第八話 飲み会の後先
ダンテは、駅ビルの書店をぶらついている。
愛永は、三十分ほどで待ち合わせの書店に姿を現した。
アイボリーのロングコートに白のニット、モカのパンツを合わせた姿は、センターパートにしたリップバングの愛永に似合っている。惚れるんじゃないかと有江は思った。
「どうもアリエム。ダンテ先生こんにちは」
「こんにちは。
――ダンテ、何を言い出す!
三人は、駅近くの居酒屋に入った。この街は何ごとにおいても駅近くで用事が足りるので非常に便利だ。裏を返せば、駅から離れると何もない。
「仕事上がりの一杯に付き合わせてしまってごめんなさい。飲み物は何にしますか」
「わたしは、生ビールで。ダンテさんは、ワインですか」
「いや、私もビールをいただきましょう。ヴェローナでもエールやビールをよく飲んでいましたよ」
「生ビール三つお願いします」
「ダンテ先生のアパートは、見つかったのですか」
「ええ、有江さんのおかげで契約もできました。『シンリテキカシブッケンナニカデソウ』というアパートで、とても安く借りることができました」
ダンテはアパート名だと思っているようだ。「ナミカゼソウ」が正しい。
「担当編集者と同じ街だと、何かと便利ですよね」
愛永が一瞬だけ、不動産会社の社長と同じように、ふーんという顔をした。
ビールが運ばれてきた。
「さあ、吞みましょう。お疲れさま、乾杯!」
ビールを飲み、刺身を摘み、ワインを飲み、焼き物を味わい、文学談議に花が咲いた。
「『ライトノベル』なんていうカテゴリーはまやかしですよ、純文学と何が違うのでしょう。軽い小説があるなら、重い小説もあるのでしょうか!」
愛永が息巻いている。
「この時代まで『神曲』が読み継がれているとは、奇跡に近いですね。それに比べたら、私がこの世界に迷い込んだことなど些細なことです」
それは違うだろうと有江は思ったが、事情を知らない愛永は、そうですよねと適当に相槌を打っている。
「本への愛は、作品への愛、作者への愛、活字への愛、装丁への愛へと広がります。わたしは、編集への愛も感じてもらえるよう頑張っています」
有江もビール片手に控えめに主張した。
「いいこと言うじゃん」
ほめる愛永は、ぐい呑み片手に相当酔っている。
「ダンテ先生、こうして日本にいるのなら、日本のお酒ですよ」
と青森県の「田酒」をおかわりし、ダンテの分も注文した。
「それじゃ、気をつけて」
「愛永さんも、お疲れさまでした」
改札を抜けた愛永は、手を振って下り線ホームに降りていった。
ダンテも赤ら顔で手を振っている。
「さて、ネットカフェどうします?」
駅構内の時計は十時を回っていた。
これから、ネットカフェを見つけて、電車で行って、入会手続きして、また電車で戻って、家に帰ってを考えると有江は気が滅入った。
「ダンテさん、ひとりで行けますか」
「もちろん、だいじょうぶです」
ダンテが、ふらふらしながら答えた。
有江は、ネットカフェを検索してダンテに教えたが、酔っていて最寄駅からの道順が説明できない。地図を見たダンテも土地勘がなく、自分が何を見ているのかさえもわからないと言う。
そもそも、ダンテは身分証明書を持っていないことを忘れていた。
「今日借りたアパートで寝るしかなさそうですね。灯りがなく、水がなく、寒いだけですから、なんとかなるでしょう」
ダンテは、ネットカフェを諦めたが、明らかに恨めし気に聞こえる。
「うちのアパートに編集部に寝泊まりするときの寝袋があるはずです。寒いから使ってください。近所ですから取りに寄って帰りましょう」
有江は、見かねて、つい、言ってしまった。
波風荘に向かう道のりは、有江の帰宅する道順と同じだ。
十分ほど歩いた先の交差点を右に行けば波風荘、左に行けば有江のアパートだ。
交差点を左に曲がり、三分ほどで有江のアパートに着いた。
二階の東端が有江の部屋だ。
「寝袋持ってきますから、待っていてください」
有江が、玄関を開けたそのとき、北隣の一軒家で飼う犬が吠え立てた。
有江が灯りを点ける間もなく、ダンテが「狼です!」と叫び、玄関に入ってくる。
有江は、身体をひねってかわそうとしたが避け切れず、ダンテに押され、またしても尻もちをついた。
ダンテは、有江に覆い被さるように倒れ込んだ。
床を探ろうとしたダンテの手が、有江の胸に触れる。
倒れたダンテの顔は有江のすぐ横にある。
ダンテの息遣いが聞こえてきた。
その姿勢のまま、どれだけの時間が経っただろう。
三分か、五分か。
ダンテは、寝ていた。
有江は、なんとかダンテの下から這いずり出た。
灯りを点けると、廊下をふさぐようにダンテが倒れて寝ている。
有江は、衣装ケースから寝袋を取り出すと、ダンテを蹴飛ばして叩き起こした。
「……ナニカデソウに灯りが点いています」
有江は、寝ぼけるダンテを連れ出し、電気の通っていない真っ暗な波風荘に送り届けた。
日曜日の朝に近い午前中、ドアのチャイムが鳴る。
宅急便のお届けだった。
先ほどまで寝ていた有江は、ジャージを羽織って、三箱もの荷物を受け取った。
注文していたスマホとパソコンが届いた。
有江は、開封の儀を行い、さっそく説明書と首っきりで初期設定を行う。ダンテに渡すスマホとパソコンは、有江名義ではあるが、アパート契約と同じネットバンクの銀行口座に紐づくよう設定した。
設定は、昼食をはさんで三時間かかった。
有江は、ダンテのアパートに荷物を持って向かう。
薄緑の上下のジャージに紫のダウンジャケットを羽織り、荷台に段ボール箱を
「おはようございます」
とは言え、既に午後だ。「おはようござ……」というダンテの声が聞こえたので、有江は、勝手に鍵を開けて部屋に入った。
ダンテは、全く何もない部屋で、寝袋に入ったままバックパックを枕に寝そべり『神曲・天国篇』を読んでいた。
「有江さん、おはようございます。昨夜は呑み過ぎましたね」
「まずは水分補給です」
有江は、自販機で買ったスポーツ飲料をダンテに渡した。
ダンテに手伝ってもらい、段ボール箱を部屋に運び入れた。
「お宝が届きました」
有江は、段ボール箱からひとつずつ物を取り出す。
「これがスマホです。廉価版の機種ですが、機能は必要十分です」
有江は、電話の使い方、ネットへの接続、カメラの使い方を簡単に説明する。
「パソコンは、持ち運びやすい重さ、かつ、文章入力にストレスのない画面の広さにしました。このサイズ帯は各メーカーとも割高設定ですが、これより大きいと持ち運ぶのには、やや大きいかなって思うのです。CPUは二世代前のミドルクラスを選択しましたので、高負荷な処理をしなければ余裕で動きます。オフィスソフトもインストール済みです」
有江は熱心に説明するが、ダンテは、全く聞いていなかった。パソコンを起動してソフトを開いて見ている。
「ネットにつながりません」
有江は、デザリングの仕方を説明した。
マウス、窒化ガリウムの充電器と大容量モバイルバッテリー、ケーブルを渡す。
「全部で十四万六千七百十三円でした」
「おおっ、ありがとうございます。思っていたほど高くなかったですね」
「全て充電済みですので、寝具や生活用品をネットで購入しましょう」
「これで、買い物ができるのですか」
便利ですが怖いですねと、ダンテは言った。
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