生に連れていってもらったイタリアンに行こうか」

「いいですね。たしか『リストランテ・フィオーレ』というお店でしたよね。マップにも載っていない不思議なお店でした」


 道順は難しいわけではないので、迷うことなく着いた。


「こんにちは」

 店に入ると、マスターがカウンターの奥で料理をしている。今日は、先客がいるようだ。

「いらっしゃいませ」

 マスターにテーブル席を促されて奥を見ると、ダンテがパソコンを開きコーヒーを飲んでいた。

「あら、ダンテ先生、こんにちは」

「これは、仁廷戸じんていどさんに有江さん、こんにちは。よろしければ一緒にいかがですか。私は『牛肉とポテトのピリ辛トマトソース』を頼んだところです」

「私たちも同じにする?」

「そうですね。ふたつ追加してください」

 マスターが頷いた。


「ダンテさんは、こちらで作品を書いていたのですね。電気がまだ通っていないので、どこに行っているのかと思っていました」

「そうなんです。アパートは寒いし、誰かに見られているような気がして落ち着かないのですよね。ここなら一日中いても迷惑にならないので、ゆっくりできます」

――ナニカデタヨウ。


「ダンテ先生は『神曲』を書いているのですか」

 ダンテがパソコンを差し出すと、どれどれ見せてくださいと言って愛永は読み始めた。

「そうそう、これですよ、これ。まだ堅苦しいけど、思ったとおり『神曲』は面白くなりますよね。早く続きを読ませてください。ダンテ先生、アリリエ、頼みますよ」

 愛永に褒められ、ダンテは満更でもない顔をしている。

 かく言う有江も、愛永に期待されて満更でもなかった。


「午前中に『神曲リノベーション・地獄篇』というタイトルに決めて、今は、第三歌を日本語化しています」

「いいですね『リノベーション』ですか。ダンテ先生なら一週間もあれば、書き直せてしまうのではないですか」

「いやいや、他にも調べものとか、やることがありまして、一日一歌がいいところですね。それに……」

 ダンテは、急に真顔になった。

「私がこの日本に来た原因についても考えています。まだ漠然としているのですが、過去から未来に、遠く離れた場所に瞬時に移動するためには、時間や空間を超越した世界が必要だと思うのです。私たちが、ボールを投げて何秒間で何メートル飛んだのか測ることができるように、その世界では、瞬時に七百年を飛び越えイタリアから日本に移動したことを測ることができるのでしょう。それが、どのような世界で、どこにあるのかは、わかりませんが、少なくとも私はそんな世界を通ってきたと思うのです。その世界に通じるゲートがこの世界にあるはずなのです」

 ダンテは、考えながらゆっくりと話す。


「しかし、この美味しそうな香りが漂う世界では、これ以上、空腹を押して思案にふけることもできません」

 料理がテーブルに運ばれてきた。


「ダンテ先生、ラノベの王道、異世界転移のアイディアも練られているのですね。楽しみです」

 パスタを食べながら、愛永が言った。が言った。

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