第八話 神曲リノベーション

 昨日は、ネット注文した荷物を受け取るため、ダンテは一日姿を見せなかったが、今朝は、有江のスマホに「一緒に出勤します」とメールが届いていた。

――ダンテのスマホのスキルがスゴイ。


 朝七時十七分、有江は駅に着く。

 ダンテは、改札口前で待っていた。

「昨日届く予定の荷物は、全部受け取りました。スマホやパソコンの電気がなくなりそうなので、一緒に会社に行きます」


 会社に着き、有江は、ダンテのスマホを充電しながら、パソコンを社内ネットワークに接続する。総務部にお願いして、事前にダンテのアカウントを作ってもらっている。ダンテを「作家グループ」に登録した。


「ダンテさんは、今日、出掛ける用事はありますか」

「特にありません。スマホやパソコンと一緒に充電しようかと思っています」

「意味はわかりませんが、都合はいいですね。昨日『神曲』を改稿する際のルールを考えてみました。ダンテさんに見てもらいたいのですがいいですか」

 もちろんですと、ダンテは応じる。


「では、さっそく。ルールは三点です」

 有江は、ダンテにパソコンの画面を向ける。


1 三韻句法などの詩法は用いない

2 注釈が必要な内容・表現は省略する

3 三人称視点で執筆する


 ダンテは、1と2はすんなり納得するが、3には思うところがあるようで、渋っている。

「原文が一人称視点なので、そのままでもよいのではないでしょうか」

 やはり、原文に関わる内容なので、納得しがたいのだろう。


「三人称視点であれば、地獄の細部を描きやすいと思います。それに……」

 今日は正直に話そうと、有江は決めている。

「一人称視点は心情表現が多くなるので、ビビりの主人公には感情移入できないのです」

 ダンテは、真剣に聞いている。

「また、場面転換時、主人公が気絶している間になんとかなってしまうのは、明らかにルール違反です。三人称視点で客観的に書く必要があると思います」

 ついに言ってしまったと、有江は思った。


「なるほど。さすが編集者です。そうしましょう」

 有江の心配をよそに、ダンテはあっさり納得する。

「試しに地獄篇の冒頭一句を書き直してみます」

 さっそく、ダンテはキーボードを打ち始めた。思った以上に速い。


   *****

 人生の半ばを過ぎていた。

 ダンテは、目を覚ましたとき暗い森の中を彷徨っていた。

 まっすぐに続いている道は見えない。

   *****


「まだ三行詩に引っ張られていますね。一行目は取るか、二行目と一緒にしましょう」

「このセンテンスは、私の重大な転機ですので残したいですね」

「わかりました。『人生の道半ば』といえば『神曲』最初の挫折ポイントですし、わたしも残す意味はあると思います」

 今日の有江は、結構きつい。

「二行目、このまま読むと夢遊病者のようです」

「原文は『目を覚ましたとき』だったり『ふと気づく』ですが、『我に返ると』に直しましょう」

「三行目の『まっすぐに続く道』は何かの暗喩なのでしょうが、見えない道がまっすぐかどうかはわからないですよね」

「はい……直します」


   *****

 人生の半ばを過ぎたダンテは、我に返ると暗い森の中を彷徨っていた。

 道は見えない。

   *****


「どうでしょう」

「読みやすくなりましたね。この調子でいきましょう」


 スマホの充電が終わるまで、タイトルを考える。

「イメージは『神曲』の書き直しなので、『ニュー神曲』とか『シン神曲』とか『神曲・改』とかですかね。どれもパクリですが」

「日本語に不慣れなこともありますが、どれもピンときません」

「『神曲』はブランドなので残しましょう。あとは前後に付ける言葉なんですけど……」

「そうですね。単に『神曲』を翻訳するのではなく、日本向けに再構築、刷新するニュアンスが欲しいですね」

 有江は、ダンテの言葉にひらめく。

「刷新は、英語で『リノベーション』です。これ、使いましょう。『神曲リノベーション』というタイトルはどうですか」

「ほう『神曲リノベーション・地獄篇』ですか。いいですね」

 ダンテは、気に入ってくれたようだ。



 ダンテは、昨日「神曲リノベーション・地獄篇」の第一歌、今日は第二歌を書き上げている。

 午前中に校閲が終わると「続きを書いてきます」と、ダンテは会社を出ていった。


「アンリエ、お昼一緒にどう?」

 愛永から、昼食に誘われた。

「前に、ダンテ先生に連れていってもらったイタリアンに行こうか」

「いいですね。たしか『リストランテ・フィオーレ』というお店でした」


 マップにも載っていない不思議な店だが、道順が難しいわけではないので、迷うことなく着いた。


「こんにちは」

 店に入ると、マスターがカウンターの奥で料理している。今日は、先客がいるようだ。

 マスターにテーブル席を促されて奥を見ると、パソコンを開きコーヒーを飲んでいるダンテが座っていた。

「あら、ダンテ先生、こんにちは」

「これは、仁廷戸さんに有江さん、こんにちは。よろしければ、一緒にいかがですか。私は『牛肉とポテトのピリ辛トマトソースパスタ』を頼んだところです」

「私たちも同じにする?」

「そうですね。ふたつ追加してください」

 マスターが頷いた。


「ダンテさんは、こちらで作品を書いていたのですね。電気がまだ通っていないので、どこに行っているのかと思っていました」

「そうなんです。アパートは寒いし、誰かに見られているような気がして落ち着かないのです」

――ナニカデタヨウ。


「ダンテ先生は『神曲』を書いているのですか」

 ダンテがパソコンを差し出すと、どれどれ見せてくださいと愛永は読み始める。

「そうそう、これですよ、これ。まだ堅苦しいけど、思ったとおり『神曲』は面白くなりますよね。早く続きを読ませてください。ダンテ先生、アリリエ、頼みますよ」

 愛永に褒められ、ダンテは満更でもない顔をしている。

 有江も、愛永に期待されて頬が赤らんだ。


「タイトルは『神曲リノベーション・地獄篇』と決めました。今は、第三歌を書いているところです」

「いいですね『リノベーション』ですか。ダンテ先生なら一週間もあれば、書き直せてしまうのではないですか」

「いやいや、一日一歌がいいところです。私が、この日本に来た原因について、調べなければなりませんし……」


 ダンテは、真顔になった。

「私が、過去から未来に、遠く離れた場所に瞬時に移動するためには、時間や空間を超越した世界が必要なはずです。この世界では、ボールを投げて何秒間で何メートル飛んだのか測ることができるように、その世界では、七百年を飛び越え、イタリアから日本に移動したことを測ることができるのでしょう」

 愛永は、ダンテの話を真剣に聞いている。

「そこは、どのような世界で、どこにあるのか、今のところ知る由がありませんが、私は、そのような世界を通って、この日本に来たのは間違いないと思います。どこかに、その世界に通じるゲートがあるはずなのです」


 テーブルに料理が運ばれてきた。

「しかし、この美味しそうな香り漂う世界では、これ以上、空腹に耐えて思案にふけることもできません」

 ダンテは、フォークとスプーンを手にした。


「ダンテ先生は、ラノベの王道、異世界転移のアイディアも練られているのですね。楽しみです」

 パスタを食べながら、愛永は言った。

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