第九話 「神曲」を改稿する
昨日は、荷物を受け取るため、ダンテは一日姿を見せなかったが、今朝は、
――ダンテのスマホのスキルがスゴイ。
朝七時十七分、有江が駅に着くと、改札口にダンテが待っていた。
「昨日届く予定の荷物は、全部受け取りました。スマホやパソコンの電気がなくなりそうなので、今日は、一緒に会社に行きますね」
会社に着いて、ダンテはスマホもろもろを充電しながら、有江にパソコンを社内ネットワークに接続してもらう。
総務部に頼んで、社内グループウェアにアカウントを作ってもらっている。ダンテを「作家グループ」に登録した。
「ダンテさんは、今日、出掛ける用事はありますか」
「特にないです。スマホやパソコンと一緒に充電しようかと思っています」
「意味がわかりませんが、都合はいいです。昨日『神曲』を改稿する際のルールを考えてみました。一緒に確認したいのですが、いかがですか」
もちろんですとダンテは応じる。
「では、さっそく。ルールは三点です」
有江は、ダンテにパソコンの画面を向ける。
1 三韻句法などの詩法は用いない
2 注釈が必要な内容・表現は省略する
3 三人称視点で執筆する
「1については、わかりました。以前、
「2については、たしかに『神曲』は注釈が多いと思いますが、どういうことでしょう」
「注釈は、読むリズムを損なうので、読書の妨げになります。読者とすれば、視線を本文から移動しなければならない時点でストレスと感じます。注釈自体がその作品の面白みだったり、トリックだったりと、作品の根幹に関わらない限り、なくすべきだと思うのです」
「わかりました。そもそも、原文に注釈はありませんからね」
「3は、原文が一人称視点なので、そのままでもよいのではないでしょうか」
「三人称視点であれば、地獄の細部を描きやすいと思います。それに……」
有江は、今日は正直に話そうと決めている。
「一人称視点は心情表現が多くなるので、ビビりの主人公には感情移入できないのです」
ダンテは真剣に聞いている。
「また、場面転換時、主人公が気絶している間に何とかなってしまうのは、明らかに反則です。三人称視点で客観的に書く必要があると思います」
ついに言ってしまったと有江は思った。
「なるほど。さすが担当編集者です。そうしましょう」
有江の心配をよそに、ダンテはあっさり納得した。
「試しに地獄篇の冒頭一句を書き直してみます」
さっそく、ダンテはキーボードを打ち始めた。思った以上に速い。
「できました」
*****
人生の半ばを過ぎていた。
ダンテは、目を覚ましたとき暗い森の中を彷徨っていた。
まっすぐに続いている道は見えない。
*****
「まだ三行詩に引っ張られていますね。一行目は取るか、二行目と一緒にしましょう」
「このセンテンスは、私の重大な転機ですので残したいですね」
「わかりました。『人生の道半ば』といえば『神曲』最初の挫折ポイントですしね」
今日の有江は、結構きつい。
「二行目、このまま読むと夢遊病者のようです」
「原文は『目を覚ましたとき』だったり『ふと気づく』ですが『我に返ると』に直しましょう」
「三行目の『まっすぐに続く道』は何かの暗喩なのでしょうが、見えない道がまっすぐかどうかはダンテは知りようがないですね」
「はい、直します」
*****
人生の半ばを過ぎたダンテは、我に返ると暗い森の中を彷徨っていた。
道は見えない。
*****
「どうでしょう」
「読みやすくなりましたね。この調子でいきましょう」
充電が終わるまで、タイトルを考える。
「イメージは『神曲』の書き直しなので、『ニュー神曲』とか『シン神曲』とか『神曲・改』とかですかね。どれもパクリですが」
「日本語に不慣れなこともありますが、どれもピンときません」
「前にも話したとおり『神曲』はブランドなので残したいですね。あとは前後に付ける言葉なんですけど……」
「そうですね『帰ってきた神曲』『神曲再び』『久しぶりだね神曲』『神曲リメンバー』『忘れないでいてくれたの神曲』どうでしょう」
「宿題としましょう」
ダンテは、午前中に充電を終え、会社を出ていった。
翌日、有江の仕事がのってきた十時ころ、第一歌を書いてきましたとダンテがパソコンを持って現れた。
有江とダンテは、編集部向かいの打ち合わせ室に入り、ファイルを共有する。
「容赦しませんよ」と有江。
「覚悟しています」とダンテ。
*****
(仮)神曲・地獄篇(第一歌)
人生の半ばを過ぎたダンテは、我に返ると暗い森の中を彷徨っていた。
森は深く鬱蒼としていて、後にも先にも道は見えなかった。
引き返すことのできないこの世界を語ることは恐怖でしかないが、死とも言える苦しみの中で見つける真実を伝えるため、ダンテは、この世界でのできごと全てを語ろうと決意していた。
道を見失ったとき、ダンテの意識は
ダンテは、それでも歩き続け、丘陵のふもとに出た。恐怖でしかなかった傍らの谷は、もう見えなくなっている。
~
全文は、次のリンクからお読みいただけます。
カクヨム https://kakuyomu.jp/works/16818023212354450571/episodes/16818023212354556502
~
ウェルギリウスは、悲しげな表情を浮かべた。
「私は、かつて、天に君臨する神の掟に背いたため、その都市『天国』に入ることを望まれていません。神の力が及ばぬところは全宇宙上どこにもありませんが、統治されているのは天界のみです。神に選ばれ、天国と神の玉座がある天界に行く者は、なんて幸せなのでしょう」
「詩人よ、お願いです、あなたの知ることのなかった神の御名において、私がさらなる苦しみから逃れられることができるよう、その場所に連れていってください。煉獄の入り口、サン・ペテロの門や、地獄で悲嘆にくれる者たちをお見せください」
ウェルギリウスは、歩き出した。
ダンテは、その後を追った。
*****
「会話中に出てくる人物名が全く分かりませんね」
「ウェルギリウスの叙事詩『アエネーイス』で歌われたのが、アンキーセースやアイネイアースです。原文にそれらは記述しなかったのですが、日本でウェルギリウスは、私ほど知られていないようなので、追加しています」
「厭味な人は嫌われますよ」
「事実ですから」
ダンテは、ウェルギリウスの知名度の低さが不満なのですと話す。
「カミラ、エウリュアロス、トゥルヌス、ニーソスは『ギリシャ神話』に登場します」
「日本でいう『日本書紀』のイザナミとイザナギですか」
ダンテがネット検索している。
「どちらかというと、
ダンテの検索能力は日々進歩している。
「第一歌の原文で百五行目は、脚韻を無理に合わせようと
e sua nazion sarà tra feltro e feltro.
としたものだから、現在も『フェルトロとフェルトロの間』の解釈が謎のままですね。深く反省してください」
「はい」
「ダンテさんは『フェルト帽を被る双子座のカストールとポリュデウケースの間から生まれる』と書きましたけど、結局、これって誰のことなのですか」
「私、双子座の生まれなのです」
ダンテは、ばつが悪そうに答えた。
「多くの人が、これは『神聖ローマ皇帝』だと考えていますよ」
「そうですか、それでも構いません」
結構いい加減だが、そんなものかと有江は思った。
「ウェルギリウスさんは、しゃべり過ぎではありませんか。それに、他の翻訳と違って丁寧な話し方ですね」
「たしかに台詞が長いので、原文にはない地の文を入れています。丁寧なのは、高名なウェルギリウスともなれば、他の訳文のように偉ぶった言い方はしないと思うのですよ」
「主人公のダンテは泣くのですね。情けなくありませんか」
「いや、豹と獅子と雌狼に囲まれたら、そりゃ泣きますよ」
有江は、街なかで助けてくれと泣いたダンテを思い出した。
続きを書いてきますとダンテは会社から出ていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます