第9話 ダンテは地獄の門を見る

 ダンテは、今日も会社にやってきた。

「ナニカデソウに電気が通りました。水道も使えるようになり、お湯も沸かせて、ネットカフェに近づきました」

 ネットカフェにしなくてもいいのにと、有江は思う。


「第三歌の校閲をお願いします」

 ダンテからのファイルを受け取った。

「いよいよ、地獄の門が登場ですね。今度、見に行きましょうか」

 有江は、冒頭を読んで、ダンテに言った。


「地獄の門が、あるのですか」

「世界に七つあるうちのふたつが、日本にありますね」

 ダンテは、パソコンから顔を上げ、目を丸くして有江を見ている。


「七つあるのも驚きですが、ふたつもあるとは、日本は地獄に近いのでしょうか」

「そうですね、日本での『地獄』は、結構ポピュラーだと思います。三途の川や針の山、閻魔大王とか、なぜかイメージできたりしますね」


「地獄の門は、日本のどこにあるのですか」

「上野の国立西洋美術館と静岡県立美術館ですね」

 有江が教えると、さっそくダンテは場所を検索している。

「上野は近いですね。ぜひ見に行きたいです。私が日本に来た原因がつかめるかもしれません」

「明日は休みですから、お時間があれば行きますか」

 ダンテに時間がないわけがない。二つ返事で行きますと答えた。


 朝九時に駅前で待ち合わせる。



 空は低く、風は冷たい。

 枯葉は。円を描く風に運ばれ、駅前ロータリー中央にある交番の隅で吹き溜まっている。

 土曜日の午前ともなれば、駅前は結構な人数が行き交っている。広場には募金活動をする男女の姿が見える。


 有江は、ダンテより先に着いたらしい。約束のベンチには、誰も座っていない。ベンチを通り過ぎ、道路を見通せる歩道まで出ると、ロータリーの向こうから歩いてくるダンテが見えた。

 ダンテは、白のポロシャツにカーキのズボン、朱色のベストにキャメルのハーフコートを着ている。自分で買い足したようだ。


 有江は、身分証明書のないダンテに、不審な行動をせず目立たない服装にするよう常々言い聞かせている。職務質問でも受けようなものなら一巻の終わりだ。ダンテも、一巻で終わりでは寂しすぎますと、妙な納得の仕方をしている。


 そんなダンテが、交番前を通り過ぎようとしたとき、警察官が外に出てきた。

 まずいと思ったときは、遅かった。

 警察官は、ダンテを呼び止める。

 ダンテは、振り返る。


 ダンテは……警察官とひと言ふた言話し、お辞儀をして交番を離れた。


「有江さん、おはようございます」

「お巡りさんと、な、何を話したのですか」

「今日は、地獄の門をくぐってきますと話しました」

「顔見知りなのですか」

「ええ、下根田しもねだ巡査ですね。『下根田』という名前のせいで『下ネタ』が好きだろうとよく言われるそうですが、そのとおり嫌いではないそうです。二十六歳独身、趣味は映画鑑賞です。最近、サブスクの月額料金が値上がりして財布に堪えているそうです。有江さん、どうですか」

「な、何を言っているのですか。ダンテさんが相当危ない立場であることは説明したはずです。気をつけてください。それに、地獄の門はくぐれません」


 電車に乗り、上野に向かう。

 途中、二回の乗り換えがあり、およそ一時間かかる。

 有江とダンテは、ベンチシートに並んで座った。

 うたた寝している間に、上野に着く。


「大きいです」

 ダンテは「地獄の門」の前に立っている。

「フランスのオーギュスト・ロダンが造ったものです。本物です」

「ロダンくんといい、鴎外さんといい、ありがたいことです」


「森鴎外は『花子』という作品でロダンのアトリエを舞台に小説を書いています。物語の中で、書棚に『神曲』があると書いてあったはずです。短い作品なのですが、難しい漢字とフランス語とで読むのに苦労した覚えがあります」

「徐々に私と繋がってきた感じがします。この門が開くのは、いつなのでしょうか」

「ブロンズの鋳物ですから、開きませんよ」


 ダンテは、門の裏を覗き込んでいる。

「後ろにドアが付いてますが、開きませんか」

「上下に二分割できると聞いたことはありますが、門が開くとは聞いたことがありませんね」

「開かなければ、くぐれないですね。それにしても、装飾が素晴らしい。あっ、右の柱の下にパオロとフランチェスカがいます。上のふたりもそうでしょうか」

 ダンテは、そのまま三十分ほど門の前から動かず眺めていた。


「時空を超える世界へのゲートではないようですね。しかし、芸術作品の『地獄の門』として見応えがありました。とても感動しました」



 お昼近くなり、人も増えてきた。

 ふたりは、混雑する前に早めのランチをとる。


「ダンテさんは、時空を超越する世界に通じるゲートがあると考えているのですか」

「もちろんですとも」

 ダンテは、自信満々だ。


 ランチを食べ終え、美術館と動物園を観てまわる。

 観終えたときには、辺りはすっかり暗くなっていた。

「今日は、どうでしたか」

「実物は、写真とは大違いでしたね。今日は、鑑賞するだけになってしまいましたが、見れば見るほど『地獄の門』が無関係なはずはないと思えるのです。感じます」

 ダンテは、美術館や動物園のことは何も話さず、「地獄の門」の話ばかりだった。

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