第七話 ダンテは飲んで倒れる

 駅に戻る。

 午後四時を過ぎていた。

 ダンテは、コインランドリーで乾いた衣類を回収する。

「私は、電気が使えるまで、ネットカフェで過ごすことにします」

「ダンテさん、それ無理です」

 有江は、今朝の顛末てんまつをダンテに説明した。


「そうでしたか、それは、ご迷惑お掛けしました。では、別のネットカフェにしましょう」

「この街にネットカフェはないので、今、探しますね」

 そう言って、有江がスマホで検索しようとしたとき、電話の着信メロディが鳴り、画面上の指は「応答」を許可していた。

 有江は、あわててスマホを電話として持ち替える。


「あっ、はい、栃辺です」

「もしもしアリエス、愛永です。今、何してるの?」

「えっ、ダンテさんのアパート探しをお手伝いしてまして……」

「ダンテ先生も一緒なんだ。今から行っていい? どこにいるの」

 愛永が来るという。土曜出勤して、ひと仕事終わったので一杯飲みたいそうだ。

 地元駅にいることを伝えると、すぐに向かうと返事がある。有江が、地元神社の初詣に誘ってからというもの、愛永は、この街を気に入っている。


「仁廷戸さんは、休みの日に独り働いて、寂しい思いをしていたのですね。せめて、仕事上がりは、お付き合いしてあげましょう」

 話を聞いたダンテは、なんて寂しいことでしょうと、いたく同情している。



 有江は、愛永を待つ間、電気・ガス・水道の開通手続きを行う。

 ダンテは、駅ビル二階の書店をぶらつき、ライトノベルを手にしては、背表紙のあらすじを読んでいる。


 愛永は、三十分ほどで待ち合わせの書店に姿を現した。

 アイボリーのロングコートに白のニット、モカのパンツを合わせた姿は、センターパートにしたリップバングの愛永に似合っている。

 惚れるんじゃないかと有江は思った。


「どうもアリエム。ダンテ先生こんにちは」

「こんにちは。仁廷戸さん、私たちがついてますよ」

――ダンテ、何を言い出す!


 三人は、駅近くの居酒屋に入った。

 この街は、何をするにせよ、駅近くで用が足りるので非常に便利だ。裏を返せば、駅から離れると何もない。


「仕事上がりの一杯に、付き合わせてしまってごめんなさい。飲み物は何にしますか」

「わたしは、生ビールで。ダンテさんは、ワインですか」

「いや、私もビールをいただきましょう。ヴェローナでも、エールやビールをよく飲んでいましたよ」

 全員、生ビールを注文する。


「ダンテ先生のアパートは、見つかったのですか」

「ええ、有江さんのおかげで契約もできました。『シンリテキカシブッケンナニカデソウ』というアパートで、とても安く借りることができました」

 ダンテはアパート名だと思っているようだ。「ナミカゼソウ」が正しい。

「担当編集者と同じ街だと、何かと便利ですよね」

 愛永が一瞬だけ、湊川社長と同じように、ふーんという顔をした。


 ビールが運ばれてくる。

「さあ、飲みましょう。お疲れさま、乾杯!」


 ビールを飲み、刺身をつまみ、ワインを飲み、文学談議に花が咲いた。

「ライトノベルなんていうカテゴリーはまやかしですよ、純文学と何が違うのでしょう。軽い小説があるなら、重い小説もあるのでしょうか!」

 愛永は、息巻いている。


「この時代まで『神曲』が読み継がれているとは、奇跡に近いですね。それに比べたら、私がこの世界に迷い込んだことなど些細なことです」

 それは違うだろうと有江は思ったが、事情を知らない愛永は、そうですよねと適当に相槌を打っている。


「本への愛は、作品への愛、作者への愛、活字への愛、装丁への愛へと広がります。わたしは、編集への愛も感じてもらえるよう頑張っています」

 有江もビール片手に控えめに主張した。


「いいこと言うじゃん」

 褒める愛永は、ぐい呑みを手に相当酔っている。

「ダンテ先生、こうして日本にいるのなら、日本のお酒ですよ」

と、青森県の「田酒」をダンテの分も注文する。


 一気に飲み干すダンテは、日本酒も気に入ったようだ。



「それじゃ、気をつけて」

「愛永さんも。お疲れさまでした」

 改札を抜けた愛永は、手を振って下り線ホームに降りていった。

 ダンテは、赤ら顔で手を振っている。


「さて、ネットカフェ、どうします?」

 駅構内の時計は、午後十時を回っている。

 これから、店を見つけて、電車で行って、入会手続きして、また電車で戻って、家に帰って、寝る支度してと考えると有江は気が滅入る。

「この時間では、今日借りたアパートで寝るしかなさそうですね。灯りも水もありませんが、なんとかなるでしょう」

 ダンテは、覚悟を決めたかのような口振りで答えた。


「わたしのアパートに、編集部で寝泊まりするときの寝袋があるはずです。寒いから使ってください。近所なので取りに寄ってから帰りましょう」

 見かねた有江は、つい、言ってしまった。


 波風荘には、有江が帰宅する道のりと一緒だ。

 十分ほど歩いた先の交差点を右に行けば波風荘、左に行けば有江のアパートだ。

 湊川社長が言う「歩いて八分」で波風荘に着くわけがない。


 交差点を左に曲がり、三分ほどで有江のアパートに着いた。

 二階の東端が有江の部屋だ。ふたりは階段を上る。

「寝袋持ってきますから、待っていてください」

 有江が、玄関を開けたそのとき、北側の一軒家で飼う犬が吠え立てた。

 灯りを点ける間もなく、ダンテは「狼です!」と叫び、玄関に入ってくる。

 有江は、身体をひねって避けようとしたが避け切れず、ダンテに押し倒され、またしても尻もちをついた。

 ダンテは、有江に覆い被さるように倒れ込んだ。

 床を探ろうとしたダンテの手が、有江の胸に触れる。

 倒れたダンテの顔は、有江のすぐ横にある。

 ダンテの息づかいが、聞こえてくる。


 その姿勢のまま、どれだけの時間が経っただろう。

 三分か、五分か。


 ダンテは、寝ていた。


 有江は、ダンテの下からやっとの思いで這いずり出る。

 灯りを点けると、廊下をふさぐようにダンテは倒れていた。

 有江は、衣装ケースから寝袋を取り出すと、ダンテを蹴飛ばして叩き起こす。

「……ナニカデソウに灯りが点いています」

 寝ぼけるダンテを連れ出し、電気の通っていない真っ暗な波風荘に送り届けた。



 日曜日の朝に近い午前中、有江のアパートに注文していたスマホとパソコンが届く。

 有江は、二日酔いの頭でスマホやパソコンの初期設定を行い、ダンテのアパートに送り届ける。

 ダンテは、何もない部屋で寝袋に入り「神曲・天国篇」を読んでいた。

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